独裁すれど独断せず
佐伯社長の著書『運をつかむ』(実日新書刊)には、右の事情の紹介があり、さらに、社長としての正しい態度が説かれている。それが、この「独裁すれど独断せず」である。
事業経営には「多数決の理論」は通用しない。こんなことをしたら会社はつぶれてしまう。正しい姿は「社長独裁」である。
そのくだりを同書(一三二貢〜一三四貢)より引用させてもらう。
ここで問題になってくるのが、独裁的経営、ワンマン経営についてである。
世界にはワンマン社長といわれる人も少なくない。
私がその中に入るかどうか知らないが、この独裁的経営については、心すべき点がある。よほど注意しなければならないことがある。
それは、独裁と独断を混同する、という危険をおかすことである。そこで私は「独裁するが独断はしない」ということを身上としている。
私は独断はしない。一つの決断を下す際には、それ以前にあらゆる知恵を集める。まず第一に、調査、研究に十分な時間をかけることはいうまでもない。
そのための金も惜しまない。そしてさらに、社内の衆知を集める。これにま、いかんそくたい階級差も衣冠束帯も間わない。
だれでも、知恵あるものは知恵を出せ、ということを、いつも社員にいっている。
また、社内の知恵だけでは足りないから、社外の人、友人、あるいはその他の専門家の意見も十分に聞く。
そして自分の考えが正しいかどうかを確かめ、ある時は誤りをただして、自分の目標に向かって、修正し、具体化していく。
このように、 一つの決断を下すまでには、あらゆる知恵、衆知を集め、けっして独断はしない。
しかし、いぎ最終の断を下す際にはこれは断乎として私が決定する。「よきにはからえ」という調子で、下から上がってきた書類にメクラ判を押すんではなしに、これをやるか、やらんか、呑むか否かという決定は、会社の最高責任者は社長である私だから、私が独裁する。
何ものにも容塚されずに、私が決裁するのである。この意味で、私は『独裁はするが、独断はしない』ことを信条としているのである。
※容隊=横から回だしすること
「衆知を集めた独裁」これこそ社長(のみならず、すべての指導者も)の正しい姿勢でなくて何であろう。
社長の役割は「決定」である。そして、会社の運命は決定によって決まってしまうのである。
決定が誤っていれば、何をどうやっても会社は絶対によくならないことを、肝に銘じていなければ社長としては完全に失格である。
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