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人は誰の近くにいるかで変わる
若き日の皇太子がどのような人物と交わるか――それが後の人格形成と国家の命運を左右する。
唐の太宗は、皇太子時代に柴紹や竇誕と交遊したが、彼らから悪い影響を受けなかったのはなぜかと問い、自らを省みた。
それに対して名臣・魏徴は、人は中途半端な存在であれば善にも悪にも染まるが、真に優れた人物は悪に染まらないと答えた。
本章が語るのは、「近習=近くにいる人」の重要性である。
皇太子の補佐役が賢人であれば聖君となり、邪悪な者であれば暴君になる。
人は環境に大きく左右される。だからこそ、自らの周囲に誰を置くかには、極めて慎重でなければならない。
「誰といるか」が「誰であるか」を形作る。これは、現代でも変わらぬ真理である。
出典(ふりがな付き引用)
「人(ひと)の善悪(ぜんあく)は、近習(きんじゅう)に由(よ)ること明(あき)らかなり」
「中人(ちゅうじん)は以(もっ)て善(ぜん)を為(な)すべく、以て悪(あく)を為すべし。然(しか)れども、上智(じょうち)の人(ひと)は自(おの)ずから染(そ)まること無し」
「鄭声(ていせい)を放(はな)ち、佞人(ねいじん)を遠(とお)ざけよ」
注釈
- 近習(きんじゅう):身近に仕える者、皇太子の補佐や側近。影響力が非常に大きい。
- 中人(ちゅうじん):凡庸な人。環境次第で善にも悪にもなる。
- 上智(じょうち):生まれつきすぐれた知恵を持つ人。影響されにくく、徳を保つ。
- 鄭声(ていせい):古代中国・鄭国の音楽。淫靡で風紀を乱すとされ、孔子が忌避した。
- 佞人(ねいじん):口先だけで人を惑わす者。政治を乱す存在として警戒される。
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