P社の工場長は、人間関係を重視する熱心な信奉者だった。企業運営において最も重要なのは「人の和」だと考え、物事を決める際には部下と徹底的に話し合う必要があるという信念を持っていた。
P社は受注生産を行う企業であり、営業部員は顧客からの引き合いを持って工場長のもとへ納期の相談に訪れる。工場長はその場で即答することはせず、部下を集めて納期についての話し合いを行うスタイルを取っている。
設計課長は、現在の設計業務の状況を踏まえ、「今これだけの仕事を抱えているため、どんなに急いでも〇〇頃になる」という具体的な見通しを返答する。
資材課長も製造課長も、それぞれの部署で抱える事情を説明し、「この時期でなければ対応できない」という結論に至る。その結果、納期は自然と長期化してしまうことになる。
人は誰しも、自ら発言したことには責任を持たなければならない。自分で決めた期限に遅れるようなことがあれば、「自分で決めたはずなのに、なぜ守れないのか」と上司から責任を問われるのは避けられない。
そのため、上司から責任を追及されるのを避けるために、確実性を重視した上でさらに余裕を見込んだ期限を提示するのが常となる。P社も例外ではなく、その結果、提示される納期はかなり長期にわたり、顧客の要望とは大きくかけ離れたものになってしまうのが現状だった。
納期があまりに長すぎるため、「もう少し短縮できないか」という議論が持ち上がり、結果的に納期が多少短くなる。しかし、これは実際に短縮されたわけではない。工場長の面子を立てるため、最初に見込んでいた余裕分を削ったに過ぎないのだ。
それでもなお、そうした調整による納期では顧客の要求には到底応えられなかった。その結果、P社の納期は常に競合他社よりも長くなり、有利な受注を獲得することはほぼ不可能だった。この状況を目の当たりにして、私は強い危機感を覚えた。このままでは会社にとって重大な問題になると感じた。
ある日、私は工場長と二人きりで話し合う機会を持ったというより、意見を述べた。要旨は次のようなものだった。
「工場長の人間関係を重視する姿勢自体には反対しない。しかし、それが経営よりも優先されるのは問題だ。企業はお客様から仕事をいただいて成り立つものであり、それを忘れてはいけない。お客様は、会社の内部事情や都合など一切考えない。重要なのは、お客様の期待に応えることだ。」
お客様が考えるのは自分の立場だけだ。「この品物をこの期日までに欲しい」という要求を、ただシンプルにこちらに伝えてくるだけだ。企業の内部事情や制約には一切関心を持たず、それが叶うかどうかだけを見ている。
当然のことながら、会社の内部事情がお客様の要求と一致するはずがない。だからこそ、内部の制約や事情をどう調整し、お客様の要求に可能な限り近づけるかを考え、実現することが工場長の本来の役割だ。それを怠れば、企業の存続すら危うくなる。
あなたのように、部下の立場に立つことばかりを優先し、お客様の要求を後回しにしてしまうようでは、いずれお客様に見限られてしまうだろう。そうなれば、会社の信頼は失われ、最悪の場合、会社の存続すら危うくなる。
会社を存続させるためには、何よりもお客様の要求にどう応えるかを第一に考えるべきだ。そのためには、工場長自らが責任を持ち、自らの判断でお客様に納期の返答をする必要がある。部下の意見を聞かなければ決断できないというのでは、工場長としての役割を果たしているとは言えない。
激しい競争の中では、必ずしも十分な利益が確保できる価格で受注できるとは限らない。しかし、一定以上の収益を確保しなければ会社は存続できない以上、困難であってもやるべき仕事はやり遂げなければならない。それが現実であり、避けられない責務なのだ。
そして、それは決して生やさしいことではない。どれほど無理であっても、この仕事をやり遂げなければ会社は立ち行かないという現実を、部下にしっかり説明し、納得させる必要がある。そして、部下と共に死にもの狂いで努力し、全力を尽くさなければならない。「部下に無理を言ってはいけない」というのは、平和な環境での遊戯的な考え方に過ぎず、激しい競争が繰り広げられる企業戦争の中では通用しない理論だ。――そんな趣旨の話をした。
私の話をじっと聞いていた工場長は、「僕が間違っていた。あなたの言う通りだ。今日から改める」と言葉少なに応じた。失礼とも思えるほど率直に意見をぶつけた私を責めることなく、謙虚に自分を見つめ直し、即座に反省を口にしたのだ。それ以来、工場長は驚くほど変わった。その変わりようはまさに見事であり、私はこれほど短期間で考え方と行動を一新した人を他に知らない。本当に素晴らしい人物だと心から思う。
それ以降、営業部門から引き合いに対する納期の相談があった際、工場長は部下に一切相談することなく、「これはOK」「これはあと10日遅らせてもらいたい」と即座に判断し、返答するようになった。その迅速な対応により、以前のような無駄な時間の浪費はなくなった。
さらに、工場長は部下を集めて、「設計は〇日までに出図しろ。資材は〇日までにそろえろ。製造部門は〇日までに仕上げろ」と明確な指示を出すようになった。その際、部下の意向や事情を一切考慮することなく、トップダウンで厳然と押しつける形を取るようになった。
人間関係を重視する者の立場からすれば、このような一方的な指示の出し方は最悪の手法だとされるらしい。本当にそうなのだろうか。自らが火付け役となった以上、私は結果がどうなるのかを確かめるため、工場長の新たなやり方を後方から静かに見守っていた。
案の定、設計課長が反撃に出た。工場長の要求に対し、「それは無理だ。今、我々の部門はこれだけの仕事を抱えており、そんな短期間で対応するのは到底不可能だ」と強い口調で主張した。工場長の新しいやり方に対する反発が、早速表面化したのである。
工場長は冷静に応じた。「設計の言うことはよく理解した。その通りだろう。しかし、物事は説明がつけばそれで済むわけではない。君たちも知っているように、いま、我が社の業績は思わしくない。この状況で、次の昇給やボーナスの際に、『わが社の業績はこれこれだから、君たちにはこれだけの昇給、これだけのボーナスしか出せない』と説明したら、君たちはどう感じるだろうか?」と問いかけた。
工場長は続けた。「説明がついたからといって、低い昇給やボーナスで君たちは本当に納得するだろうか?たとえ会社の業績がどうであれ、君たちは世間並みの額を求めるはずだ。それは当然のことだし、もっともな要求だ。そして、どんなに会社の事情が厳しかろうと、その要求に応えなければならない。それが会社としての責務なのだ」と力強く語った。
工場長はさらにこう続けた。「会社の立場だって同じだ。会社はお客様あってのものだ。お客様の要求に応えなければ、会社は存続できないし、必要な売上を上げなければ、君たちに給料を支払うこともできなくなる。できるかできないかではなく、やるべきことを全力でやらなければならないんだ」と強い口調で言い切った。この言葉が決定打となり、設計課長の反撃は完全に封じられた。
これこそ真の工場長の姿だと感じた。私は心から感服した。「できたって、できなくたって」という一言は、まさに名言である。この言葉には、工場長の責任感と覚悟が凝縮されており、それが部下たちを見事に説得したのだ。この瞬間を境に、工場内の雰囲気は一変した。活気があふれ、全員が一丸となって取り組む姿勢が生まれ、生産性も目に見えて向上し始めたのである。
私は工場内の人々の意見を聞いてみた。職長たちは口々にこう答えた。「これまでは、上司がいろいろとうるさかった。今の仕事の状況はどうか、遅れていないか、何か問題はないかと、いちいち聞いてきて、打ち合わせや相談ばかりで落ち着いて仕事ができなかった。でも、最近はそんなことはなくなった。ただ『この仕事をいつまでにやれ』と指示があるだけだ。その指示は以前より厳しいが、余計な雑音がない分、仕事に集中できるようになった。なんて風通しがよくなったことか」といった声が返ってきた。
課長たちも、「初めは驚きましたが、よく考えると工場長の言う通りです。会社はお客様あってのものですから」と納得している様子だった。中には、ある課長が次のようにズバリ言い切る場面もあった。
「これまで、工場長は私たちに納期を尋ね、私たちに決めさせていました。それが人間関係重視だとか何だとか言われていましたが、明らかに工場長の『責任回避』だと感じていました。工場の納期に対する最終的な責任者は誰なのか。言うまでもなく、それは工場長です。その工場長が自分で決めず、私たちにその責任を押し付けていたのです。」
「納期が遅れた場合、その責任は工場長にはなく、納期を答えた私たちにあった。だから責任を追及されないように、充分余裕を持った長めの納期を答えていたのです。しかし、今は違います。工場長が自分の責任で納期を決めるようになりました。納期が遅れた場合、その責任は工場長自身が負います。これこそ、本来あるべき姿です。確かに、工場長の要求は以前よりもずっと厳しいです。しかし、不思議なことに、これまで以上に気持ちよく仕事ができています」と、ある課長は語った。
「人は自らの意志で物事を決め、それに基づいて行動する時、最も意欲を燃やす」という理論は確かに一理ある。しかし、それはその結果について他人に責任を負わなくてもよい場合に限る話だ。結果に責任を持たされる状況では、意志決定が慎重になり、意欲を燃やすどころか、自己防衛的な態度に陥ることさえある。
他人、特に自分の昇給や昇進を左右する上司に対して責任を負わなければならない状況では、人は真っ先に自分の責任回避策を考えるものだ。うまくいかなかった場合に備えた言い訳を準備することが優先され、積極的な行動や挑戦は後回しになりがちである。これが責任の所在が曖昧な環境や、上司の責任を押し付けられる環境で生じる典型的な心理だ。
責任を明確にするはずの「責任権限論」は、理論上では合理的に思えるが、現実にはしばしば「それは私の責任範囲ではありません」「その権限は与えられていません」という責任逃れの「隠れみの」として利用されていることが多い。これでは本来の目的である責任と権限の適正な分配が形骸化し、組織全体の機能不全を招きかねない。
このような振る舞いは、人間の「自己防衛本能」に根ざしたものであり、ごく自然なことだ。それがまさに人間性の本質と言える。この本質を理解せずに人を動かそうとするのは無理がある。人間性を無視したリーダーシップやマネジメントは、結果的に組織を停滞させるだけでなく、信頼関係をも失わせることになるのは明白だ。
この事例は、人の上に立つ者がまず自ら全責任を負う姿勢を示すことが、いかに正しく、そして有効であるかを教えてくれる。リーダー自身が責任を引き受けることで、部下は初めて本当の意味での責任感を抱くようになり、その責任を果たすために全力で行動するようになるのだ。この姿勢こそが、組織全体の士気を高め、成果を生み出す原動力となる。
「人の上に立つ者は、自らが全責任を負う」というごく当たり前のことが、間違った人間関係論によって歪められてしまっている。その結果、「部下に相談せずにワンマンで決定してはいけない」とか、「部下の立場を無視してはいけない」といった論理が正当化されている。しかし、これらの主張が強調されすぎると、リーダー自身の責任感が希薄になり、逆に組織全体の効率や士気を損なうことになる。本来、人間関係論とは責任の所在を曖昧にするためのものではないはずだ。
上司にとって最も大切なことが「部下の立場を考えること」だという風潮が蔓延すると、上司自身の責任感や企業経営の本質は二の次となり、完全に本末転倒の状況に陥ってしまう。その結果、上司が優柔不断に見えたり、リーダーシップを発揮できないと感じられたりして、かえって部下からの信頼を失うことになる。上司が本来担うべき責任を曖昧にすれば、組織全体の方向性も揺らぎ、部下の士気やモチベーションも低下してしまうのは避けられない。
この例とまったく同じような話を、ある会社の課長が憤慨しながら私にぶちまけたことがある。「いったい、うちではお得意様からの注文を誰が決めるのか。経営者は部長に意見を聞き、部長はわれわれ課長に聞いてくる。そして、われわれが『イエス』や『ノー』と答えたことが、そのまま部長や経営者を通じてお得意様に返される。これでは、経営者や部長がまるで責任を取らず、われわれに全て押しつけているように感じる。こんな頼りない経営者や部長のもとで働くなんて、本当に嫌になる」と、その課長は怒りをあらわにしていた。
部下の信頼を失うだけで済むならまだしも、それ以上に深刻なのは、こうした無責任な経営者が最終的に会社を潰してしまう可能性があることだ。経営者は、「企業あっての人間関係」であることを忘れてはならない。「人間関係あっての企業」ではないのだ。経営者に課された最大の使命は、どのような状況においても企業をあらゆる危機から守り、存続させることにある。これを見失えば、企業も、そこで働く人々も未来を失うことになる。
だからこそ、経営者は会社を存続させるための条件を、自らの責任と意志で明確に決定し、それを部下に示して協力を求める必要がある。しかし、その条件は過去の実績や慣例から見れば、常に「不可能」と思えるものであることが多い。その主な原因は、猛烈な賃金の上昇にある。経費が膨れ上がり、利益確保がますます困難になる中で、現状維持では存続が危うくなる。だからこそ、不可能と思われる目標に挑戦し、それを可能にするために全員が全力で取り組む必要があるのだ。
過去には不可能だったことを、何としてでも可能なものへと変えていかなければ、会社の存続はあり得ない。環境の変化や競争の激化、コストの上昇など厳しい現実がある中で、従来のやり方や限界に固執していては、未来を切り開くことはできない。不可能を可能にする覚悟と行動こそが、企業を存続させる唯一の道なのである。
この厳しい現実を直視し、社員を説得して動機づけを行い、全員が一丸となって必要な収益を上げていかなければならない。社員の意見を聞くこと自体は重要だが、それにただ従うだけでは、現状維持や安全策に終始し、確実に会社を衰退させてしまう。経営者やリーダーは、社員の意見を尊重しつつも、最終的には自らの責任で決断し、方向性を示さなければならない。それが会社を存続させるためのリーダーシップの本質である。
この事例では、工場長が「人間関係重視」を理由に、部下の意見を優先して顧客の納期を後回しにすることが、経営に悪影響を与えたことが示されています。部下に納期を相談し、各部署が安全策を取るために長めの納期を返答した結果、顧客の要求に応えられず、受注競争で不利な立場に置かれてしまいました。
工場長は、上司としての責任を明確にするために、自分で納期を決定し、部下に指示を出すスタイルへと転換しました。この際、「お客様あっての会社であり、その要求に応えるのが会社の存続に必要だ」という姿勢を部下に示すことで、部下たちの納得と協力を得ました。
このエピソードが示すのは、上司が全責任を引き受け、明確に方針を打ち出すことが、部下のやる気や責任感を引き出し、組織全体の意欲を高めるという点です。適切なリーダーシップを発揮するためには、上司が「企業の存続と顧客満足」という最優先事項を忘れず、部下の意見に流されずに決断することが重要であるとされています。
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