環境整備とは、規律、清潔、整頓、安全、衛生の五つで構成されるものだと考えている。この中で、安全と衛生は、規律、清潔、整頓を徹底すれば自然と実現されるものであり、その意義についても特に説明を要しない明確な要素だ。したがって、ここでは安全と衛生については取り上げないことにする。
規律とは、以下の二点に集約されるものと解釈するのが適切だろう。
- 決められたことは必ず守ること
- 命令や指示は確実に実行されること
これが規律の本質であると考えられる。
憲法や法律、条例といったものは国や自治体によって定められるものであり、ゲームにはルールが存在する。会社には社規や社則といった規定があり、物を作る際には設計や仕様を遵守する必要がある。それぞれが秩序を保ち、目的を達成するために設けられた規範だ。
人間の生活や活動、会社の業務、さらにはゲームに至るまで、必ず「決めごと」が存在する。それを守らなければ、社会生活も会社の活動も円滑には進まない。競技やゲームも、ルールがなければ成り立たない。決めごとを無視すれば混乱が生じたり、事故が起こる危険性が高まる。要するに、「決めごとを守る」という、極めて単純な原則が重要なのである。
「決めごと」が存在する以上、それが不都合であっても違反してはならない。決められた通りに従うことが求められる。しかし、もしその「決めごと」が現状にそぐわなくなり、不都合が生じるようであれば、放置するわけにはいかない。その場合には「変更」が必要となる。そして、一度変更されたならば、今度はその新しい「決めごと」を守らなければならないのだ。
だからこそ、「決めごと」には良識が求められる。良識を欠いた「決めごと」は、社会にとって害悪でしかない。同じことは命令や指示にも当てはまる。それらが確実に実行されなければ、社会生活も会社の経営も成り立たない。適切な「決めごと」とその遵守が、秩序と機能を支える基盤なのである。
「必ず行われること」に関しては、命令や指示を受けた側だけに責任があるわけではない。命令を出した側にも重要な責任が伴う。それは、指示を実行させること、実行可能な環境を整えること、そして正しく実行されたかを確認することである。しかし、現実には「命令の出しっぱなし」がしばしば見受けられる。命令を出すだけでその後のプロセスを放置するのでは、責任の所在が曖昧になり、組織の秩序も維持できなくなる。
もし命令が実行されないにもかかわらず、出しっぱなしでチェックも行わないのであれば、結果的には「命令しなかった」のと同じことになる。だからこそ、命令を出した側には「行わせる責任」と「チェックする責任」があることを常に意識しなければならない。この責任を怠れば、組織の運営や目標の達成に支障をきたすことは避けられない。
「いくら言ってもやらない」とぼやく上司は少なくないが、これは単に実行しない側が悪いだけではない。実行させられない上司側にも、より大きな責任があると考えるべきだ。それこそが、上司としての正しい姿勢であり、自らの指導力や管理能力を省みる契機となる。部下に責任を押し付けるだけでは、問題の根本的な解決には至らない。
清潔とは、以下の二点に集約される。
- 不要なものを捨てること
- 必要なものを捨てないこと
単なる掃除や見た目をきれいにすることだけが清潔ではない。いくら掃除をしてきれいに見せても、不要なものを溜め込んでいれば、それは清潔とは言えない。清潔の本質は、「不要なものを排除し、必要なものだけを残す」という取捨選択にある。
「もったいない」と言って不要なものを捨てずに置いておくのは、一見すると美徳のように見えるが、実際には美徳ではない。いらないものが大切なスペースを占領し、その結果として仕事に支障をきたすようでは、それはただの愚行である。本当に必要なものを生かし、不必要なものを排除することこそ、効率的で健全な環境を作る基本である。
「もったいない」と言って不要なものを捨てずに溜め込むことこそ、実は本当の意味でもったいない行為である。限られたスペースや資源を浪費し、効率を損なうだけでなく、環境整備の本質を見失っているからだ。
清潔の観点で見逃されがちな大きな盲点に気付かない会社は多い。その典型例が「色のついた作業衣」だ。なぜ色のついた作業衣を着るのか、一度考えてみるべきだろう。それはおそらく「汚れが目立たない」ためではないか。だが、汚れを隠してしまうことは、清潔の本質に逆行する行為であり、問題を見えにくくしているに過ぎない。
汚れとは、すなわち「いらないもの」であり、不潔の象徴だ。色のついた作業衣を着せること自体が、「汚れても不潔な状態のままで構わない」という無意識の意思表示であることに気づくべきだ。それは会社の姿勢そのものを映し出している。
汚れを嫌い、清潔を求める職業や職務、例えば医師、看護師、薬剤師、料理人、板前などは、皆が真っ白な作業着や上っ張りを身に着けている。この白という色には、汚れが一目で分かるという利点があり、常に清潔を保つ意識を促す役割がある。色付きの作業衣に頼ることは、汚れを隠すだけで、清潔の本質から目を背ける行為でしかない。
私が初めて白い作業衣に出会ったのは、二十数年前、本田技研の協力工場にお手伝いに行ったときのことだ。その際に聞いた話では、本田宗一郎氏がある協力工場を訪問した際、そこでは自社の作業衣を着ていた。この光景を見た本田氏は、自らの認識不足に気づき、即座に本田技研だけでなく、全協力工場にまで自社の白い作業衣を採用させたという。
このエピソードには、経営者としての卓越した洞察力と実行力が表れている。清潔を可視化するという理念を全体に浸透させたことで、ただの作業衣が会社全体の姿勢と品質を象徴するものとなったのだ。さすが名経営者と呼ばれるにふさわしい行動である。
私は、どの会社に対しても例外なく白い作業衣を勧めている。それは鍛造、鋳造、メッキ、塗装といった汚れが避けられない工場だけでなく、スクラップ処理や一般産業廃棄物処理業者においても同様だ。
どんな職種であれ、白い作業衣を採用することには明確な意味がある。汚れを隠すのではなく、あえて見える形にすることで、清潔さへの意識を高め、徹底した管理を可能にする。この取り組みは、作業環境だけでなく、企業の姿勢や信頼性にも直接つながる重要なポイントである。
ある会社で、「トラックの運転手が半日で作業衣を汚してしまう」と相談を受けたことがある。そのとき、私はこう答えた。「何を言っているんだ。工場が汚れているから、製品が汚れ、倉庫が汚れ、カートンがほこりまみれになり、トラックの荷台が汚れ、キャンバスまで汚れているんだ」と強く指摘したのだ。
その後、その会社は清潔への取り組みを見直したようで、運転手たちの作業衣も以前ほど汚れなくなり、二、三日は目立たない状態を保てるようになった。環境が改善されれば、汚れが作業衣に伝染することも減る。清潔さを追求する重要性を改めて実感させられた出来事だった。
私の工場では、清潔度を判断する基準として、洗いたての白い作業衣を着た状態で床を転がり、その作業衣が汚れなければ100点満点とすることにしている。この基準は、「清潔において『これで十分』という限度は存在しない」という考えを示すためのものだ。清潔さは妥協を許さず、常にさらに向上させるべき目標であるという姿勢を明確に伝えている。
白作業衣を有償とするか無償とするかについては、多くの経営者が「無償だと大切に扱われなくなるので、有償で安価に支給する方がよい」と考えている。確かに、この方法は作業衣の価値を意識させ、大事に使う意識を促す点で効果的だと言える。
また、白作業衣の洗濯については、必ず会社が責任を持って行うべきである。個々に任せると不十分な洗濯や管理のばらつきが生じる可能性があるため、統一的な清潔基準を保つためにも、会社で一括管理するのが理想的だ。これにより、清潔な環境を維持するだけでなく、社員全体の意識向上にもつながる。
白作業衣の洗濯を管理する方法は、会社によってさまざまだ。一例として、家庭用洗濯機を20台ほど並べ、効率よく洗濯を行う環境を整えた会社がある。また、パートのスタッフを雇い、請け負わせているケースも見られる。さらに、プロの洗濯業者に委託し、専門的に清潔を維持している会社もある。
どの方法を選ぶにしても、重要なのは、作業衣を常に清潔な状態に保ち、社員一人ひとりが清潔の大切さを意識できる環境を提供することだ。それぞれの会社に合った手法を採用しつつ、一貫して高い基準を維持することが求められる。
作業衣の交換は週2~3回が一般的だが、汚れやすい職種では毎日交換する場合もある。月曜の朝、全員がプレスの効いた真っ白な作業衣で朝礼に臨む光景は、特別な清々しさを感じさせる。
あるゴルフ場(名前は失念したが)で、キャディのユニフォームを半日ごとに交換させていると聞いたことがある。その社長の徹底した姿勢には感心させられる。また、練習ボールをきれいに洗い、定数を揃えて籠に入れておくゴルフ場もあり、そこでは実に快適に練習を楽しむことができる。
「いるものを捨てない」という意味は、文字通りで特に説明の必要はない。後始末や清掃の際にこれを適切に行うかどうかは、躾に依るところが大きい。端材や残材については、現場の責任者が判断するか、寸法や大きさの基準をあらかじめ定め、それより小さなものは捨てるなどのルールを決めておけばよい。
「いらないものを捨てる」というのは、人体で言えば「便秘をしない」ということに例えられる。一方、「いるものを捨てない」というのは「下痢をしない」という状態に相当する。どちらも健康を保つために欠かせないバランスであり、環境整備においても同じことが言える。
便秘や下痢を防ぐことは、人体の健康を維持する基本条件である。同様に、職場でも「便秘」(不要なものを溜め込むこと)と「下痢」(必要なものを無駄に捨てること)を防ぐことが、健全な職場環境の基本条件となる。人体と職場は、実に同じ原理に基づいて機能していると言える。「職場の便秘と下痢を防ごう」というスローガンは、意外性がありつつも、本質を突いた面白い提案だ。
整頓とは、以下の二つを徹底することである。
- 物の置き場所を明確に決めること
- 置き場所の管理責任者を決め、分かりやすく表示すること
整頓とは単に「片づける」ことではない。むしろ、ただ片づけてしまえば、必要な物がどこにあるか分からなくなり、仕事にならなくなる。したがって、「片づけろ」という指令は誤りであり、整頓の本質に反している。
物の置き場所を決める際の重要なポイントは、仕事の効率を最優先に考えることだ。例えば、工具を工具箱にしまうと、取り出す際に中をガチャガチャとかき回す羽目になる。そのため、整理板(穴空きボードが適している)を活用し、工具の影絵を描いて名前を記入しておけば良い。この方法なら、新人にもわざわざ説明する手間が省け、必要な工具を誰でもすぐに見つけられる。
机の上に書類立てを置き、数多くの書類を並べておくのは、どの職場でもよく見られる光景だ。しかし、それらの書類の多くは、めったに使わないものばかりだ。これらは別の場所に保管し、終業後には机の上を完全に片付けて何もない状態にするべきである。この習慣を徹底すれば、作業効率が向上し、職場全体がより整然とした印象を与えるようになる。
引き出しの中、棚、車のダッシュボードやトランクなど、あらゆる場所で不要なものを捨て、物の置き方を決めるだけで、職場全体が驚くほど整然とした状態に変わる。これらの細かな部分を見直し、整理整頓を徹底することが、職場の秩序と効率を大きく向上させる鍵となる。
消火器は、緊急時にすぐ取り出せる場所に置くことが最優先だ。また、その周囲に邪魔になるものを置かないよう徹底しなければならない。しかし、この基本が守られていない職場が意外と多いのを知っている。
消火器の置き場と管理責任者を示す表示板については、大・中・小の3種類程度を用意し、全社で統一したデザインを使用すべきだ。これにより、どこに何があるのか一目で分かる環境を作り、安全性と管理の効率を同時に高められる。
大・中・小の表示板を縦横に活用すれば、六通りの組み合わせが可能になる。これにより、用途や場所に応じた柔軟な使い方ができる。また、法律で定められた危険物や注意箇所については、必ず法令に基づいた表示や防護措置を徹底することが基本だ。
私は、掃除道具の置き場所とその表示が適切に整備された段階で、職場に及第点を与えることにしている。掃除道具の整頓と表示は、整備全体の基本であり、環境管理の重要な指標となるからだ。
環境整備とは、職場や会社の状態を整え、規律ある清潔で整然とした環境を作り出すための「規律・清潔・整頓・安全・衛生」の五つの要素から成るものです。この五つの中でも特に重要な三つ、「規律」「清潔」「整頓」についての説明を見ていきましょう。
規律
規律とは、ルールや指示に従うことを意味し、「決められたことを必ず守る」「命令や指示は必ず行われる」ことを指します。どんな組織にも規則や基準があり、それに従わなければ混乱や事故が生じる可能性があります。上司が命令を出すだけではなく、実行されているか確認することも重要で、上司側には行わせる責任とチェックする義務があります。
清潔
清潔は「いらないものを捨てる」「いるものは捨てない」という考えに基づいています。単なる掃除とは違い、無駄なものを残さず処分し、本当に必要なものだけを適切に保つことです。また、清潔さを保つために白い作業衣を推奨しており、白は汚れが目立ちやすいため、清潔な状態を維持する意識が高まります。全員が清潔な作業衣で整った職場環境で働くことにより、社員のモチベーションも向上します。
整頓
整頓とは、「物の置き場所を決める」「管理責任者を決める」といった管理体制を整えることを意味します。物の置き場所を決め、それに沿って道具や物品をきちんと配置することで、効率の良い作業が可能になります。整頓された環境では物がすぐに見つかり、紛失も防げます。
このように、環境整備の取り組みは作業効率や安全性を高め、仕事の質を向上させるだけでなく、組織全体の信頼とイメージの向上にもつながります。
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