「社長の責任において決定する」とは、単に「結果の責任を社長が負う」ということだけを意味するわけではない。それ以上の意味が含まれる。「社長が知らない間に起きた事態」であっても、すべてが社長の責任として扱われるのだ。会社の中で何が起ころうとも、最終的な結果の責任は全て社長が引き受けなければならない。
社員の責任は「実施責任」に限定されており、「結果に対する責任」を負うものではない。社員が担うのは、方針や指令を忠実に実行する義務であり、それを怠れば「不実施責任」を問われることになる。しかし、方針や指令を忠実に実行していれば、結果がどうであろうと、その責任を追及されることはない。結果が悪い場合、それは方針や指令そのものに誤りがあったからだ。
以上が責任に対する正しい考え方だ。この点が明確でないと、会社内部で無駄な行動が生じたり、責任を回避しようとする奇妙な慣習や、無意味に複雑な手続きが生まれる原因となる。
「独裁すれど独断せず」という姿勢は、ワンマン社長に求められる基本的な態度だ。未来を見据え、外部の動向に目を向け、構造的な視点で物事を捉えることこそ、社長としての正しい関心と思考の方向性といえる。この考えを踏まえたうえで、「正しいワンマン経営」とは何かという問いにたどり着く。その基本条件について考えてみよう。
正しいワンマン経営とは
- 社長自身が経営理念に基づく「我が社の未来像」を持つこと
社長は明確な経営理念を根幹に据え、そこから導き出される具体的な未来像を描かなければならない。この未来像は、企業の方向性や存在意義を示す羅針盤となる。 - 未来像を実現するための目標と方針を、社長の意志と責任で決定し、経営計画書として明文化すること
目標や方針は単なる抽象的な理想に終わってはならない。それを具体化し、体系化した「経営計画書」として形にすることで、実現への道筋を明らかにする。 - 経営計画を社員に丁寧に説明し、理解と協力を得ること
計画の内容を社員に共有し、全員がその意義を理解するよう努めることが重要だ。社員の納得と協力がなければ、計画の実行力は担保されない。 - 計画の中で最も重要な施策は社長自らが率先して取り組み、その他は社員に委ねること
社長はリーダーとして重要施策を先頭に立って進めるべきだ。一方で、すべてを抱え込むのではなく、適切な権限移譲によって社員の主体性と能力を引き出すことが肝要である。
以下、この基本条件についていくつか補足を述べる。
経営理念
経営理念とは、社長自身の人生観、宗教観、使命感を土台にした経営の基本的な姿勢を指す。これは単に言葉を並べて作り出せるものではなく、また机上の論理や短期間の思索によって完成するものでもない。
経営理念は、長年にわたる事業経営の実践を通じて徐々に形成されるものであり、あるいは社長自身の人生経験の積み重ねから自然に生まれてくるものである。それは社長の個性や信念を反映し、企業の指針として揺るぎない支柱となるべきものだ。
和装品の販売と着付け教室を事業とする中企業、その経営を担う山中典士氏は、自らの経営理念についてこう語る。「お茶には『茶道』があり、華には『華道』がある。ならば、和装にも『装道』というものがあってよいはずだ。私は和装を単なる『おしゃれ』の枠に留めるのではなく、『道』としての高みにまで引き上げたい」と。
山中氏が提唱する「装道」は、単なる和装の実用性や美しさを追求するだけでなく、それを精神性や哲学的な価値にまで高めることを目指している。その根底には、「装道は愛なり、愛はすべてを活かし、心・言・装・行を美の極みに至らしむ」(装道の栞より)という精神が据えられている。この理念は、和装を通じて人々の内面や行動をも洗練させ、人生そのものをより豊かにすることを目的としている。
同社では、この「装道」の理念を基盤として、すべての思考や行動が展開されている。この理念は単なる指針にとどまらず、企業文化として深く根付いている。その影響は、社員一人ひとりの服装や態度にも如実に表れており、社内外の誰もがそれを明確に感じ取ることができるほどだ。社員の立ち居振る舞いや和装に対する姿勢には、この理念が浸透している証が見て取れる。
クレープ(縮み織物)とニット生地を手がけるメーカー「ハイネス」を初めて訪問した際、繊維業界全体はオイルショックによる深刻な不況の真っただ中にあった。しかし、そんな厳しい経済状況の中にあっても、同社の売上は着実に伸び続けていた。その成長ぶりは、まさに奇跡と呼ぶにふさわしいものであった。
その秘密は、社長である倉橋之政氏の経営理念にあると私は考えている。その理念は、「泥の中にも蓮の花」という言葉に集約されている。同社の商品である「ニット生地」を目にしたとき、私はまさに「これが蓮の花だ」と感嘆せざるを得なかった。日本でこれほど見事な品質のものが作れるのか、と驚嘆したのだ。それだけでなく、価格も適正どころか、むしろ非常にリーズナブルだと感じられた。
経営理念こそが事業経営の魂である。それゆえ、社長は自らの経営理念を持つべきだ。しかし、それが必ずしも明文化された形で存在しなければならないというわけではない。言葉として書き表されていなくても、心の中に確固たる経営理念を抱き、それを基盤に経営を行うのであれば、それもまた立派な経営といえる。それを心得ていれば、形式に囚われる必要はないのだ。
未来像を明確にする経営理念は、一つの哲学にほかならない。この哲学を単なる理想にとどめることなく、現実の経営において実践することが求められる。その実践こそが、企業の未来像(ビジョン)として具体的に示されるべきであり、社内外のすべての関係者がその方向性を共有できる形で提示されなければならない。
未来像を描く際には、最低限次の三つの要素が必要となるだろう。
まず第一に、どのような事業を行うのかという点だ。事業は必ずしも一つに限定される必要はなく、複数の事業を組み合わせる形態も考えられる。長期的に見れば、複数の事業を組み合わせることで変化への対応力が高まり、柔軟な経営が可能となるからだ。
次に第二に、事業構造と規模の明確化である。事業構造を明らかにすることで企業の基本的な性格が定まり、規模を示すことで行動の基準や方向性がはっきりする。これらは、経営戦略を具体化するうえで欠かせない要素である。
最後に第三に、社員の処遇が挙げられる。これには給与、勤務条件、福利厚生などが含まれる。中には、社員の定年後の第二の人生にまで配慮した処遇を行う企業もある。社員の処遇は企業文化を反映する重要な部分であり、長期的なビジョンの一環として捉えられるべきだ。
これら三つの未来像は、固定されたものではあってはならない。社会情勢の変化や社長自身のビジョンの進化に合わせて、常に見直され、更新される必要がある。事業とは「生きもの」であり、環境に応じて「成長」し続けるものだからである。変化に対応しながら未来像を柔軟に再構築していくことが、企業の持続的な発展を支える鍵となる。
経営計画による経営
社長が描く未来像を具体的な活動指針として体系化したものが「経営計画」である。経営計画は単なる目標設定にとどまらず、事業運営の具体的な道筋を示す設計図といえる。企業経営が成功するためには、さまざまな活動を単独で行うのではなく、それらを総合的に結びつけ、全体として有機的に機能させることが必要だ。
また、この結びつきは硬直したものではなく、状況に応じて柔軟に対応できる弾力的な運用が求められる。経営計画は、これらの条件を満たしてはじめて、実効性のある指針として機能し、企業の目指す未来像を具現化する力となる。
これを実際に行うことは決して容易ではない。その困難さは、個々の活動を適切に遂行することだけに留まらない。むしろ、さまざまな活動の中で何を重点とし、何を優先すべきかを見極める判断の難しさにある。また、それらの活動を全体としてどのように調和させ、バランスを取るかという点が、経営計画を成功に導く上で最大の挑戦となる。
この難問を解決するためには、事業経営全体を深く理解することが不可欠である。そのための最も有効な手段が「経営計画」だといえる。経営計画は、企業活動の全体像を把握し、戦略的に方向性を示す唯一無二のツールである。これ以上に効果的な手段は私には思い当たらない。また、これほどまでに社員を動機づけ、主体的な行動を促す道も他に見つからない。経営計画は、企業の舵取りとしてだけでなく、社員一人ひとりを企業の未来へと導く原動力となるのである。
これほど重要な役割を担う「経営計画」であるにもかかわらず、一般的な認識は驚くほど低いのが現状だ。多くの場合、経営計画は単なる数字の羅列に過ぎず、本来の目的を果たしていないことが少なくない。また、社長がその意義を十分に理解せず、ただ形式的に誰かに作成を命じたもので終わってしまうことも多い。その結果、計画は形骸化し、経営の道具としての力を失ってしまうのである。
経営計画は、社長自らが筆を取り、全身全霊を込めて作り上げるべきものである。この計画には、社長の魂と信念が結集されなければならない。単なる書類ではなく、社長の想いと未来へのビジョンが凝縮されたものとして形にする必要がある。そして、その完成した経営計画は、内容だけでなく外見にもこだわり、デラックスな製本を施すことで、その重みと価値を明確に示すべきである。経営計画そのものが、企業の未来への象徴となるのだ。
経営計画が会社の中で最も大切なものであるのは、その重要性に他ならないからだ。社長自身の行動も、全社員の行動も、すべてこの「経営計画」を基盤として進められなければならない。経営計画は、企業全体の羅針盤であり、方針を具体化し、目標達成への道筋を示すものである。その存在を軽視しては、組織の一体感や方向性が失われてしまう。経営計画を中心に据えることこそが、企業の成功への第一歩といえる。
では、その「経営計画」とは具体的にどのようなものであり、どのように活用すべきかについては、この「一倉定の社長学シリーズ」の『経営計画・資金運用』篇で詳しく述べることとする。経営計画の本質や実践方法に興味を持った方は、ぜひそちらを参照してほしい。
経営計画ほど社員を動機づけるものは他にない。これを実現するためには、経営計画発表会を通じて社員に丁寧に説明し、その内容を徹底的に浸透させる必要がある。この取り組みこそが、日本的経営の大きな特色であり、日本以外の国ではほとんど実現が難しい強みとなっている。社員全員が経営計画を共有し、自らの役割を認識することで、組織全体が一丸となって目標達成に向かう力が生まれるのだ。
これは、世界で唯一、終身雇用という特有の土壌を持つ日本だからこそ可能なことである。この雇用形態により、社員と企業が長期的な信頼関係を築き、経営計画を共有する文化が成立するのだ。
ここで少し余談になるが、一つ明確にしておきたいことがある。それは、終身雇用を前提とした日本的経営が単なる慣習や形式ではなく、経営計画を通じて社員の意欲と能力を引き出す実践的な基盤であるという点だ。この点を誤解してはならない。
日本の終身雇用は、制度として明文化されたものではなく、「土壌」として根付いているものである。この土壌は、単なる制度よりもはるかに強力な影響力を持つ。だからこそ、法律上は会社に解雇権が認められているにもかかわらず、現実にはその権利が簡単に行使されることはない。
解雇が実際に行われるのは、会社が経営的に限界を迎え、他に手段がなくなるようなギリギリの土壇場に追い込まれた場合に限られる。このような状況は、終身雇用という土壌が社員と企業の長期的な信頼関係を前提としているからこそ成り立つものであり、日本独自の経営文化といえる。
もう一つ見られる大きな誤解として、「最近、終身雇用制が次第に崩れてきた」という意見がある。このような見解を持つ者は、社員が自らの意思で転職するケースを終身雇用の崩壊と混同しているようだ。しかし、これはまったくの見当違いである。
社員が自分の意思で転職することは、戦前はもちろん、明治や大正時代にも普通に見られた現象だ。これは「終身雇用」という土壌そのものの問題ではなく、個々の労働者が自身のキャリアや生活のために選択を行う行動に過ぎない。終身雇用とは、企業が社員を長期的に雇用し続ける姿勢や文化を指すものであり、社員の自主的な転職とは本質的に異なる話なのである。
終身雇用の「土壌」とは、経営者の立場に基づく考え方であり、社員の立場とは異なるものである。終身雇用は、経営者側が社員を長期的に雇用し続けるという姿勢として厳然と存在し、いかなる状況においても揺らぐことがない。それが「土壌」という表現で示される所以である。
この点を正しく理解していなければ、日本的経営の本質を見失ってしまうだろう。日本的経営とは、単なる経営手法や制度の話ではなく、この「土壌」に基づいた経営哲学と実践の集合体である。では、その日本的経営とは一体どのようなものなのか、改めてその核心を探ってみたい。
終身雇用が根付く日本の企業では、社員はしっかりと職務を全うしている限り、自らの意思に反して解雇される心配がない。この仕組みが社員に大きな安心感を与え、企業との一体感を生み出す基盤となっている。
その結果、社員は会社を単なる雇用主と見るのではなく、自分たちの生活を支える共同体として捉えるようになる。この信頼関係の中で、社員もまた会社の成長や繁栄を自らの利益と結びつけて期待するようになり、企業と社員の間に相互支援の関係が生まれる。これが、日本的経営の強みであり、終身雇用という土壌がもたらす特徴である。
人間の一生を通じての基本的な欲求とは何か。それは言うまでもなく、「一生を通じての生活の安定と向上」である。この欲求は、終身雇用があるからこそ、会社の将来に大きく左右されることになる。社員にとって、会社の将来性が自らの生活の基盤を支える鍵となるため、会社が成長し続けるかどうかが最大の関心事となるのだ。
その結果として、「社長は会社の将来についてどのように考えているのか」という問いが、社員の間で最も重要な関心事になっていく。社員は、会社のビジョンや方向性に共感し、それを信じられるかどうかで自らの未来への安心感を得ようとする。これは、終身雇用の土壌があるからこそ生まれる特有の関係性といえる。
この問いに答えを示すのが「経営計画」である。経営計画に記された一つ一つの内容は、社長の意図と決意を反映したものである。しかし、社員にとっては、それ以上に重要な意味を持つ。それは、経営計画が自分たちの未来、生活の安定と向上に直結するものだからだ。
経営計画は、単なる経営の指針ではなく、社員にとっては自らの将来像を示す羅針盤でもある。だからこそ、経営計画を通じて示される社長の意図と決意が、社員の期待や信頼の基盤となるのである。社員はこの計画を通じて、自らの生活がどのように発展し、会社と共にどのような未来を築いていけるのかを見出すのだ。
人間が最も意欲を燃やすのは、自分自身に関わることだ。経営計画の内容が社員にとって「自分の将来」を具体的に示すものである以上、それが社員に強烈な動機づけを与えるのは当然のことである。
経営計画発表会は、単なる行事ではない。それは、社員一人ひとりが自分の未来を重ね合わせ、会社の目指す方向性を共有する場である。この瞬間を境にして、社員の意識が変わり、会社全体が新たな一体感と活力を得て変貌を遂げるのだ。経営計画の発表は、組織における真の変革の出発点となるのである。
経営計画発表会は、まさに会社が生まれ変わる日である。この日に参列する一人ひとりが、「よし、やるぞ」という新たな決意を胸に刻む。それが全員参加型の経営、すなわち「全員経営」の出発点となるのだ。
この瞬間から、社員全体が一体となって目標達成に向けて動き出す。結果として、会社の業績は驚くべき速さで向上していく。これはまさに、「正しいワンマン経営こそ、全員経営を実現する道である」という考えの生きた実証であり、ワンマン経営の力を正しく理解し、実践することの意義を鮮やかに示している。
正しいワンマン経営なくして全員経営は成り立たない。また、経営計画なくして全員経営も実現し得ない。この両者が揃って初めて、社員全員が一丸となって未来に向かう経営が可能となる。
そして、正しいワンマン経営こそが、日本的経営の真髄であり、その本当の姿なのだ。この経営スタイルは、世界のどの国にも存在しない、日本独自の文化と土壌に根ざした、比類なき優れた経営方法である。日本的経営の本質は、社員と経営者が一体となり、共通の目標に向かって歩むところにある。その基盤を支えるのが、正しいワンマン経営であることを再確認すべきである。
社長と社員の責任の違いは、経営の方向を決定する責任と、その方向性に基づいて実行する責任にある。社長の責任は「結果に対する責任」、つまり会社がどのような方向に進み、その結果として成功するか、失敗するかを最終的に負うことである。一方で、社員の責任は「実施責任」であり、社長や上層部が定めた方針や指令に忠実に従って実行する責任である。社員は方針に基づいて行動することで組織の一部としての役割を果たし、その方針が間違っていれば結果に対する責任を負わない。
「正しいワンマン経営」の要件は以下の通りである:
- 社長は未来のビジョンを持ち、それに基づく経営理念を明確にする:社長のビジョンは長期的な企業の未来像に基づき、それを具現化するための目標や方針を策定する。
- 経営計画書にビジョンと方針を明文化し、組織全体に共有する:経営計画書は、社長のビジョンと経営の方向性を具体化したものであり、社長が責任をもって全員に説明し、協力を求めることで社員が経営方針を理解する。
- 重要な施策は自ら取り組み、その他は社員に任せる:社長が重要な決断に直接関わり、日常の実施に関しては社員に責任を委ねることで、組織全体が自発的に動く基盤を作る。
経営計画は、経営理念や未来像を具体的な指針として社員に示すものであり、社員にとっては会社の将来性を見据える安心感を与える。特に終身雇用の土壌を持つ日本的経営において、経営計画は社員の将来の安定と向上に直結し、全員の意欲を高める要素となる。
「正しいワンマン経営」における経営計画発表会は、社員が自分たちの将来を確認し、社長のビジョンに共感する場である。この発表会を通して、社員全員が「よし、やるぞ」という決意を新たにし、会社は「全員経営」という形で一致団結して進む力を得る。このように、社長の「正しいワンマン経営」によって全員経営が実現され、会社の業績は飛躍的に向上するのである。
この日本的なワンマン経営のスタイルは、他の国では見られない「全員経営」の土壌を育てるものであり、日本企業が持つ独自の強みである。
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