P社で環境整備を進めた際の話だ。初めのうちは社長や役員と一緒に社内を巡回しながらチェックを行った。採点してみた結果、初回としては意外にも健闘しており、100点満点中20点だった。多くの会社では初回は5点程度が一般的で、中にはマイナス5点というケースもあるほどだ。
しかし、採点前の段階ではどの会社も「70〜80点は取れるだろう」と楽観的に考えているものだ。それだけ環境整備というものが、始めたばかりの段階では何をどうすればいいのか理解しにくいものだという証拠でもある。P社の場合、大きな減点要素となったのは、材料置き場や部品棚の整頓が不十分だったこと、そして捨てるべきものをまだ完全に処分しきれていなかった点だった。
部品棚の整頓は、まず私が一段だけ手本として実践してみせた。所要時間はわずか20秒ほどだったが、それでも驚くほど見違える結果になった。その様子を見ていた製造部長が、「一倉さん、これは江田島と同じですね」と言った。製造部長には海軍時代、江田島での経験があったのだ。それを聞いて、私は「その通り」と答えた。
製造部長はその瞬間で要領を完全に掴んだようだった。そこからの展開は驚くほど早く、職場はみるみるうちに変わっていった。それと同時に、職場内で小さな革命が起きたと言っても過言ではない。私は常々、環境整備というのは正規の就業時間内、つまり給料が支払われる時間内で行わなければならないと考えている。それが私の揺るがない信念だ。
P社でも同じだった。残業をしなければならないほど忙しい状況にもかかわらず、毎日1時間を環境整備に充てた。当然、管理職たちからは反対の声が上がった。「そんなことをしたら生産量が落ちてしまいます」と。しかし、その時の社長の判断は実に的確だった。「遅れてもいい」という一言が、環境整備の重要性を全員に示したのだ。
環境整備を就業時間中に1時間行ったことで、生産が落ちた会社は、これまでの経験上、一社も存在しない。むしろ、生産性が向上していくことを私は確信している。実際、P社でも生産性は徐々に向上し始めた。毎月の実績データを確認するたび、当の管理職たちは「なぜだろう」と首をかしげるばかりだった。
その年の11月、P社は例月の30%以上の増産を求められるほど注文が殺到した。しかし、その増産体制を見事にこなし、さらに余裕すら生まれていた。この成果は、環境整備による職場の効率化と社員の意識改革が、確実に成果を上げた証拠と言えるだろう。
従来であれば、工場内は戦場さながらの緊張感に包まれていたはずだ。しかしその時は違った。増産の最中にもかかわらず、工場内は穏やかな雰囲気で、誰かが鼻歌でも歌い出しそうなほどだった。社長も製造部長も、「本当に不思議だ。これが現実だとはとても思えない」と私に語ってくれた。
まず、生産において大きな革命が起きた。そしてその影響は他の分野にも広がった。その原動力となったのは、社員全員とも言える意思の統一と、環境整備を通じて培われた新しい意識だった。
ある日、社員代表の二人が社長の前に立った。「お願いがあります」と切り出したその内容に、社長は驚いた。社員たちの要望はこうだった。
「ふと気づけば、私たちは会社の周囲の方々に多大な迷惑をかけていました。大きなトラックが頻繁に出入りし、特に残業の際にはプレス工場特有の騒音でご迷惑をおかけしています。そこで、せめてものお詫びとして、月に二日、全員で早出をして町内の清掃を行いたいのです」。
その言葉に、社員全員の誠実な意思が込められていることがひしひしと伝わってきた。
もちろん、社長は即座に了承した。むしろ、「これほど嬉しいことはない」と私に語るほど感激していた。そして、いよいよ清掃当日。社員全員が朝7時に集合した。
男性社員は町内の清掃に取り掛かり、女性社員はその間に朝食の準備を進めた。清掃が終わると、全員が一堂に会して朝食を囲む。普段の業務とは異なるこの時間が、社員たちの間に新たな一体感と達成感を生んでいるように感じられた。
この取り組みを始めてから、周囲の町内の人々の態度が一変した。社員の清掃時間に合わせて、自発的に一緒に清掃を始める人が現れたり、作業後にお茶を振る舞ってくれる人がいたりと、周囲の反応は実に温かいものだった。
こうした交流を通じて、社員と町内の人々との間に素晴らしい人間関係が築かれた。会社の存在が迷惑なものから地域の一員として歓迎されるものへと変わり、互いに助け合い、支え合う関係が自然と生まれていった。
例年、冬場になると忙しさがピークに達し、残業が続く。しかし、町内の人々からは「うるさい」と苦情を言われることは一切なかった。それどころか、温かく見守ってもらえる状況に、社長は感激していた。
その後、P社では工場の一部を建て直すことが決まった。平屋を三階建てにする大規模な改築だ。このような工事では、通常、近隣住民の反対に遭い、承諾を得るのに苦労するものだ。しかし、P社の環境整備と地域交流の成果が、ここでも発揮されることになる。
ところが、話は驚くほどスムーズに進んだ。社長が町内の代表者たちに集まってもらい、図面を広げて建て替え計画を説明したところ、代表者たちはその場で短い相談を交わしただけでこう答えた。
「あと1メートルだけ建物を引っ込めていただければ、町内の方々への説明と了解の取り付けは、私たちが責任を持って行います」。
その迅速な返答に、社長は感謝と驚きを隠せなかった。普段の良好な関係が、こうした場面で力を発揮したのだ。
それだけにとどまらない。以前は、会社に対してあれこれ文句を言い、さらには町内の人々を扇動して反対運動を煽ろうとする人物がいた。しかし、その人物についても、代表者たちはこう伝えた。
「会社にあれこれ言ってくる方がいますが、どうか気にしないでください。私たちが責任を持って説得しますから」。
この言葉に、社長は深く感動した。かつての対立が、今では信頼と協力の関係に変わっていたことを、改めて実感する出来事だった。
環境整備のおかげで、P社は町内の人々との間に優れた人間関係を築き上げることができた。その結果、何の気兼ねもなく仕事を続けられる環境が整った。これは非常に特筆すべきことである。通常であれば、増産の必要が生じた場合、工場の移転を検討せざるを得ないケースが多いのだ。
しかし、P社の場合、環境整備を通じて職場の効率を向上させるとともに、地域社会との信頼関係を構築したことで、移転することなく業務を拡大し、さらなる成長を実現することができたのである。
P社の環境整備の実施がもたらした変化は、社内外にわたって非常に大きな効果を生み出しました。最初は「生産が落ちる」という懸念の声もありましたが、実際には環境整備を毎日1時間就業時間中に行うことで、生産効率はむしろ向上しました。工場の整頓が進み、職場の雰囲気も明るくなり、社員が余裕を持って仕事に取り組むようになったのです。
そして、社内だけでなく、周囲の町内との関係にも好影響を与えました。社員から自発的に「町内清掃を行いたい」という提案が出て、それが実現した結果、地域の人々との絆が深まり、良好な関係が築かれました。騒音の苦情もなくなり、工場の建て替え工事もスムーズに承諾されるなど、周囲のサポートが自然と得られるようになりました。
環境整備の取り組みは、社員の意識を高めるだけでなく、地域社会との信頼関係も築き、会社の持続的な成長につながる重要な要素であることが、この例からよくわかります。
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