2025年5月– date –
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君子も職人のように、ひたむきに道を究める
子夏は、職人の姿にたとえて、君子の学びのあり方を説いた。百工――つまり多様な職人たちは、それぞれの仕事場(肆)にこもって、自らの技術を磨き、仕事を完成させる。君子もまた、学びの場にあって道を究めることに全力を尽くすべきだと子夏は語る。 これ... -
広く学び、深く志し、熱心に問うて、身近に考える。仁はそこに宿る
子夏は、仁の道を志す者に必要な姿勢を、四つの要素で示した。すなわち、「博学」=広く学ぶこと、「篤志」=深く志すこと、「切問」=熱心に問い尋ねること、「近思」=身近な事柄に即して深く考えることである。 これらは単なる知識や知的好奇心の追求で... -
毎日一歩、毎月振り返る。それが本当の学び好き
子夏は、真に学問を好む人の姿勢について語った。それは、日々新しいことを学び、月ごとに過去の学びを振り返って忘れないという態度である。 知識を積み上げるだけでなく、それを定着させ、身につけ続ける努力こそが、学を愛する者の証。単に「新しいこと... -
小さな技より、大きな道。君子は本筋を見失わない
子夏は、趣味や技芸のような「小さな道」にも、それぞれに見るべき価値はあると認めた。しかし、君子たる者が目指すべきは、より遠大で根本的な「道」である。もし小道に深入りしてしまえば、その進路を妨げられ、本来の目的から逸れてしまうおそれがある... -
交わりは選別よりも包容。君子の姿勢は人を閉ざさない
子夏の弟子が、子張に「人とどう交わるべきか」と尋ねた。その問いに子張はまず、師である子夏の考えを尋ねる。弟子はこう答えた。「先生(子夏)は、良いと思う人とは交わり、そうでない人とは交わらないべきだとおっしゃいました」。 これを聞いた子張は... -
徳は広く、信念は深く。中途半端では道は成らない
子張は、徳を修める上での心構えを戒めた。人としての徳が中途半端であったり、正しい道を信じる心が浅かったりすれば――それは、あってもないようなものであり、結果として何の力も持たない、と。 徳は一部だけで足りるものではない。信じる道も、一時の思... -
機に命を惜しまず、利に義を問う。これぞ士の道
子張は、士(し:人格と責任を備えた人)が備えるべき条件を説いた。それは、重大な局面では命を賭して責任を果たし、目の前に利益が現れたときは、それが道義にかなうかを第一に考えること。また、祭りに臨んでは心からの敬意を、喪においては深い哀悼の... -
盛徳の世には、才徳の士が集まる
良き時代が、人を育て、英雄を生む 周の王朝が隆盛を誇った時代には、一つの家から八人の英才(はっし)が現れたと伝えられている。その名は、伯達(はくだつ)、伯适(はくてき)、仲突(ちゅうとつ)、仲忽(ちゅうこつ)、叔夜(しゅくや)、叔夏(しゅ... -
理想のリーダーに求められる四つの心得
親しき者を忘れず、古きを捨てず、才に偏らず 周公旦(しゅうこうたん)は、自らの子である伯禽(はくきん)が魯公として赴任する際、治国の要諦を伝えた。それは、君子たる者(すなわち政治を司る者)が守るべき四つの戒めであった。 親族を顧みることを... -
政が乱れれば、文化もまた離れていく
音楽が乱れるとき、国もまた道を失う かつて、魯の国には音楽を司る優れた楽師たちが多く仕えていた。しかし政治が乱れ、道が失われたことにより、彼らは次々と国を離れ、各地に散っていった。 **大師の摯(し)**は斉へ。 **二度目の食事の楽を司る干(か...