【現代語訳】
貞観七年(633年)のこと、工部尚書(尚書省の建設・製造関連を主管する官庁の長官)であった**段綸(だんりん)**が、**楊思斉(ようしせい)**という巧みな技術を持つ職人を太宗に推薦した。
楊思斉が召され、太宗が何か作らせようとしたところ、段綸は彼に**からくり人形(傀儡)**を作らせた。
それを見た太宗は段綸にこう言った。
「推薦する職人というのは、本来は国のために役立つ者のことだ。なのに、そなたは真っ先にこのような戯れの玩具を作らせた。私は日ごろから、職人たちが互いに奇を衒い、無用な技巧を競ってはならないと戒めている。この作品が、その趣旨に合致しているとでも思うのか?」
そして、太宗は段綸の位階(官位)を引き下げる詔勅を発し、あわせて工部の職人には娯楽用のからくりや玩具の制作を禁止する命令を下した。
【注釈と語句解説】
- 工部尚書(こうぶしょうしょ):尚書省の六部の一つである工部の長官。土木建築や器械、製造業務などを管理。
- 段綸(だんりん):工部尚書として唐初期に仕えた官僚。詳細な事績は少ないが、本章の逸話でのみ言及される。
- 楊思斉(ようしせい):高度な技術を持つ職人で、からくり人形を作ることで知られる。
- 傀儡(くぐつ):糸や仕掛けで動かす人形。演芸や見世物としての用途が中心。
- 奇巧(きこう):珍しく巧妙な技巧、あるいは技巧を競い合うこと。儒教的価値観では無益な技巧とされ、しばしば戒めの対象。
- 詔(みことのり):皇帝の命令を伝える公式な文書・宣言。
【解説】
この章では、唐の太宗が**「技術の実用性」に重きを置き、「装飾的・娯楽的な技巧」**を退ける姿勢を明確にしています。
推薦された職人・楊思斉がまず作ったのは「からくり人形」という娯楽・見世物の類。これに対して太宗は、「職人は国家のために実用的なものを作るべきだ」とし、そのような無用の技巧を良しとしない方針を強調しています。
唐代はまだ国家の体制が安定して間もない時期であり、政治・軍事・土木などの分野で実用重視の姿勢が必要でした。からくり人形のような技術は、たとえ精巧であっても、「贅沢・遊興の象徴」であり、儒教的価値観では軽んじられました。
太宗が段綸の位階を下げたのは、単なる趣味の問題ではなく、為政者として「公私の区別を失ってはならない」という訓戒を示したものです。また、それを機に工部全体に「奇を衒うことを禁ずる」という制度的な引き締めも行いました。
【総評】
この章の要点は、以下の二点です:
- 技術や才能の評価は「公共性・実用性」が基準であるべき
- 指導者の好みや判断が、国家の方向性を左右するという「慎所好」の精神
まさに「好むことを慎め」の教訓を実践した事例といえるでしょう。
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