この章では、太宗が忠臣の「諫言(かんげん)」こそ国家安泰の礎であると評価し、それを恐れず実行した臣下たちに心からの感謝と報奨を与えた姿が描かれています。主題は、「逆鱗に触れることを厭わない勇気」と、それを受け止める君主の度量です。
「逆鱗」──君主の怒りの象徴
太宗はこう述べています:
「龍は飼い慣らせても、喉の下に一枚の“逆鱗”があり、
そこに触れる者は必ず殺されると聞く。
そなたたちはそれを恐れずに上奏してきた」
これは中国古典にある「逆鱗に触れる」という成語の由来であり、ここでは君主の怒りを買うような諫言を象徴しています。
太宗は、この“逆鱗”の喩えを引用しながらも、臣下たちが恐れずに進言してきたことを称えています。つまり、「君主の怒りを覚悟で、国家と君主のために諫めることができるか」が、真の忠臣の資格であるというメッセージです。
忠臣の難しさと、君主の責任
太宗はまた、古代の忠臣、関龍逢(かんりゅうほう)・比干(ひかん)を引き合いに出し、こう語ります:
「賢君に仕えれば、諫言も報われるが、
桀王や紂王のような暴君に仕えれば、忠言は命を落とす」
この対比から、太宗は次の2つの点を強調しています:
- 君主の側に“聴く度量”がなければ、忠臣は命を落とす
- 諫言の価値は、君主がいかにそれを受け入れるかによって決まる
つまり、忠臣が存在しても、それを活かす君主でなければ国家は滅ぶという、厳粛な自省を表しています。
太宗の君主像:聞く耳を持ち、忘れぬ心
太宗は最後に、忠臣への心からの賛辞を述べます:
「常にこのようであれば、社稷(国家)が傾くことを恐れる必要はない。
卿らの忠心を、私は片時たりとも忘れない」
これは一時の感謝ではなく、政治の中枢における「忠臣の存在」の重要性を骨身にしみて理解していた太宗の本音です。
そして、この日の忠臣たちに対して宴を開き、絹を褒美として授けるという形で、儀礼と実利の両面で報いています。これは、忠臣を「言葉」ではなく「制度と実績」で評価し、称えるという、君主としての模範的な振る舞いです。
現代への示唆
この章から私たちが学ぶべきことは以下の点です:
- 権威者は、自らの「逆鱗」が何であるかを知り、それを押さえる努力をするべき
- 部下や部員は、必要なら“逆鱗”に触れる勇気を持たなければならない
- 批判を受け止めることこそが、組織を成長させ、リーダーの品格を高める
これは、単に古代中国の逸話にとどまらず、現代のリーダーシップ論やガバナンス、組織心理にも直結する普遍的な教訓です。
総評
この章は、太宗の統治の根幹にある「忠言を受け入れる開かれた心」と、「その忠言を恐れず進言する臣下の勇気」を称えるものです。**君主が聞く耳を持ち、臣下が恐れず言う――この両輪がそろって初めて、政治は健全に保たれる。**それを体現した太宗とその臣下たちの姿勢は、あらゆる時代の指導者にとっての理想像といえるでしょう。
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