背景
貞観四年(630年)、太宗は洛陽巡幸を計画し、その準備として乾元殿の修理を命じました。しかし、給事中(政治監督役)の**張玄素(ちょう げんそ)**がこれを聞いて、詳細な上奏文で強く諫めます。
張玄素の五つの諫言
張玄素は、現状と過去の史例を対比しながら、五つの明確な理由で工事中止を訴えました:
- 人民の疲弊と過剰な労役への懸念
すでに民衆は戦乱で疲弊しており、徴発を嫌うと予測。 - かつての撤去と矛盾する贅沢
太宗自身が破棄した贅沢建築を、なぜ再び興そうとするのか。 - 急ぎでない事業に多額の浪費
巡幸に差し迫った理由はなく、国庫にも余裕がない。 - 民間の復興は未了
飢えと寒さが続き、完全復興には15年かかる見込み。 - 地理的合理性の欠如
関中の長安に比べ、洛陽は軍事的・政治的に不利。
加えて、乾元殿の建設がいかに過酷で浪費的だったか、隋の煬帝の例や阿房宮の悲劇を引き、歴史からの教訓を重ねます。
太宗の反応と評価
太宗は、「私の判断は、煬帝以下だったのか」と問い返しますが、張玄素は「行う悪が異なっても、結果が国の乱に通じるのは同じ」と毅然と答えます。
太宗は深く反省し、すぐに工事を中止し、張玄素に絹200疋を賜与。さらに、
「多くの従順な者よりも、一人の直言の士にこそ価値がある」
と述べ、忠義ある進言の意義を強調します。
これを見た魏徴は、
「張公には天の意思をも転ずる力がある。まさに『仁人の言葉、その利は広し』ということだ」
と称賛しました。
歴史的・思想的意義
1. 忠諫の具体例と最高峰の実践
この章では、張玄素のような低い地位の者が、自らの信念と民への思いから皇帝に対して正面から異を唱える姿が描かれます。
2. 太宗の「聞き入れる器」
反発せず即座に反省し、施策を改める太宗の姿勢は、理想的な為政者のモデルを示しています。
3. 「悪の形は違えど、帰するは乱」
これは、単なる贅沢批判ではなく、「制度の形が違っても、民意を失えば結果は同じ」という歴史哲学的洞察であり、現代にも通じる深い警句です。
4. 民本思想の表明
張玄素の意見には一貫して「民の疲弊」への配慮があり、国家経営の第一原則は民の安寧にあることが明示されています。
現代的な教訓と応用
- リーダーは都合の良い意見ばかりを求めてはならず、「直言する士」を重んじるべきである
- 贅沢や見栄を張ることによる財政支出は、組織や国の弱体化につながる
- 前例や過去の判断との整合性を軽視すれば、信頼を失う
- 「いま必要なものか?」という判断基準は、すべての政策・投資判断の根本
結論
この第二章は、「直言の価値」「聞く力」「贅沢と制度疲弊の連動」という三つのテーマを通じて、太宗治世の健全性と、それを支えた臣下の胆力を見事に描いています。
現代においても、政(まつりごと)や組織運営における普遍的な原理が凝縮された、最も示唆に富む章の一つです。
ありがとうございます。以下にご提示の『貞観政要』巻一より、貞観四年における太宗と張玄素(張公謹)の問答および奏上を、以下の定型構成に従って整理いたします。
『貞観政要』より(貞観四年 張玄素の上奏)
1. 原文(要約整形):
貞觀四年、太宗は東都洛陽の乾元殿を修築し、狩猟行幸の備えとしようとして詔を出した。
これに対し、給事中の張玄素(ちょうげんそ)は上奏して諫めた。
彼は、太宗の英明さを讃えた上で、秦始皇のように「権勢を恃んで欲望のままに振る舞えば、必ず国を滅ぼす」と警告。
また、「贅沢の始まりは奢侈への入口」「都城の補修は民の労苦を搾取する」として、次の**五つの不可(五不可)**を説いた。
さらに、隋の煬帝が乾元殿を建築した際の膨大な人力と財政負担を引き、
「隋ですらこのように瓦解したのに、今、再び同じことを行えば、それ以上の過失になる」と述べた。
太宗はこれを聞き、「自分は煬帝よりも悪いというのか?」と問い返すが、張玄素は「このまま進めば乱に至る」と答えた。
太宗は深く反省し、すぐに工事の中止を命じ、張玄素に絹二百匹を賜った。
魏徵はこれを聞いて、「張公には天下を救う力がある」と絶賛した。
2. 書き下し文:
貞観四年、太宗、洛陽の乾元殿を修理し、狩りに備えんとし、卒(兵)を徴発せんとした。
給事中の張玄素、これを諫めて言う:
「陛下は万物を見通し、天下を掌握されております。命令はどこへでも届き、志すところは何でも達成されます。
しかし、私は秦の始皇帝を思い出します。
彼は天下を統一し、六国を併呑し、万代に伝えることを志したにもかかわらず、
結局その子によって滅びました。それは、欲望を抑えられず、天を欺き人に背いたからです。
天下は武力では治められず、神々も親しみによって守られるのではありません。
倹約を広め、税を軽くし、慎重に物事を始めることこそ、永続の道です。
現在は戦乱の後で人々は疲弊し、国庫も乏しく、
未だ東都を訪れる予定もないのに、補修の命が出されました。
また、諸王が地方に出ることで別の造営も必要になります。
これでは人民の苦労をさらに重ねることになります。──これが第一の不可です。
かつて陛下は、洛陽の楼閣・殿堂を撤去させ、天下がこれを称賛しました。
それなのに今また、かつての豪奢を追うとは──第二の不可です。
また、音声のみで実行が伴わず、事実上無意味な工事が続くのは──第三の不可です。
百姓は乱後の疲弊からようやく立ち直ろうとしている段階で、生計もまだ安定していないのに、
未訪問の都に力を注ぐとは──第四の不可です。
漢の高祖は都を洛陽に定めようとしたが、婁敬の一言で関中へ遷都しました。
地理や賦税からして、今は東へ移るべきではありません──第五の不可です。
隋が乾元殿を建てた時は、二千人で柱を引き、火花が出るほどの無理をしました。
そのような工事が隋の崩壊を招いたのです。
今、陛下がそれを真似されるのは、煬帝以上の過ちと言えましょう。」
太宗、「そなたは私を煬帝以下というのか?それとも桀・紂と同じだと?」
張玄素、「このままでは、乱を招く道です。」
太宗、大いに嘆いて言った、
「そこまで思い至らなかった……玄素の上奏によって洛陽修理は時期尚早と分かった。
いずれ必要があれば露座でも構わぬ。工事は即刻中止せよ。
身分を以て諫言するのは難しい。忠直でなければ、これほどのことは言えまい。
多くの“唯唯”よりも、ひとりの“諤諤”の士が尊い。」
そして張玄素に絹二百匹を賜う。魏徴はこれを見て「張公は天を回らせる力を持つ。まさに仁人の言である」と称えた。
3. 現代語訳(まとめ):
太宗が洛陽の離宮・乾元殿の修復を命じた際、張玄素はこれに反対する上奏を行った。
内容は、歴史的教訓・経済的負担・民の苦労・統治者の節度を根拠とした五つの反対理由からなる。
太宗は一時、張の強い言葉に対して反発のような反応を見せるが、すぐに深く反省し、
張玄素の忠誠と勇気を称え、工事を中止した上で褒賞を与えた。
4. 用語解説:
- 乾元殿:洛陽にあった壮麗な離宮殿堂。隋代に築かれた豪奢な建築物。
- 由余(ゆうよ):秦の臣。過度の進言や意見で笑われた故事から「笑われる存在」の例え。
- 管子:戦国時代の政治思想家・管仲によるとされる書物。国家経営・統治の古典。
- 絹二百匹:高額な褒賞。当時の一匹(約50m)で一人が一年生活できる分とも言われる。
- 唯唯(いい)/諤諤(がくがく):ただ従う人/諫言する勇気ある人の対比。
5. 解釈と現代的意義:
この章句は、「進言する勇気と、それを受け止める器の大きさ」を同時に描き出した名場面です。
張玄素は、当時としては非常に危険なレベルの直言を敢行し、太宗は一瞬不快に感じつつも、真摯に受け入れ即時に行動を改めた。
これは現代でも通用する、「間違いを認め、軌道修正するリーダーの徳」の理想像といえます。
6. ビジネスにおける解釈と適用:
✅「リーダーの決定であっても、間違っていれば進言せよ」
張玄素は命を懸けて忠告した。組織にも、こうした“言うべきことを言う文化”が必要。
✅「声なき“唯々諾々”より、ひとつの“苦言”が組織を救う」
太宗が言った「衆人の唯唯より一士の諤諤」。これは組織運営の鉄則である。
✅「過去の英断に学び、矛盾した行動を避けよ」
かつて豪奢を否定したリーダーが、後になってそれを追うことがないよう、一貫した価値観を持つべき。
7. ビジネス用心得タイトル:
「諫言を恐れず、誤りを糺す勇気──忠言は、組織を救う最大の資産」
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