この章では、唐の太宗が隋末の宰相・虞世基の行動をどう評価すべきかを問う形で、忠臣のあり方と進言の重要性を深く掘り下げています。太宗と重臣・杜如晦の対話を通じて、「忠臣とは何か」「諫言しなかった者に責任はあるのか」といった倫理的・政治的問題が論じられます。
太宗の問題提起:「虞世基に罪はあったのか」
太宗はこの章の冒頭で次のように問います:
「虞世基は隋の煬帝に仕えながら、その暴政を正すために進言をしなかった。とはいえ、皇帝に逆らってまで諫めるのは命の危険を伴うことであり、やむをえなかったとも考えられる。果たして、彼は煬帝と運命をともにすべきだったのか?」
太宗はここで、孔子が称えた殷の箕子(君主に諫めて奴隷となった)と虞世基を比較し、直接的に諫言しなかった虞世基の態度を一概に責められるかどうか、葛藤しています。
杜如晦の反論:「忠臣の務めを果たさなかった」
これに対し、杜如晦は明快に批判します:
- 「天子に諫臣があれば、どんな暴君でも天下は保てる」
- 「虞世基は宰相という進言できる立場にありながら沈黙を貫き、辞職して身を引くことすらしなかった」
- 「それは箕子のように命を賭して君主に忠告した態度とは全く異なる」
- 「張華の故事のように、諫めなかった者が後に粛清されるのは当然のことである」
杜如晦は、「危険を冒してでも諫める」「無理なら辞職する」という姿勢こそ忠臣の節であり、それをしなかった虞世基は、煬帝と運命をともにすべきであったと断じます。
太宗の結論:「暗君と諛臣(おもねる家臣)は国を滅ぼす」
杜如晦の意見を受けて、太宗は次のように総括します:
- 忠臣こそが国を支える要石である:君主は忠臣の意見によって己の過ちを知る。
- 忠言を拒否し、耳に心地よい言葉ばかり聞く君主は暗愚となる。
- おもねって忠言を避ける家臣は、国家を危うくする「諛臣」でしかない。
そして、太宗は「自分は臣下からの正直な諫言を決して怒らない」と強調し、忠臣との切磋琢磨を通じて理想的な政治を実現していきたいという姿勢を明確にしています。
総評:忠言の重みと進言責任の厳しさ
この章が現代に語りかける最も大きなメッセージは、「進言しうる立場にある者は、それを行わねば責任がある」という厳格な倫理観です。また、「忠臣がいない政治体制の危うさ」と「忠言を受け入れる君主の度量」がいかに国家の命運を左右するかを如実に物語っています。
君主としての太宗の志と、それに応える臣下の姿勢が、理想的なリーダーシップとガバナンスの姿を鮮やかに示しています。
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