P社は長野県諏訪に拠点を置く優良企業だ。この地域には多くの大企業や有名企業が工場を構えており、賃金水準は日本の中でも最も高い部類に入る。その中で高い業績を維持している点は見事だ。一方、諏訪から10~15キロほど離れると、賃金水準は一気に下がる。しかし、P社はその状況にも関わらず諏訪にとどまり、動こうとしない。その理由について、P社長はこう語った。
「賃金の安い田合に工場を移せば、確かにコスト面では有利だ。実際、諏訪市内の中小企業の中にはそうするところもある。しかし、私はそうしない。もし移転すれば、その有利さに甘えて、自分の経営姿勢が緩んでしまうだろう。その結果、むしろ業績が低下する危険性がある。それが怖いんだ。高賃金で、しかも労働組合が強いこの地域で高い業績を上げられるからこそ、自分の経営が本物だと言えると思っている。」これがP社長の言葉だ。
P社の高い業績は、まさにこの社長の姿勢から生まれている。心から立派な人物だと感じる。確かに、賃金は企業にとってコストであり、安い方が望ましいと思うのが一般的な考えかもしれない。しかし、賃金は社員にとって生活の糧であり、企業がその責任を軽視するべきではない。社員の生活を支えることを考えれば、賃金を安く抑えるという選択肢は正しいとは言えないだろう。企業としての力がある限り、可能な限り高い賃金を提供するべきなのだ。
少なくとも世間並みの賃金は必要だ。安い賃金では、人は本気で働こうとしない。それでは、どれだけコストを抑えたつもりでも何の意味もない。さらに言えば、賃金が不当に安いということは、別の角度から見れば搾取にほかならない。搾取によって成り立つ会社が、真に立派な企業になることはあり得ない。ここがP社長の主張の核だ。だからこそ、高賃金を維持することが正しい選択だという結論に至る。ただし、賃金が高すぎるのも問題だ。社員のためにならない場合もあるからだ。適切なバランスが重要なのだ。
ある会社では、業績が好調だったため、税金で取られるくらいなら社員の賃金を大幅に引き上げた方が良いという判断をした。その結果、社員の働く意欲が高まるどころか、会社内には妙な安心感が漂い始めた。モラルが低下し、欠勤者が増える事態に陥ったのだ。それだけにとどまらず、高収入を手にしたことでギャンブルに依存し、最終的には家庭を崩壊させる社員まで現れた。このようなケースは、賃金の適正さを見極めることの難しさを如実に物語っている。
ある日、一人の社員の妻が子供を連れて会社を訪れ、社長に面会を求めてきた。社長室に通されると、彼女は突然泣き崩れてしまう。事情を尋ねると、夫がギャンブルにのめり込み、給料を家に入れるどころか、貯金までも使い果たしているという話だった。生活は日増しに苦しくなり、家庭では朝から晩まで夫婦喧嘩が絶えない。妻は親や知人からお金を借り、さらには着物を質に入れて生活費を工面してきたが、もはや限界に達していたという。彼女の切実な訴えは、家族がどれほど追い詰められているかを物語っていた。
「以前は本当に良いお父さんで、家族みんなで平和に暮らしていました。それが、社長さんが給料を上げてくださったばかりに、家庭がめちゃくちゃになってしまいました。私は社長さんを恨んでいます。」そう言い放つ彼女の言葉は、社長にとっても衝撃的だった。善意で行った賃上げが、思いもよらない形で家庭の崩壊を引き起こした。その現実を前に、社長も深く考えさせられることになった。
社長はその言葉に返すことができなかった。「社員のためによかれと思ってやったことが、まさかこんな結果を招くとは思いもしませんでした。賃金というのは、ただ高ければいいというものではないのですね」と、自らの判断を悔いるように語った。状況を改善するため、社長は賃金を銀行振込に切り替える決断をした。「これなら、少なくとも引き出す際にいくらかでも残してくれる可能性があるからです」と言うが、その表情には苦渋の色がにじんでいた。
では、適切な賃金とはいくらくらいなのだろうか。私の経験から導き出した現在の考えでは、同地区のモデル賃金の10%高が妥当だと思う。この水準は、社員に十分なモチベーションを与えながらも、生活を破綻させるリスクを最小限に抑えるバランスとして機能する。また、多くの経営者たちも、同様の意見を持っているようだ。この程度の差が、会社と社員双方にとって最良の結果をもたらすと考えられる。
ところで、賃金の銀行振込という便利な方法には、思わぬ一面がある。それは、便利さの裏で、社員に情けない思いをさせてしまう可能性があるということだ。これについて、M社長の興味深い話を紹介しよう。
賃金の銀行振込を導入して間もない頃のことだった。ボーナス支給日を数日後に控えたある日、管理職の社員二人が揃って社長室を訪れ、「社長、お願いがあります」と申し出てきた。
「ボーナスは今年も銀行振込でしょうか」と尋ねられたので、「そうだ」と答えると、彼らは少し申し訳なさそうな表情を浮かべながらこう言った。「わがままを言って申し訳ないのですが、ボーナスだけでも現金で支給していただけないでしょうか」。その理由を聞いてみると、次のような事情があった。
給料を現金で受け取っていた頃は、給料日やボーナス日が特別な日だった。家に帰ると、妻が化粧をして、豪華な食事と冷えたビールを用意して待っていてくれた。給料を手渡すと、妻が「一カ月間ご苦労様でした」と感謝の言葉をかけてくれた。子どもたちも「お父さん、ありがとう」と笑顔で迎えてくれる。その瞬間、一カ月の疲れが吹き飛び、生き甲斐と幸福感を味わうことができた。そして、その日のビールの味は格別だった。
しかし、給料が銀行振込に変わってからは、給料日になるとただ通帳の数字が増えるだけで、特別な日だったはずの雰囲気が一変してしまった。家ではご馳走もビールも用意されず、妻や子どもたちからの「お父さん、ありがとう」という言葉も聞けなくなった。給料日が、喜びに満ちた日ではなく、ただの空しさを感じる日へと変わってしまったのだ。これを聞いたM社長は、「自分は何と心ないことをしてしまっていたのか」と深く反省し、給料の銀行振込を取りやめ、再び現金支給に戻す決断をしたのだった。
高賃金主義は、社員の生活を支え、企業の成長にとっても有益である。しかし、それには適切な水準と配慮が必要であり、P社の社長が示したように、賃金を高く保つことは企業経営者の姿勢と心構えを映し出すものである。P社は、日本で高い水準に属する諏訪地区で事業を行い、労働組合の強い環境の中でも高業績を維持している。これは、賃金を単なるコストではなく、社員の生活を支える重要な要素と捉え、真摯に経営に取り組む姿勢の表れである。
一方で、賃金は高ければ良いというものではなく、行き過ぎた賃上げは社員のモラルや生活にも影響を与える。ある企業が税金対策のため大幅な賃上げを行ったところ、社員の中には過剰な収入をギャンブルに浪費してしまい、家庭生活が破綻した例もある。こうした状況に対し、賃金を銀行振込にする措置が取られたが、社員やその家族にとっての収入の喜びや家族の絆が薄れるというデメリットも見られた。
賃金の銀行振込は効率的で便利だが、M社の例のように、給料を直接手渡される時の喜びや家族の感謝の瞬間を失うことがある。給料日の一つの楽しみとして、家族が「ありがとう」と感謝し、共に食卓を囲む喜びは、働く意欲にもつながるものである。M社の社長はこの声を聞き、社員にとっての給料日の意義を考え、銀行振込をやめた。
適正な賃金水準は、地域のモデル賃金に対して10%高が望ましいという意見も多い。高すぎず、低すぎず、適度な水準を保つことで、社員は生活への安心感を持ち、働く意欲も保てる。高賃金主義とは、単なる経済的な話ではなく、社員の生活と企業の将来を支える経営姿勢であり、そのバランスを取ることが大切である。
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