孟子は、老人を養うためには適切な方法で資源を分配し、家庭内で自立できる仕組みを作ることが大切だと教えた。例えば、五畝の宅地に桑を植え、婦人が養蚕を行うことで、老人は絹の服を着ることができる。さらに、五羽の雌鶏と二匹の雌豚を飼い、その繁殖を続けることで、肉に困ることはない。百畝の田地を一人の男が耕作すれば、八人の家族は飢えることなく生活できる。文王(西伯)が老人を大切に養ったというのは、このように田地や宅地を整え、桑を植え、家畜を飼うことを教え、家族全体で老人を養う方法を実践したからである。孟子は、五十歳を過ぎれば絹の服が必要になり、七十歳を過ぎれば肉を食べなければ満足できなくなると言い、そのような生活を「凍餒(凍え飢えること)」と呼んだ。文王の治下では、凍餒に苦しむ老人は一人もいなかった。これは、まさにこのような方法を実践していたからだ。
「孟子曰(もうし)く、五畝の宅、牆下に樹うるに桑を以てし、匹婦之に蚕すれば、則ち老者以て帛を衣るに足る。五母雞、二母彘、其の時を失うこと無ければ、老者以て肉を失うこと無かるべし。百畝の田、匹夫之を耕せば、八口の家以て飢うること無きに足る。所謂西伯善く老を養うとは、其の田里を制して之に樹畜を教え、其の妻子を導いて其の老を養わしむればなり。五十は帛に非れば煖かならず。七十は肉に非ざれば飽かず。煖かならず飽かざる、之を凍餒と謂う。文王の民には、凍餒の老無しとは、此れの謂なり」
「五畝の宅地に桑を植え、婦人が養蚕を行うと、その家の老人は絹の服を着ることができる。五羽の雌鶏と二匹の雌豚を飼い、その繁殖時期を失わないようにすれば、肉に困ることはない。百畝の田地を一人の男が耕作すると、八人の家族は飢えることなく生活できる。文王(西伯)が老人を養ったと言われるのは、このように、田地や宅地を整え、桑を植え、家畜を飼うことを教え、その妻子が家族全体で老人を養うようにしたからです。五十歳を過ぎると、絹の服がなければ温かさを感じません。七十歳を過ぎると、肉がなければ満足できません。このように温かさがなく、満足のいかない食事は「凍餒」と呼ばれ、文王の治下では、凍餒に苦しむ老人は一人もいなかった」
孟子は、適切な家庭内での養育と、老人の生活を豊かにする方法を重視し、それが民の幸福と社会の安定につながると教えた。
※注:
「五母雞」…五羽の雌鶏。
「二母彘」…二匹の雌豚。
「田里」…田地と宅地を指す。
「樹畜」…桑を植えることと、家畜を飼うこと。
「凍餒」…温かさがなく、満足のいかない食事。
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