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経済圏は行政区分と一致しない

市場戦略におけるテリトリーの区分は、行政区分と必ずしも一致するわけではないことを理解しておく必要がある。この点を見落とすと、重要な局面で戦略の遂行に支障をきたす可能性がある。このような事態が発生する主な原因は、大きく分けて二つに分類できる。

その理由は次の二点に集約される。

(1) 江戸時代の「国」と現代の府県区分が一致していないこと。歴史的な地理区分が現在の行政区分に反映されていないため、地域の感覚が異なる場合がある。

(2) 地理的条件や気象条件が人々の移動に影響を与えること。山や川といった自然の障壁や季節ごとの気象条件が、実際の商圏や生活圏を行政区分とは異なる形に形成している。

これら二つの要因は、それぞれ独立して影響を及ぼす場合もあれば、相互に関連し合いながら複雑な影響を与えることもある。この点を踏まえ、以下で詳しく考察していく。

江戸時代の「国」と現在の府県区分が一致していないことが実感されたのは、青森県八戸市のスーパーを手伝ったときのことだ。店内にはインストアベーカリーとして青森市のパン屋が入っていた。この配置は一見すると合理的に見えるが、地元の人々の感覚では八戸市と青森市は明確に異なる文化圏であり、この組み合わせに違和感を覚える声も少なくなかった。江戸時代の区分で見ても、これらの地域は異なる歴史的背景を持ち、行政的な区分と実際の地域感覚との乖離を強く感じる例であった。

そのパン屋は、どうも積極的に取り組んでいる様子がなかった。いろいろと話し合いを重ねても反応が鈍く、提案にも積極的な姿勢が見られない。品揃えはどこか中途半端で、顧客対応にも熱意が感じられず、どことなく義務的に仕事をこなしているような印象を受けた。この態度が店舗全体の雰囲気や売り上げに悪影響を与えていることは明らかだった。

業を煮やした社長は、最終的にこのパン屋を追い出し、直営に切り替える決断を下した。しかし、冷静に考えると、この提携がうまくいくはずがなかった理由が見えてくる。同じ青森県内であっても、青森市はかつて津軽藩の領地、八戸市は南部藩の領地だった。歴史的にこの二つの藩は「犬猿の仲」とされており、その対立の記憶は現代の地域感覚にも少なからず影響を与えている。このような背景を考慮せずに提携を進めた結果、双方の間に溝が生まれ、協力が円滑に進まなかったのだろう。

大阪の商事会社が北陸地方に進出し、富山市に営業所を開設した際、思わぬ問題に直面した。

金沢市の業者に送ったDMが送り返されてきた。通常、興味のないDMはそのまま廃棄されるものだが、なぜわざわざ郵送料をかけてまで返送してきたのだろうか。

金沢は前田百万石の城下町であり、その領地は当初、富山県内では高岡と富山の間にある呉羽山までに限られていた。

つまり、富山は元々他領であり、後に前田藩に編入されたものの「外様」の立場だった。そのため、「外様のくせに、金沢のご城下の会社にDMを送るとは失礼だ」という感情があったのだろう。

たとえ本社が大阪にあっても、営業所が富山市にある場合、顧客はその会社を「富山市の会社」と認識する。したがって、どの地域をどう攻略するかという戦略は、営業所の所在地を拠点として考えなければならない。

顧客は名刺やカタログに記載された営業所の所在地を見て、その会社を受け入れるか、あるいは拒否するかを判断する。この点をしっかりと理解し、頭に刻んでおく必要がある。

だからこそ、富山県全域を攻略するには、富山市と高岡市の両方に営業所を構える必要がある。さらに、高岡市からであれば金沢市を攻めることも可能だ。何しろ高岡市には前田藩の城があったため、金沢と同じく「ご城下」として認識されているからである。

広島県福山市のT社を訪問し、得意先の分布を調べたところ、県都の広島市にはほんのわずかしか取引先がなく、岡山県に集中していることが分かった。社長と話をしても広島市への関心は薄く、話題の中心は岡山県の取引先だった。さらに、新規開拓に関しても、広島市ではなく北九州や大阪への進出を目指している様子だった。

福山市は備後の国に属し、広島市は安芸の国に属する。広島は福山から見れば他国であり、一方で岡山県は備前・備中といった同じ「備」の地域に含まれる閉じた圏域である。このため、福山の人々は自然と岡山県に目を向ける傾向がある。福山を攻略するには、岡山から攻めるのが理にかなっているのだ。江戸時代の藩の区分は、日本列島に人間が住みつき、経済活動を行う中で、自然に形成された経済圏の歴史的な積み重ねに基づいていると言える。

地理的条件、気象条件、土質、水質といった要因が産業や流通の形を自然に決定してきた。その結果、人々の集散や移動、定住のパターンが形成され、地域特有の特性、風習、文化が育まれてきた。また、隣接する国との間で争いが起こることもあり、これらが地域の歴史や経済圏の成り立ちに影響を与えた。

何千年もの歴史の中で形づくられた経済圏や人々の考え方は、明治維新による廃藩置県で旧藩の影響を断ち切ろうと、故意に分割や統合が行われたとしても、簡単には変わるものではない。そのため、県単位で物事を考えると、実際の地域性や経済圏と乖離し、誤った判断をする場合が出てくるのである。

岩手県の経済は、北上山脈によって三陸海岸と内陸部に二分されている。その地理的条件は交通や物流にも大きな影響を与えている。かつて三陸地方の大船渡市でコンサルティングを行った際、花巻空港から北上山脈を横断して大船渡市に到達するまで、自動車で2時間半もかかった。この距離感と移動の困難さが、地域間の経済交流に制約を与えていることを実感した。

その道中には、目立った市街地はほとんどなく、道筋から少し外れた場所に遠野市がある程度である。交通機関が発達した現代においてさえ、このような地理的隔絶が経済圏を自然に分断してしまうのだ。この事実は、地域の地形や歴史が、現代の経済活動にも強い影響を与え続けていることを示している。

福島県は、阿武隈山脈によって「浜通り」(太平洋岸)と「中通り」(東北本線沿い)に分かれ、さらに「会津」が独立した市場として存在し、三分割された経済圏を形成している。実際に郡山からいわき、あるいは郡山から東山温泉まで自動車で移動すると、その交通量の少なさから、地域間の経済的つながりが希薄であることを肌で感じることができる。これも地理的条件が経済圏を自然に分断している例と言える。

興味深いのは、NHKの天気予報だ。福島県の画面では、前述の三地区(浜通り、中通り、会津)ごとに予報が出るのは当然として、さらに画面の左上には新潟県の天気予報が表示される。この配置から、会津地方と新潟県中越地方との経済的・社会的な結びつきがうかがえる。天気予報という日常的な情報提供の中にも、地域間のつながりや交流が反映されているのだ。

戊辰戦争の際、会津藩と越後の長岡藩は幕府側に属して戦ったが、薩長軍に敗北した。この歴史的背景から、明治政府はこれらの地域を冷遇する態度をとった。この扱いが、会津地方と中越地方の結びつきをさらに強め、現在の経済的・文化的な関係性に影響を与えているとも考えられる。

郡山市のM社は、郡山・いわき・会津若松・東京に店舗を展開する洋装品チェーンだ。社長からの相談は、「この店舗展開が適切かどうか」というものだった。ここでもよく見られる「東京進出」が問題の焦点となっている。

私の見解はこうだった。「東京は採算が取れないから撤退すべきだ。また、会津若松もおそらくうまくいっていないだろう。理由は経済圏が異なるからだ。それよりも、栃木県北部に進出したほうが成功の可能性が高い」と。するとM社長は驚いた様子で、「一倉さん、どうして私に何も聞かずにそんなことまで分かるんですか。おっしゃる通り、東京は業績不振で撤退を決めたところです。会津若松もパッとしません。それに言い忘れていましたが、栃木県大田原に最近出店したところ、そこは好調です」と話した。

社長のやり方は基本的に一貫しているはずだ。だからこそ、業績の良し悪しは市場原理と市場特性によって左右されるのである。

東京の不振は過大な競争がある大市場での戦いが原因であり、会津若松の不振は異なる経済圏での展開が失敗した結果だ。一方で、栃木県の大田原が好調なのは、昔から福島県の人々が北栃木地方へ移り住んでおり、実質的に同一の経済圏を形成しているためである。同様に、北茨城地区も福島県からの移住者が多いため、いわき市を拠点として攻めることで成功の可能性が高くなる。これらの事例は、地理的・歴史的背景が経済圏形成に大きな影響を与えることを示している。

広島市のY社長がこう語っていた。「今年から新市場開拓を島根県と岡山県で同時に進めましたが、島根県は順調なのに岡山県は全く振るいません」。これには地図を見れば一目瞭然の理由がある。広島県と島根県の県境にある中国山脈は標高が低く、交通の便が比較的良かったため、歴史的に人々の交流が盛んだった。一方で、岡山県との間には地理的・経済的な隔たりが大きく、広島からの進出が難しい背景があると考えられる。

岡山県は平地が多く土地が豊かだったため、他国との交流を強める必要がなく発展してきた。その特徴は現在でも工業県として表れている。

大阪府と奈良県、和歌山県の関係は大きく異なる。大阪府と奈良県の県境は山というより丘に近く、昔から経済的交流が活発だった。その影響は現在も続いており、阪奈国道の交通量が非常に多いことからもそれがうかがえる。

阪和自動車道は、大阪府松原市の松原ジャンクションを起点とし、和歌山県田辺市の南紀田辺インターチェンジに至る高速道路で、全線が開通しています。

一方、大阪府と和歌山県の間の経済的交流は、地理的条件や歴史的背景により、他の地域と比べて活発ではないとされています。 そのため、高速道路の整備に対する地元の関心が低く、工事の進捗が遅れる要因となっている可能性があります。

大阪は商人の町として栄え、和歌山は「ご三家」の一つとして気位が高い。これにより、大阪と和歌山は文化や性質が異なり、互いに馴染みが薄い。そのため、大阪や堺の人々は、和泉山脈を越えることを避け、関わりを持たないことが多かった。

離島や半島地域には特有の経済的特徴が存在する。主に北海道、四国、九州といった地域が該当し、これらは自給自足的で閉鎖的な経済構造を持つ傾向がある。

渥美半島を攻略するには、まず豊橋を拠点とすることが重要となる。五島列島は長崎市、大隅半島や薩摩半島は鹿児島市を基盤とする形が基本だ。特殊な経済圏として注目すべきは、徳川御三家の所在地であった名古屋、水戸、和歌山である。

これらの都市は、単に愛知経済圏、茨城経済圏、和歌山経済圏に属するわけではなく、それぞれが独自の経済圏を形成している点が特徴的だ。徳川御三家の城下町としての誇りが、これらの独自性を生み出した要因といえる。

経済圏が異なれば、市場戦略も当然変わってくる。どこを起点に攻めるのか、どのような手法で攻めるのかといった選択が鍵となる。「郷に入っては郷に従え」という格言を無視すれば、戦略そのものが破綻する可能性があるからだ。

社長たる者、自らの商圏がどの経済圏に属するのかを自ら調査し、戦略を立案する必要がある。その上で、明確な方針を打ち出し、実戦を通じて結果を検証し、方針の適否を判断すべきだ。誤りがあれば迅速に修正することが求められる。

「試行錯誤」こそが、各テリトリーに適した方針を見出すための最重要かつ最速の手段であることを、常に心に留めておく必要がある。

市場戦略において、経済圏が行政区分とは異なることは重要です。経済圏とは、人々の移動や商流に基づいた実際の商圏のことを指し、行政的な府県の区分とは必ずしも一致しません。この認識が不足すると、戦略の遂行に支障が出ることがあるため、以下の点に注意が必要です。

  1. 歴史的背景
    江戸時代の藩分けが、現在も人々の心理や商慣習に影響を及ぼしています。たとえば、青森県の八戸と青森市の関係や、富山と金沢の関係では、旧藩の境界が現代の商圏にも影響を残しています。同じ県内でも、旧藩の違いが経済活動に影響を与えるため、営業拠点の配置にも工夫が必要です。
  2. 地理的条件・気象条件
    地形や気候により人の移動が制限されることも多くあります。福島県が「浜通り」「中通り」「会津」と分かれているように、自然の障壁や道路状況なども経済圏を分けています。このため、地域ごとに経済圏を理解し、適切な場所に拠点を設けることが大切です。
  3. 歴史的な経済圏
    徳川御三家(名古屋、水戸、和歌山)など、特定の地域が独自の経済圏を形成している場合があります。これらの地域には、外部の企業に対する拒否反応や独自の商習慣が残る場合があるため、進出の際には現地文化に敬意を持ちつつ適応することが求められます。
  4. 離島・半島の経済特性
    北海道や九州などの離島や、半島などの地域は自足的な経済圏が形成されやすく、独自の市場として扱う必要があります。

市場を行政的な区分で捉えるのではなく、地理や歴史的な背景を含めた経済圏で理解し、「どこから攻め、どう攻めるか」を地域ごとに戦略的に考えることで、より効果的な市場拡大が可能になります。

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