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第三章 謙虚な皇族、河間王孝恭と江夏王道宗


■現代語訳

河間王・李孝恭は、唐の建国初期である武徳年間に趙郡王に封じられ、その後、東南地域を統治する臨時政府機関(行台)の尚書左僕射という高官に任命された。

このとき孝恭は、隋の滅亡後に南方で勢力を握っていた群雄・蕭銑や輔公祐を平定し、長江・淮水流域に加えて南方の嶺南・嶺北地域をすべて掌握した。まさに唐の一方の版図を一手に収めたことになり、その武功と威名は非常に大きなものとなった。後には中央に召されて、礼部尚書に任命された。

しかし、孝恭の人柄はきわめて謙虚で、決して驕ることなく、自らを誇る様子も見せなかった

またこの頃、特進(正二品の高官)という地位にあった江夏王・李道宗もいた。彼は特に軍事的な才能で名声を高めた一方、学問を好み、賢士を敬い、常に礼をわきまえて謙虚にふるまった

太宗はこの両名を特に親しく接し、厚遇した。数多くいる皇族の中においても、孝恭と道宗の二人に並ぶ者はおらず、時代を代表する英傑の皇族であった。


■注釈

  • 河間王李孝恭:唐の高祖・李淵の従子。軍事的手腕に優れ、唐の南方平定に大功。
  • 蕭銑・輔公祐:隋末に割拠していた群雄。いずれも南方の勢力を代表し、唐に敵対。
  • 嶺南・嶺北:現在の広東・広西・湖南などの中国南部地域。辺境であり、平定が困難とされた。
  • 江夏王李道宗:高祖李淵の従兄弟。戦功著しく、貞観期の軍政を支えた名将。後年は学問と謙譲に傾倒。
  • 特進(とくしん):名誉官の一種。実務は伴わないが、皇帝から特別な待遇を受ける高貴な地位。

■解説

この章では、身分と功績のある者こそ謙虚であれという教訓が二人の実例を通して説かれます。

河間王李孝恭は、南方の群雄を次々に平定し、国土の半分以上を掌握するという大きな軍功をあげました。しかし彼は、その絶大な戦果におごることなく、むしろつねに謙虚な姿勢を崩さず、自らを誇示することがありませんでした。

江夏王李道宗も同様で、将軍として名を馳せながら、学問と賢者を重んじる態度を貫き、謙遜を忘れませんでした。

太宗がこの二人を特に厚遇したのは、皇族においてもこうした謙譲の美徳が最も重要な徳であるとみなしていたからに他なりません。


■心得文(要約的な教訓)

「真の高貴とは、謙虚なる心に宿る」

高き身分にあっても、あえて自らを低くし、功を誇らず、賢者を敬う心。これこそ、真に尊ばれる皇族の徳である。大功をあげてなお慎み、名声を得てなお学び続ける――その姿は人心をうち、君主の信を得る。謙譲は徳の最たるものであり、地位が高くなるほど必要な資質である。


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