【現代語訳】
貞観八年(634年)、太宗は側近にこう語った。
「言葉というものは、君子の要(かなめ)であり、安易に口にすべきではない。たとえ一般の庶民であっても、一言の過ちがあれば、他人はそれを覚えていて、恥や災いを招くことになる。ましてや天子の立場ならば、その損失は計り知れない。
私は常にこの点を戒めとしている。かつて隋の煬帝が、初めて甘泉宮に行った時、庭園の風景が気に入ったが、蛍がいないことを残念に思って『蛍を捕まえてきて、夜の照明代わりに使え』と命じた。その命令を受けた役人たちは、数千人を蛍狩りに動員し、車五百両分の蛍を宮廷に運んだという。ほんの些細なことでさえこの騒ぎである。ましてや国政に関わる発言となれば、なおさら口を慎まねばならない。」
これに対して魏徴はこう答えた。
「天子は天下で最も高く尊い存在です。その過ちというものは、日食や月食のように、万人が見てわかるものです。ですから、陛下が言葉を慎んでおられるのは、まことにもっともなことです。」
【語句解説】
- 君子の樞機(すうき):枢機とは「かなめ」「中枢」という意味で、君子(立派な人物)にとって言葉は非常に重要な要素であることを表す。
- 甘泉宮:前漢の武帝が建てた離宮。歴代皇帝も巡行するなどして使用した名所。
- 蛍火(けいか/ほたる):夜の明かりとして蛍の光を利用しようとしたという逸話。
- 五百輿(ごひゃくよ):輿(よ)は荷車。五百台もの車で蛍を運ぶという異常な命令の実例。
- 日蝕・月蝕:王の失政を天下の民が皆目にする、という意味のたとえ。
【背景と意義】
この章は、**為政者にとっての「言葉の責任」**と、その影響の大きさについて述べています。
太宗は、「自分があえて多弁にならない理由」を明かします。それは、発言が一国の方針や人心を左右しうるものであるから。
そして例として挙げられるのが、隋の煬帝の蛍事件。これは、
- 何気ない一言が
- 膨大な人力・資源の浪費につながり
- 支配者としての信頼を損なった
という実例です。皇帝の「思いつき」や「個人的な好み」が、そのまま国家の命令となって実行される危うさを物語っています。
これに魏徴は、古人のことばを引きながら「天子の過ちは隠すことができない。だからこそ、慎重でなければならない」と補足しました。
【教訓】
- 権力者の言葉は、たとえ雑談であっても重大な影響を及ぼす。
- 部下は上の意図を過剰に忖度し、実行してしまう可能性がある。
- 過ちは必ず人目にさらされ、信用の失墜につながる。
- 日常の言動がすべて「公人としての記録」になる。
【現代への応用】
現代においても、政治家や企業のトップが軽率な発言をして炎上したり、過剰反応で組織全体が無駄な方向に動く事例は珍しくありません。
「トップの言葉は命令と受け取られる」という意識を持ち、
- より慎重に発言を選ぶ
- ジョークや感情的な言葉を控える
- 周囲が「意味のある進言」をできる文化を維持する
ことが、リーダーの資質として極めて重要です。
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