M社から「昨年立てた長期経営計画を全面的に見直さなければならないので診てもらいたい」という依頼があった。やっぱりな、という直感が働き、どの部署が計画を立案したのか尋ねると、企画室だという。案の定だ。計画がうまくいかなかった原因は、経営者自身がその計画を立てていない点にある。
トップの意図を立案者に正確に伝えるのは、簡単なメモや口頭のやりとりでは到底解決できない難題だ。立案する側にとっては非常に骨が折れる作業となる。私もこれまで、そうした立案者たちの悩みをよく耳にしてきた。その多くは、社内の各部門にどのように役割を割り振るかという点に集約される。
どんなに苦心しても、最終的には各部門の長から叱責を受けることになる。部門の長のほうが立案者よりも役職が上だからだ。結果として、立案者は部門の長の意向を優先しがちになり、社長の意図を実現するという本来の目的が後回しになる。ここに大きな問題が潜んでいる。うまく割り付けができればまだ救いがあるが、それすら難しい場合も少なくない。
割り付けすらできず、行き詰まっている気の毒な人々も少なくない。その結果、計画がまとまるはずもなく、混迷を深めるばかりだ。それにもかかわらず、「案ができていないから検討のしようがない」と、責任を部下に押し付ける経営者が少なからずいる。こうした態度こそ、まさに無責任な経営者の典型と言えるだろう。
経営層で立案する場合でも、役員の一人が単独で計画を立てることがある。しかし、これも問題だと私は考える。個人の「推測」や「偏見」が計画に反映されるのは避けられないからだ。それだけではなく、他人がまとめた数字の根拠やその意味を、短時間で正確に理解するのは至難の業だ。そのため、不十分な検討のまま計画が承認される危険性が大いにある。
立案を誰かに任せた場合、その人物が実質的な社長と同じ立場になる。企画室の係長であっても、計画を立てる役割を担った時点で、計画に関しては実質的な社長となる可能性がある。これでは計画に権威も重みも生まれるはずがない。社内の人間はその実態を見抜いているため、計画自体を軽んじるようになる。結局のところ、これは社長自身の無責任が招いた結果と言えるだろう。
経営計画は、社長の意図を具体的な形にするものであり、会社の将来の方向性を明確にし、全社員の活動の基準となる最高の指針だ。そのような重要な計画を、たとえ立案段階であっても部下に任せるのは誤った委任である。経営計画は社長自らが深く関与し、その意図と責任のもとで策定されるべきものだ。
忙しいという理由は、経営計画を他人任せにする正当な言い訳にはならない。経営計画こそ、経営者が最優先で取り組むべき最も重要な仕事である。これを自ら行わない経営者は、経営者としての責任を放棄していると見なされても仕方がない。その批判に対して、反論の余地はないだろう。
経営計画は、経営層だけで徹底的に討議し、最終的に社長が決定するのが本来あるべき姿である。下部の者を計画の策定に参画させる必要はない。譲歩するとしても、部門の最高責任者までにとどめるべきだ。下部の者を無闇に参画させれば、計画が平凡でありきたりなものになるだけだということを理解しなければならない。経営とは民主主義ではなく、トップの明確なビジョンと判断が求められるものだ。
経営計画会議では、経理部門や企画部門から提出される客観的な記録や情報を活用するが、それらの部門の主観的な意志は排除する必要がある。会議では、提供された数字や情報を一つ一つ丁寧に検討しながら、計画の具体的な数字を決定していく。計画は、客観的な情勢に基づき、その変化に対応して生き残るための条件を明確にするプロセスである。その中核にあるのが、必要利益の確保と市場占有率の維持であり、それを基準として計画が検討され、決定されていく。
会議で決められる数字は、過去の実績から見れば無理であり、不可能に思えるものばかりであることは確かだ。しかし、その不可能を可能へと変えていくことこそが経営者の使命だ。経営者は、そのための方策を徹底的に考え抜き、実現の道筋を具体的に描かなければならない。ここにこそ、経営計画が単なる飾り物に終わるか、それとも実効性のある本物の計画になるかの分岐点がある。
方策の検討に部下を参画させるのは非常に意義がある。重要なのは、経営における参画とは「決定そのもの」についてではなく、「決定を実現するための具体的な方策」について行うべきだということだ。部下たちが現場の知識や経験をもとに方策を提案し、それを実行可能な形に落とし込むプロセスこそが、経営における真の協力関係を築く鍵となる。
経営計画の策定には、十分な時間をかけるべきだ。経営計画を急いで済ませることほど、時間の使い方を誤る例はない。これは、会社の未来を左右する「最高方針」を決める極めて重要な作業であるからだ。経営計画は、経営層のみで徹底的に討議を重ね、その結果をもとに最終的に社長が決定するのが本来あるべき姿である。このプロセスを省略したり簡略化することは、計画の価値そのものを損なうことにつながる。
経営計画の策定には、下部の者を参画させるべきではない。譲歩するとしても、参加を許すのは部門の最高責任者までに限るべきだ。下部の者をいたずらに参画させると、計画が平凡で凡庸なものになってしまうだけである。この点をしっかりと認識しなければならない。経営とは民主主義ではなく、明確な意思決定とリーダーシップによって成り立つものである。
優れた経営計画は、その策定に費やした時間をはるかに上回る効率をもたらす。計画にかけた時間の何千倍、何万倍もの時間を、実行段階で節約することが可能になるのだ。それこそが、経営計画に十分な時間を割くべき最大の理由である。
経営計画は、経営者自身が深く関与して自ら立案するべきものであり、経営の根幹をなす方針です。他部門に任せたり、形式的に作成するものではありません。計画の意図がブレると、企業の方向性が曖昧になり、計画の実現が難しくなるだけでなく、社内のモチベーションも低下しがちです。
経営計画の立案には、社長や経営層が時間をかけ、目標達成に必要な不可能を可能にする方策を徹底的に考え抜くことが不可欠です。これは、経営者が自らの決意を示し、組織の未来を照らすための行動でもあります。部下の意見を聞くべきは「決定を実現するための具体策」の検討段階であり、計画そのものの決定は経営者が行うべきです。
実行力のある計画とは、過去の実績では無理に見える数値や目標を掲げ、それを達成するための戦略を練り上げたものです。このような計画があることで、企業は「最高方針」に基づき、一丸となって行動しやすくなり、また成果を上げやすくなります。
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