■現代語訳
ある日、太宗は長孫無忌ら側近たちに語りました。
「私が即位したばかりの頃には、多くの者が上奏を寄せてきた。
ある者は、『君主というものは威厳が第一ですから、何事も陛下自らが独断で判断し、臣下には任せないようにすべきです』と進言し、
またある者は、『武力をもって国の威信を示し、周囲の異民族を威圧して服従させるべきです』と述べた。
だが、その中で魏徴だけは、
『戦を控えて文化を興し、徳を布き施しを与えるべきです。中国が安定すれば、遠方の異民族も自然に帰服するでしょう』と私に進言した。
私は彼の意見に従った結果、天下は大いに安定し、
遠方の辺境の諸王も皆朝貢してくるようになり、九夷の使節たちは通訳を重ねて入朝し、道中で鉢合わせするほどになった。
これらすべては魏徴の功績によるものである。私は良い人材を登用できたのだな」。
この話を耳にした魏徴は拝礼し、こう謝意を述べました。
「陛下は、生まれながらの徳に恵まれ、その上、政治にもご熱心です。
私のような平凡で愚かな者は、ただ命令を受けて働くだけで精一杯です。
この私などが、陛下の偉大な統治に貢献できたなどとは、とても思えません」。
目次
■注釈と解説
太宗の評価
- 太宗は、自身の治世の成功を魏徴の献策に負うところが大きいと認め、「偃武修文(えんぶしゅうぶん)」=戦争を控えて文を興す方針に切り替えた英断を回顧しています。
- 「九夷重訳、相逢於道」とは、遠方の異民族が通訳を重ねて朝貢し、道中で出会うほど頻繁に訪れたことを意味し、唐の外交的成功を象徴しています。
魏徴の謙遜
- 魏徴は自らを「庸短(ようたん)」=「凡庸で能力が乏しい」と称し、功績をすべて太宗の徳に帰しています。
→ これは単なる謙遜ではなく、「功を主君に譲る」忠臣の姿勢の表れであり、誠信の実践とも言える態度です。
誠信との関係性
- この章は一見して功績評価の話に見えますが、「誠実に進言した者を信じ抜いた太宗」と「功を奪わず主君に譲る魏徴」のやりとりが、まさに「誠信」の徳の体現なのです。
- 武による支配ではなく、徳と信に基づく統治が異民族すら感化した点も、誠信主義による外交・統治の成功例といえるでしょう。
■心得・教訓化
この章から導かれる心得は以下の通りです:
誠の意見を信じ、用いる者に成功あり。信に報い、功を譲る者にこそ、真の忠義は宿る。
ご希望があれば、この章をベースにした「現代ビジネスにおける心得文」や「リーダーシップ原則」として再構成も可能です。必要に応じてお申し付けください。
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