生産効率を上げたけれど
P社は佃煮のメーカーである。その市場占有率は限界的であり、しかもジリジリと下り続けていた。
しかし、売上高自体はわずかずつ上昇していたために、社長はこれに気がつかなかったのである。
我社の売上高だけしか見ていない危険がここにある。我社の売上げは上がっておっても、競合他社がこれ以上伸びておれば、市場占有率は下るのである。これは、その会社が倒産に向かってバク進している姿を表わしているのである。
だから、「対前年売上高伸び率」という考え方は、全くの誤りである。この誤りを、中小企業のほとんど大部分の会社でおかしているのである。比較しなくてはなら
ないのは、競合他社との伸び率である。
話をもとにもどそう。
どうして売上げを伸ばしていいか分からぬ社長に対する私の提言は、社長自らお客様のところを回って、お客様に教えてもらうことだということであった。
全くの穴熊で、お客様のところなど、いまだ一度も回ったことのない社長は、初めのうちは私の提言を受付けなかった。
ムリもないのである。社長になって二〇年間も、会社の中にジッとしていて、やれ組織だ、職制だ、権限の委譲だ、コストだ、成果配分だ、というような内部管理のみに憂き身をやつし、お客様のところへ行くことなど全く考えてもみなかったからである。
私はP社にお伺いするたびに、内部管理などいくらやってもダメなこと――それは、二〇年のP社の歩みと現在の状況を見れば分かる。もしも、このようなこ
とが正しいのであれば、もっと実績が上がっているはずである― ‐お客様のところへ行って、お客様の叱言を聞いてこなければ、いつまでたっても浮かばれないことを説いた。
しまいには、社長がお客様のところへ行かないなら、私はお手伝いを辞退するとまで申しあげたのである。
やっとい重い腰をあげた社長は、小売店を数社訪問した。しかし、そこからは
何も具体的な収穫はなかった。P社長いわく、「相手は大切なことは何も話してくれない」というのである。
当り前である。突然変異みたいに社長がお客様を訪問したところで、初対面である。儀礼的にならぎるを得ない。それだけではない。相手の社長は、こちらの訪間の真意が何であるのか分からないのである。
そこで「うかつなことは言えないぞ」という気持になる。このような雰囲気の中で、実のある話合いなどできるものではないのだ。
打ちとけて話をするには、何回も訪問して親しくならなければならないのだ。お互いに少しホグレ始めるのが三回目くらいなのである。
数回の訪間で、ホグレ始めたある社長の言によると、競合他社は製造後三カ月以上たったものは、巡回してくるセールスマンが引き取ってくれるが、P社ではそれをやってくれない、というのである(食品衛生法によって、製造年月日を明示してある)。
だから「他社品には製造後三カ月以上たったものは少ないが、あなたのところは六カ月もたったものがある。お客様は買う時に製造日付を見て、三カ月以上たったものはなかなか買わない」というのである。
この場合に、小売店の店主の日付チェックをしないことを責めるのは筋違いである。何千点もある陳列品の全部について、イチイチ製造年月日を調べることなどできるわけがないのである。
売上げ不振の重要な原因の一つがハッキリと分かってきたのである。これは、三カ月以上たったものを回収させない社長が悪いには違いないが、そんな方針などP社長から出ることは絶対にないのである。
なぜといって、いまのいままで、P社長はそんなことが小売店の店頭で起っていようとは、夢にも思ってはいなかったからである。
それにしても、六カ月前に製造した品物が店頭にあるとは、いかにも異常である。その真因は何であったのだろうか。
この話を聞いた私は、すぐに思い当ることがあった。それは、P社の生産奨励金である。
実態を調べたら、まさに私の思った通りだった。
生産奨励金があると、製造部門の製造活動はこれに焦点を合わせ、奨励金がもっとも多くなるように行動するのはいうまでもない。
まず第一に、ロット・サイズを大きくする。三カ月分を一度につくる。切換えロスが少なくなるし、なれることによる効率の上昇があるからだ。これを製造中は、たとえお客様から他の製品の小日注文があっても、これは受付けない。これはお客様無視である。こうして、お客様に迷惑をかけ、その商品を売り損ない、ついにはお客様の信用を失ってゆく。これも売上げ不振の原因の一つである。
これは、 一方ではお客様の要求を無視しながら、 一方ではお客様の要求をはるかに越えた多量の製品がつくられて、これが過大在庫となる。まず社内で日数がたってゆく。
しかし、棚卸の時に過大在庫があると、社長から叱られるので、程々のところで売らなければならない営業部門も楽ではない。営業部門が製造部門に苦情でも言えばまだいくらかましになるかもしれないが、製造部長は最古参である。苦情を言うわけにはいかない。
仕方がないので、これを問屋に押し込むことになる。押し込まれる問屋は、大
幅に値を叩く。これをのまなければ買ってもらえないので、渋々承知する。価格
方針などないのであるから、こうしたことは防ぎようがない。というよりも、誰
もこんなことに関心はないのだ。たまたま社長が思いついたように注意しても「競
争が激しく値下げしなければ売れません」という営業部門の反発にあうと、市場
の実態を知らない社長は引っ込まざるを得ない。
「もっと高く売れ」とでも言おうものなら、たちまち「そんな価格では売れま
せん」とくる。売れなければ困るということで、この戦いは常に営業部門の勝ち
となるのである。
大量に品物を引き取った問屋の倉庫で、また日数がたってゆく。さらに小売店
の店頭で寝る。ということになって、六カ月もたったものが店頭に並んでいると
いう事態が起きたのである。
社長のお客様巡りによって、この六カ月前の製品に関連して、社内のことのみ
ならず、競合会社がこれを利用していたということが分かった。
それは、強敵のある会社が、P社の六カ月前の品を買って、これを保健所に持っ
ていって分析してもらい、この分析表を持ち回って、P社の得意先を奪う戦術と
していた、ということである。これは、明らかにP社が悪いのである。P社がお
客様に背を向けていることの報いなのである。そして、これがまた売上げ不振の
重要な原因の一つであることは言うまでもない。
以上が売上げ不振の原因の全部ではない。事業の経営とは、そんな単細胞なも
のではないし、販売戦というものは、冷厳な市場原理に従わなければ勝ち目はな
いのである。
とはいえ、社長がお客様のところへ行って知ったことの価値は大きいことに変
わりはない。それは販売戦を勝ち抜くための貴重な社長自身の体験だったのであ
る。
お客様のことを知らないで、不用意な生産奨励金などを設定したために、売上
げを阻害しただけでなく、 一方では、この間違った製造部門の行動に対して報奨
が行われていたのである。
ここで、奨励金について大切なことを付言しておこう。結論から先にいえば、
奨励金制度なるものは、それがどのようなものであれ、事業経営においては絶対
にとり入れてはならないということである。
何故かというと、奨励金制度をとった瞬間から、社員は奨励金に焦点を合わせ
て行動するものであることは、先に述べたとおりであるc
社員は、それぞれの考えをめぐらして、奨励金がもっともたくさんとれると思
われる行動をとる。各人の勝手な行動によって、会社の中はバラバラになってし
まい、会社の力を一つに結集することなど思いも及ばなくなる。
だからといって、これを規制しようとすれば、社員は「行動を規制されたら、もっ
と奨励金がもらえると思うことがあっても、それがやれなくなる」という受取り
方をするに決まっているのだ。
奨励金というものは、「各人は自分勝手な行動をとってもよい」という意思表
示に外ならないのであり、これは、まさに経営権の放棄であり、いささかオーバー
ではあるが、それは社長の社会的責任を自覚しないことである。事業というのは、
社長の総指揮のもと、全社一九となって厳しい情勢に耐えて存続していかなけれ
ばならないものである。
それを、社員一人一人の考え方によってバラバラな行動をとってしまったら、
鳥合の衆となり、会社をつぶしてしまうからである。会社をつぶすことこそ、社
長の犯すもっとも大きな誤りであり、その社会的責任は厳しく追及されなければ
ならないものであるc
もう一つ、奨励金制度の犯す罪悪は、社員とすれば「これをすればいくらもら
える」というサモシイ考えを生み、「これをしても一文も奨励金がつかない」と思っ
た時から、動こうとしなくなる、何とも身勝手な人間をつくりあげてゆくのであ
る。
人間それ自体をもダメにしてしまうのが奨励金制度なのである。タクシーの運
転手が、人間的にダメになってゆく姿は、誰の目にも映る情ないことではないか。
社長たるものは、自らに課せられた大きな社会的責任を自覚し、正しい姿勢の
もとに正しい経営を行わなければならないのである。
そして、どんな事態が起きてもつぶれない会社にすることこそ、社会的な至上
命令なのである。
奨励金制度を絶対にとってはいけないという私の主張は、ここにその理由があ
るのだ。
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