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第十一章  国を治めるのは木を植えるのと同じ

貞観九年(635年)、太宗は側近の者に言いました。

「かつて、初めて隋の都・長安を平定した時、宮中の宮殿はどこも美女や珍しい宝物で満ち溢れていた。しかし、煬帝はそれでも足りないと思い、取り立てをやめることなく、東西に遠征し、武力を使って理由のない戦争を繰り返しました。人民はその過酷さに堪えきれず、最終的には国の滅亡を招いたのです。これは、私がこの目で見たことです。だからこそ、私は朝から夜まで怠らずに働き、ただ静謐に暮らして天下の無事を望むようにしてきました。そして、最終的に人民の間に過重な労役は生じず、穀物は豊作となり、人々は安楽に暮らせるようになったのです。

国を治めるというのは、木を植えて育てるのと同じです。木の根がしっかりしていれば、枝や葉は自然と茂ります。君主が静かに心を治め、穏やかな政治を行えば、人民は必ず安楽に暮らすことができるのです。」


解説

この章では、太宗が統治における重要な教訓を語っています。彼は、隋の煬帝のように物質的な満足を追い求めて過度な戦争を繰り返し、結果的に国を滅ぼした例を引き合いに出し、治国のためには「静謐」を保つことの重要性を強調しました。

治国は木を育てることに例えられ、根がしっかりしていれば、枝葉が茂るように、君主が安定した治世を維持すれば、人民の生活も安定するという考えです。過度な負担をかけず、静かに治めることこそが、国を繁栄させる道であるという太宗の考えが示されています。

目次

『貞観政要』巻一「貞観初論政要」より(貞観九年)


1. 原文

貞觀九年、太宗謂侍臣曰、
「往昔、初めて京師に入るや、宮中の美女・珍玩、院に満ちざる無し。煬帝、意足らずして、徴求止まず。東西に征討し、兵を窮め武を黷し、百姓堪えずして、遂に滅亡に致る。此れ皆、朕の目見する所なり。故に夙夜孜孜として、惟だ欲すらくは政を清くして、天下をして事無からしめんと欲す。願わくは徭役興らず、年穀豊稔にして、百姓安楽ならんことを。
夫(それ)国を治むるは、樹を栽(う)うるが如し。本根搖がざれば、則ち枝葉、茂りて榮ゆ。君、能く政を清むれば、百姓、何ぞ安楽ならざらんや。」


2. 書き下し文

貞観九年、太宗、侍臣に謂いて曰く、
「往昔、初めて京師に入るとき、宮中の美女・珍玩(ちんがん)、院に満たざるは無し。煬帝、意足らずして、徴求やまず。東西に征討し、兵を窮め武を黷(けが)し、百姓堪えずして、遂に滅亡に至る。此れ皆、朕が目に見し所なり。
故に夙夜(しゅくや)孜孜(しし)として、ただ政(まつりごと)を清むることを欲し、天下をして事無からしめんと欲す。徭役興らず、年穀豊かに稔(みの)り、百姓安楽ならんことを得んと願う。
それ国を治むるは、樹を栽(う)うるがごとし。本(もと)根揺がざれば、則ち枝葉、茂り栄ゆ。君、能く政を清むれば、百姓、何ぞ安楽ならざらんや。」


3. 現代語訳(逐語)

  • 「往昔、初めて京師に入るや、宮中の美女・珍玩、院に満ちざる無し」
     → 昔、私(太宗)が初めて長安に入った頃、宮中には美女や珍しい宝物があふれていた。
  • 「煬帝、意足らずして、徴求止まず」
     → 煬帝は満足せず、物資の徴発を際限なく続けた。
  • 「東西に征討し、兵を窮め武を黷し、百姓堪えずして、遂に滅亡に致る」
     → 東西に戦争を起こし、軍事力を使い果たし、武を乱用したことで、民衆は苦しみに堪えられず、ついには国が滅んだ。
  • 「此れ皆、朕の目見する所なり」
     → これらはすべて、私がこの目で見てきた事実である。
  • 「故に夙夜孜孜として、ただ政を清むることを欲し、天下をして事無からしめんと欲す」
     → だから私は、朝早くから夜遅くまでまじめに政治に励み、ただ政を清廉に保ち、天下に災いがないようにしたいと思っている。
  • 「徭役興らず、年穀豊かに稔り、百姓安楽ならんことを得んと願う」
     → 徴用が起こらず、作物が豊かに実って、民が平穏に暮らせるようにしたいのだ。
  • 「それ国を治むるは、樹を栽うるが如し。本根揺がざれば、則ち枝葉、茂り栄ゆ」
     → 国を治めるというのは木を植えるのと同じで、根がしっかりしていれば、枝葉は自然と茂って栄える。
  • 「君、能く政を清むれば、百姓、何ぞ安楽ならざらんや」
     → 君主が政を清廉に行えば、民衆が安らかに暮らせないはずがない。

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