MENU

第三章「己の欲せざる所、人に施すなかれ」解説

◆ 現代語訳

貞観四年(630年)、太宗が側近たちに語った。

「宮殿を飾り立てたり、池に楼閣を設けて遊ぶのは、帝王としての私の望むことかもしれない。しかし、それは民衆が望むことでは決してない。帝王の『望むこと』は放縦な遊びだが、民にとってはそのために働かされる『苦しみ』である。

孔子も言っている――『生涯にわたって守るべき一言があるとすれば、それは“恕”である。すなわち、自分がされたくないことは人にしてはならない』と。ならば、苦しい労役のようなことは、決して人民に押しつけてはならない。

私はいま、天下を統べる皇帝として、あらゆる富と権力を手にしている。ゆえにこそ、私は自分を節制する。民が望まぬことを、民の意に反して行ってはならぬのだ」。

これに対して、魏徴がこう答えた。

「陛下は本当に民衆を憐れみ、常に自らを律しておられます。私はこう聞いております――『人の欲するところに従って政治をすれば栄えるが、自分の快楽のために人を使う者は滅びる』と。

隋の煬帝は欲望にまみれ、贅沢を極め、役人が何かを献上しても、自分の好みに合わなければ容赦なく重罰を加えました。上の者が贅沢を好めば、下の者はさらにそれに倣い、欲望の連鎖が競い合いとなり、ついには隋を滅ぼしました

これは歴史書に書かれているだけの話ではなく、陛下ご自身がその顛末をこの目でご覧になったことです。まさに無道の皇帝が滅び、天は陛下に代わらせたのです。

陛下が『今の生活で十分である』と思うなら、今すでに十分に満たされておられるでしょう。もし『まだ足りぬ』と思われるなら、たとえ今の生活を万倍にしても、決して満足することはないでしょう」。

太宗はこれを聞き、

「まったくその通りである。そなた(魏徴)でなければ、私はこのような言葉を聞くことはできなかっただろう

と深く感銘を受けた。


◆ 注釈と背景

  • 「己の欲せざる所、人に施すなかれ」:『論語』衛霊公篇の有名な言葉で、思いやり・恕(じょ)の精神を説いている。儒教の根本的な道徳原理。
  • 魏徴の引用:「以欲從人者昌、以人樂己者亡」…『春秋左氏伝』などの思想を基にした教訓。「人の望むことに従う」ことが治政の本である。
  • 隋の煬帝:大運河の建設、阿房宮に匹敵するような壮麗な離宮の造営などで多くの民を酷使し、暴政の象徴とされる。

目次

第三章から導かれる「心得」

◉ 欲を戒め、徳をもって政を行うべし

国家を治める者は、自らの欲望を抑え、民の疲弊を回避するよう心がけるべきである。「己の欲せざる所を人に施さない」という、恕の精神が統治の第一義である。

◉ 「足るを知る」ことが平和をもたらす

魏徴の言葉にあるように、「満足しない者は何を与えても満たされない」。君主の欲望が果てしなく続けば、いずれ国も滅びる。足るを知る節度こそが、持続可能な統治の源泉である。

◉ 民の目で見、民の心で考える

太宗は民衆の立場から自らの行動を反省している。「帝王の欲するもの=民の望まぬもの」であると認識し、民意に沿う政の方向性を定めることが、徳治の基礎である。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次