MENU

神か仏か

会社とは、人間という厄介な生き物が集まる場だ。この複雑な人間集団をうまく管理し、思い通りに動かそうとする経営者の苦悩は深い。その解決策として期待される伝統的な人間関係論は、働く人の立場を尊重し、人間的欲求を理解して満たすことで労働意欲が高まると主張する。

ところが、これらの人間関係論は、個人や個人と集団との関係性に焦点を当てるだけで、企業全体の経営という視点には触れていない。この理論を企業に適用すると、奇妙なことが起きる——いや、実際には当然のことだが——社長の指示がこれまで以上に浸透しにくくなるのだ。これは、伝統的な人間関係論が常に個人を企業経営よりも優先させる考え方に基づいているからだ。かといって、社長が自らの意思を力ずくで押し通そうとすれば、それはワンマン経営と化し、社員の労働意欲を失わせてしまう。

一体どうすればいいのか。正直なところ、手の打ちようがないというのが多くの社長の本音であり、最大の悩みだ。この難題に対してどう解決策を見出すのか――その問いに向き合ったのが本書だ。ここで提示する解決法は、私が関わってきた数々の企業で実際に効果を上げてきた、実証済みの原則に基づくものである。

この解決法は、従来の人間関係論とは視点も次元も大きく異なる。個人の心理分析を起点にして人間関係の問題を解決しようとするアプローチでは、結局のところ、浅い次元の短期的な対策しか得られない。なぜなら、人間関係のあり方は国民性や社会的な慣習によって大きく影響を受け、場所や文化ごとに異なるからだ。

したがって、日本には日本固有の歴史や風土から生まれた国民性、物事の考え方、社会的習慣があり、それに基づく独特な人間関係が存在する。この人間関係の在り方は、日本以外の国では通用しない。同様に、日本の企業内においても、こうした特有の人間関係が形成されている。しかし、企業内の人間関係である以上、それが企業の業績向上に貢献しなければ、存在意義は薄れる。

企業経営に焦点を当て、経済的な成果を達成するために、社長がどのように社員を動機づけ、指導すべきかを探る。その際、社長自身の人間的な側面も含めて、解明を試みたのが本書である。もし本書が、多くの悩みを抱える社長たちの一助となるなら、それ以上の喜びはない。

浜松市にある国分鉄工場の創業者、故国分忠之助氏と初めて会ったのは、昭和三十九年のこと。同社のお手伝いに伺った際に紹介を受けた。当時、氏は既に七十歳を超えていたが、なお精力的で健康そうな姿が印象的だった。山形県出身の同氏は、小学校四年を卒業するとすぐに鉄工所で見習いとして働き始め、その後独立して製紐機の製造販売会社を立ち上げた。それが国分鉄工場の始まりである。

国分鉄工場の製紐機は、当時国内市場で90%もの占有率を誇り、さらに輸出においては驚異的な99%の占有率を達成していた。

輸出先は主に後進国であったが、単に製紐機を輸出するだけでなく、現地での技術指導のために何度も海外へ足を運んでいた。その功績を象徴するように、社長室にはインドのネール首相との記念写真が飾られており、その指導がどれほど感謝されていたかを物語っている。同氏は小学校四年卒という学歴ながら、日本アカデミーの会員に名を連ね、さらには浜松市の教育委員長を務めるなど、多方面で活躍した人物である。

温和で落ち着いた物腰で語られる一言一言に、私は深い感銘を受けた。そこにあるのは、もはや単なる顧客サービスの域を超えた、社会奉仕ともいえる姿だった。製紐機のユーザーは主に零細企業、あるいは家内工業のような小規模な事業者たちであり、その支援は社会全体への貢献という意識に根ざしていた。

わずかな資本、いや資本と呼べるものすらない状態で、製紐機を5台や10台購入して事業を始めるのが通常だった。だが、そうした顧客の多くは、機械の代金を支払った後、運転資金すら残らないような厳しい状況に置かれていた。

こうした顧客に対して、国分氏の対応は常に一貫していた。「機械代金はいつでもいいので、そのお金をまず運転資金に回してください」という言葉をかけるのが常だった。その姿勢には、商売以上に人を支えるという深い思いが込められていた。

こうした姿勢は、顧客にとって国分社長をまさに神仏のような存在に映したに違いない。その恩に報いようと、彼らは懸命に働き、何を差し置いても機械代金を返済していく。「国分鉄工以外の会社からは絶対に機械を買わない」といった家訓や遺言めいた話も、決して珍しいものではなかった。事実を示すならば、当時藤枝市(静岡県)で稼働していた製紐機1万2千台は、すべて国分鉄工場の製品で占められていたのである。

こうした「ある時払いの催促なし」の方針ゆえに、時には資金繰りに困ることもあった。そこで、「この会社なら」と目星をつけて催促に出向くものの、いざ相手を前にするとどうしても用件を切り出せない。結局、工場に入って機械の点検を済ませるだけで、そのまま帰ってしまうのだった。

この姿勢が、またその会社の社長を深く感激させる。まだ代金を支払っていない機械に対して、既にアフターサービスを提供している形になるからだ。こうした行動が、国分氏の誠意と顧客への献身を物語っていた。

多くの得意先の中には、時に運に恵まれず倒産してしまう会社もあった。ある会社が倒産した際、その社長が国分社長を訪れ、深々と頭を下げて謝罪した。そして懐から機械代金を取り出し、「どうぞ、お収めください」と差し出したのだった。その姿には、国分社長への深い敬意と感謝がにじんでいた。

さらにその社長はこう続けた。「私の至らなさで倒産したことは仕方ありません。しかし、大恩ある国分社長にだけはご迷惑をかけたくない。この代金は必死で確保したものです。どうかお受け取りください。」
これに対して、国分社長はその深い思いを受け取りながらも、実際の代金は受け取らなかった。言うまでもなく、国分社長の心は相手の誠意をこそ重んじたのである。

最後にもう一つ、心温まる逸話を紹介しよう。ある日、知人の一人が会社勤めを辞めて製紐業を始めたいと、国分社長に相談を持ちかけてきた。国分社長は、彼が事業を立ち上げる際に運転資金で苦労するだろうと察し、戦災で焼けた古い機械を修理して、ほぼ無料に近い価格で提供した。新たな挑戦を支援するその姿勢には、国分社長の人柄と信念が如実に表れている。

感激するその知人に対して、国分社長は一つだけ条件を提示した。それは、「三年間、自宅を新築してはいけない」というものだった。この条件は、単なる約束事ではなく、経営者としての心得を教えるための助言だった。事業の基盤を固めるまで私生活に贅沢を求めないという、経営における慎重さと責任感を示した教えである。

この知人は、国分社長の言葉を胸に刻み、懸命に努力を続けた。国分社長もその姿を気にかけ、早朝にひそかに工場の様子を見に行くことがあった。そのたびに、機械が稼働する音が聞こえてきたという。その音を耳にして、国分社長は「これなら大丈夫だ」と確信した。その信頼と努力が実を結び、その会社は着実に成長し、順調に発展していったのである。

数年が過ぎたある年、その会社の社長が国分社長を訪ねてきた。そして深く頭を下げながらこう述べた。「国分社長のお言葉を胸に、死にもの狂いで努力したおかげで、ようやく事業が軌道に乗りました。このたび、長年の念願だった自宅を新築することができました。せめてものお礼として、その新居に国分社長をぜひご招待させていただきたい」と。その言葉には、成功を支えてくれた恩人への深い感謝がにじみ出ていた。

国分社長はその申し出を喜び、招待を受けて新築の家を訪れた。当日、家に到着すると、玄関の門前には家族全員が並び、丁重に出迎えた。社長の案内で玄関に向かうと、そこには大きな十文字のぬきが打ち付けられていた。国分社長が「これは一体どういう意味か」と尋ねると、社長はこう答えた。

「この家を新築できたのは、すべて国分社長のおかげです。ですから、この家の玄関を最初に入るのは、国分社長以外にはありえません。国分社長が入られた後でなければ、私たち家族はこの家に足を踏み入れることはできません。」

そう語った後、社長は自らぬきを外し、丁重に国分社長を家の中へと招じ入れた。その光景は、深い感謝と敬意が形となって表れた、感動的な瞬間だった。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次