MENU

財多ければ、志を失う


目次

富を持つより、志を持て

貞観四年、太宗は高官たちに向かって、己が日々努力するのは民を思う心だけでなく、臣下たちが安泰に生き続けることを願ってのことだと語った。
天を仰ぎ、地を踏みしめるごとに、身を慎み、法を守り、私利を戒めよ――それが為政者の心得である。

太宗は引用する。
「賢者は多くの財を得ればその志を損ない、愚者が財を得れば過ちを起こす」と。
これは、ただ金銭の多少を論じているのではなく、「財を持つにふさわしい心」を問う言葉である。

私利私欲を求めることは、法を破ることだけに留まらず、心に恐れを生じさせる。
たとえ罪が表に出なかったとしても、いつも心に不安を抱えながら生きることになる。
その果てには、心身を損ない、命を縮めることすらある。
たかが財物のために、自らの志と命を傷つけ、子孫にまで恥を残してよいのか――
太宗は、この問いを臣下たちに投げかけた。

この章が教えるのは、**「清貧は恥ではない、むしろ過ちのない生き方こそが誇りである」**という価値観である。
財の多寡に惑わされず、己の志と誠実を保つことが、真の富貴への道である。


出典(ふりがな付き引用)

「古人(こじん)云(い)う、『賢者(けんじゃ)多(おお)く財(ざい)あれば其(そ)の志(こころざし)を損(そこ)ない、愚者(ぐしゃ)多く財あれば其(そ)の過(あやま)ちを生(しょう)ず』と」
「若(も)し私(わたくし)に徇(したが)い濁(にご)りを貪(むさぼ)らば、止(た)だ公法(こうほう)を壊(やぶ)るのみならず、百姓(ひゃくせい)を損(そこ)なう」
「縦(たと)い事(こと)未(いま)だ発聞(はつぶん)せずと雖(いえど)も、中心(ちゅうしん)豈(あに)常(つね)に懼(おそ)れざらんや」
「懼(おそ)れ多(おお)ければ、因(よ)りて死(し)に致(いた)すも有(あ)り」
「大丈夫(だいじょうふ)豈(あに)得(え)て苟(いやしく)も財物(ざいもつ)を貪(むさぼ)らんや」


注釈

  • 兢兢業業(きょうきょうぎょうぎょう):常に慎み、畏れ、身を律する態度。天命に対する敬虔な姿勢。
  • 徇私貪濁(じしんたんだく):私利私欲に従って不正を行うこと。
  • 発聞(はつぶん):罪や過失が他人に知られること。表沙汰になること。
  • 大丈夫(だいじょうふ):理想的な立派な人物を意味する儒教用語。人格と節義を重んじる者。

パーマリンク(スラッグ)案

  • wealth-tests-character(財が人間性を試す)
  • greed-undoes-honor(貪欲は名誉を損なう)
  • rich-in-virtue(徳に富め)

この章は、「財産を持つこと」そのものではなく、それに見合う節度と志を持てるかという根源的な問いを我々に投げかけています。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次