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社長室は質素でなければならない

N化学の経営計画発表会に招待された際のことだ。発表会での社長の話があまりに立派で驚かされた。その話を聞いて、ぜひこの立派な社長が率いる本社工場を見てみたいと思った。ところが、その日は日曜日で会社は休みだったが、無理を承知で頼み込んだ結果、庶務課長に案内してもらい工場を見学することができた。

正門を入って右手に事務所があった。およそ二十坪ほどの粗末な木造建築で、かなり古びた印象を受ける建物だった。中央部分から奥へと廊下が続いており、その右側には湯沸室とトイレが、左側には社長室が配置されていた。

社長室の広さは四坪程度。床は木製だが敷物は一切ない。社長の机は古い型の一般的なサイズで、天板はところどころ波打っている。椅子は薄っぺらな肘掛け付きのものが置かれていた。

応接セットは団地サイズの安物で、肘掛の部分は塗装が剥げて木地が露出しているような代物だった。冷暖房設備も一切なく、全体として何とも粗末極まりない社長室だった。

案内してくれた課長は苦笑しながらこう話した。「一倉さん、社長室がこの状態ですから、私たちも『机が古くなったから』とか『新型の椅子が出たから』といった理由では什器類の更新ができません。壊れたものはすべて修理して使っています」。

しかし、単なるケチな社長かといえば、そうではない証拠を目の当たりにした。それが研究所の建物だ。一フロアが70~80坪もある鉄筋コンクリートの四階建てで、冷暖房完備、さらにはエレベーターまで備えられている立派な施設だった。

社長室とは比べものにならないほど立派な建物に入って働く社員たちは、「一生懸命やらなければ社長に申し訳ない」という気持ちになるに違いない。その空気が自然と醸成されるのだろう。私はその光景に深く感銘を受け、後ろ髪を引かれる思いでその場を後にした。

当時の社長はすでに亡くなられ、現在はご子息が社長を務めている。この新しい社長もまた立派な人物だと評判だ。現在、会社は立派な新工場に移転しているが、その本館の一室には、前社長が使用していた社長室の什器類が記念品として大切に保管されているという。先代への敬意と感謝がそこに表れているのだろう。

前社長の遺徳を偲び、「初心忘るべからず」という思いで自らを戒めているという。その姿勢から、親子二代にわたる見事な経営者像が浮かび上がる。何と立派な社長たちだろうか。N社の繁栄がこれからも揺るぎないものであることを、私は心から確信している。

社長室は質素であるべきだという考えは、経営者の姿勢と企業の価値観を象徴するものである。N化学の元社長がその社長室を質素に保ったのも、自己犠牲と節約を示すためであり、社員に対する謙虚で実直な姿勢を表していた。小さく、古びた社長室に加え、簡素な家具や備品があるだけのその空間からは、社長が自らの快適さよりも、企業全体の成長と社員のために資源を使うという信念が感じられる。

同時に、N化学は研究所や生産設備には惜しみなく投資していた。冷暖房完備で最新設備を備えた研究施設を見れば、社長が何を優先し、どこに力を注いでいるかが明確にわかる。社員はこの姿勢を見て、「自分たちが真摯に働かなければ申し訳ない」と自然に思うようになり、企業全体のモチベーションや連帯感が高まる。

また、現社長が前社長の質素な社長室の什器類を大切に保管し、「初心を忘れない」姿勢を持ち続けているのも、企業文化としての質素倹約と自己犠牲を受け継ぐ姿勢の表れである。N社の繁栄が揺るぎないものであることは、こうした社長の価値観と社員との共鳴によって支えられているのだろう。

質素な社長室とは、企業が何に価値を置き、どのように経営者としての責任を果たしているかを示すものだ。それは単なる節約ではなく、社員と企業の成長にすべてを捧げる姿勢であり、長期的な繁栄への基盤となるものである。

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