一、現代語訳
**貞観十六年(642年)**のこと。太宗は日頃、大臣たちと過去の政治について議論する際、話の細部にこだわり、問い詰めたり反論を重ねたりしていた。
この様子に対し、**散騎常侍・劉洎(りゅうき)**が上奏文を提出して、次のように諫めた。
「帝王と庶民、聖人と凡人の間には天地の開きがあり、比べようもありません。
ですから、いくら庶民が努力しても、聖人に対等に応答することはできません。陛下が柔らかく言葉をかけ、穏やかに意見を聞こうとされても、臣下たちは萎縮して言いたいことを言えなくなるものです。
まして、陛下が優れた弁舌で論理を組み立て、古例を引用して理屈をねじ伏せたら、凡庸な者はどうして対等に議論できましょうか。
天は沈黙を尊び、聖人は寡黙を美徳とします。老子は『真に雄弁な者は口下手に見える』と述べ、荘子も『至高の道は言葉にできない』と説いています。いずれも多弁を戒める思想です。
だからこそ、斉の桓公が書を読むとき、車輪職人の扁(べん)は密かに書物の無意味を嘆き、前漢の武帝が博識者を募った際には、汲長孺(きゅうちょうじゅ)が偽善的な言辞を批判したのです。
さらに、記憶が多ければ精神を損ない、言葉が多ければ気を損ないます。心と気が傷つけば身体にも疲労が現れます。初めは気付かなくても、いずれ必ず健康を害することになるのです。
今日の泰平はすべて陛下のおかげです。しかし、それを長く保つためには、博識や弁舌に頼るべきではありません。愛憎を離れ、公平を貫き、素朴で誠実な態度を、貞観の初めのようにお取りいただきたく思います。
かつて秦の始皇帝は、弁舌に長けたがゆえに自らを誇り、民心を失いました。魏の文帝(曹丕)は才能があり文章を飾ったために、人望を損ねました。これらは、才智や雄弁が災いになりうることの証拠です。
願わくは、雄弁を控え、心を静め、読書を減らして気を養い、終南山のように寿命を保ち、人民を古き時代のように素朴に導いてください。それこそが、天下にとってこの上ない幸せです。」
太宗はこれを読み、自ら筆をとって詔を下した。
「深く思慮せねば人を治められず、言葉なくして思慮を伝えられない。そう思っていたので、近頃は議論が行き過ぎていた。
ついには理屈で人を打ち負かし、物事を軽んじ人を侮る態度になっていたのかもしれない。
今はまだ心身が疲弊しているわけではないが、そなたの真っ直ぐな忠言を受けて、謙虚に改めようと思う。」
二、注釈と解説
要素 | 解説 |
---|---|
劉洎(りゅうき) | 儒学者であり、諫言を恐れず進言する人物。 |
「皇天以無言為貴」 | 天(神)は言葉を発さないが、その働きによって万物を動かす。無言=至高の徳という儒・道思想。 |
「大辯若訥」「至道無文」 | 老子・荘子の思想。雄弁な者ほど言葉を慎むべきという教訓。 |
桓公・扁の逸話 | 機能的知識(技術)の職人が、観念的知識(読書)の空疎さを皮肉ったエピソード。 |
汲長孺の批判 | 知識人の言葉が現実と乖離していることを批判し、徳行重視を説いた。 |
三、教訓と現代的応用
- 上位者の強弁は部下の沈黙を生む
→ 部下は意見を言いづらくなり、イエスマン化が進む。 - 過度の議論は精神・肉体に悪影響を与える
→ 知的興奮が慢性的になると、心身に無自覚の疲労をもたらす。 - 静かで素朴な態度が長期安定をもたらす
→ 派手な論戦より、誠実な傾聴が信頼を生む。
四、章の要点まとめ
項目 | 内容 |
---|---|
問題 | 太宗が議論好きで雄弁すぎることが臣下に萎縮をもたらしていた。 |
劉洎の進言 | 雄弁・才知よりも沈黙・寡言こそが徳であり、健康・政道・人心のために控えるべき。 |
太宗の反応 | 自らを顧みて反省し、改めると誓った。 |
必要であれば、この章の内容を他の章(誠信篇・公平篇など)との比較視点で整理したり、「雄弁とリーダーシップ」に関する現代的な考察にも応じられます。ご希望があればお知らせください。
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