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無能な部下ばかりだ

N社は、従業員が200名強在籍する中小企業の合理化モデル工場であり、U社の専属工場でもある。社長は、自社の専門技術に精通したエキスパートであり、生産技術にも深い知識を持つ。自らの技術力を駆使し、現場の隅々にまで目を配り、改善策を指示している。

新しい仕事の引き合いがあると、社長は図面を一瞥しただけで、どのような型を使い、どんな治具や工具が必要かを瞬時に見抜く。その判断は驚くほど独創的であり、まさに職人技を超えた「神技」と呼ぶにふさわしいものだ。

社長の指示は、製造担当の重役や製造部長を飛び越えて、直接製造課長に伝えられることが多い。場合によっては、課長すら通り越し、主任に直接指令が下ることもある。これでは、間を素通りされた幹部たちが面白いはずがない。「どうぞご勝手に」という心境に陥り、「うちには大将と兵隊しかいない」と感じるのが、幹部全員の正直な本音だ。

まれに、積極的に仕事に取り組む幹部が現れると、社長はその技術的な不備を容赦なく指摘し、徹底的にやり込める。そして最後には、「もっと勉強しろ」と説教が始まる。社長としては励ましているつもりなのだが、その厳しさが相手にどれほどのプレッシャーを与えているかには、気づいていないようだ。

こうして社長の振る舞いは、次第に部下たちのやる気を削いでいく。技術屋出身の社長にとっては、部下の仕事のすべてに口を出さずにはいられない性分なのだ。その結果、現場の自律性が失われ、部下たちの主体性も薄れていく。

「合理化モデル工場」とは言え、専属工場としての厳しい現実がある。長年にわたり親会社から強引な値下げ要求を受け続けてきた結果、業績は極めて低迷している。「合理化モデル工場」の称号が必ずしも業績の優れた企業に与えられるものではない点も重要だ。この称号は、内部管理の徹底や効率の良さを評価するものであり、それが企業としての優秀さを意味するわけではない。「内部管理」や「能率」は単なる条件に過ぎず、必ずしも競争力や成功に直結するものではないのだ。

N社は長年の苦い経験から、「自社製品を持つことの重要性」を嫌というほど痛感している。そのため、自社の技術を活かせるマスプロ製品や、時には「儲かる」という噂が立つような「キワ物」商品にまで手を伸ばしてしまう。しかし、その姿勢には一貫性がなく、次々と新しい分野に手を広げる様子は、焦りや迷走を感じさせるものでもある。

さらに、社長はいつも驚くほどの短期間で製品化を目指す。自ら現場に立ち、職長を指揮するだけでなく、時には直接作業者として試作から生産までの工程を進めてしまう。その迅速な行動力は社長の持ち味ではあるが、一方で現場に過度の負担を強いる要因にもなっている。

幹部たちは誰一人として関与しようとはせず、陰で「また失敗するだろう」とまるで失敗を待ち望んでいるかのような言葉を漏らす。そして、その予想は皮肉にも、ほぼ毎回的中する。こうして社内には、挑戦を冷ややかに見守る空気と、失敗を前提にした諦めのムードが広がっていくのだ。

社長は失敗の原因を、技術の未熟さや幹部の「やる気の欠如」に求めている。そのため、問題の本質が見えず、根本的な改善には至らない。実際の失敗の原因は、社長自身の独断的な判断や計画性の欠如、そして組織全体の協力体制の崩壊といった、全く別のところにある。それに気づかない限り、同じ失敗が繰り返されるばかりだ。

それが「マーケット」にあることを社長は、全く知らないのである(この点は非常に重要なので、本章のまとめとして、「企業の成果は外部から得られる」でふれることとする)。

新製品の展開がことごとくうまくいかないため、結局また生産能率の向上に戻る。しかし、それだけでは業績の苦しさを解消できず、再び新製品開発に手を出す。苦しい状況だからこそ開発を急ぎ、結果として失敗に終わる。失敗すれば再び生産能率の改善に取り組むという悪循環に陥る。このサイクルを十年近く繰り返した末、ついに会社は破綻に追い込まれた。問題の本質を見極めないまま行動し続けた結果が、この悲劇的な結末を招いたのである。

社長は、ことあるごとに幹部への批判を口にする。消極的だ、管理能力が足りない、指令に対して返事だけで行動が伴わない、目標を与えても達成のための条件を整えられない。合理化に必要な情報が上がってこない、経済計算がまるでできていない、外注工場の整備が不十分だ、安易に外注に頼りすぎている、本来ならもっと社内で加工できるはずだ――と、不満の言葉が際限なく続く。その批判を延々と聞かされる幹部たちは、次第にうんざりし、やる気を失っていくのも無理はない。

幹部たちは、社長のお説教に素直に耳を傾けようとはしない。自分たちの仕事に対して逐一ケチをつけられる状況では、受け入れられるはずがない。彼らには彼らの言い分があるのだ。「社長の場当たり的な判断こそ、新製品が失敗する最大の原因だ」「社長の技術的な指示にはこれだけの欠陥がある」「社長の言う通りに進めれば、外注工場は逃げ出してしまう」「われわれに任せてもらえない限り、何をどうやっても成功するはずがない」といった不満が心の中でくすぶっている。こうした不信感が溝を深め、組織としての連携は完全に崩れている。

社長が厳しい言葉を重ねるほど、幹部たちはますますやる気を失う。その結果、業績不振が一層深刻化し、状況の悪化が社長の焦りをさらに煽る。そしてその焦りが、幹部への指令や説教を一段と激しいものにする。この悪循環が止まらず、組織全体が停滞し、業績改善の糸口を見つけることさえ難しくなっていく。

誰一人として社長に積極的に協力しようとせず、幹部と社長の溝は深まるばかりだ。その結果、社長は完全に孤立した存在となる。こうした状況に直面すると、自分の無力さを痛感せざるを得ない。社長の本来の役割は「部下の管理」ではなく、「事業の経営」であることを何度も繰り返し説いても、まったく理解されない。この頑なな姿勢が、問題をさらに複雑にしていく。

合理化モデル工場に指定されるほどの優れた技術と設備を持ちながら、それでも経営が苦しいのであれば、社長自ら親会社の部長や重役、さらには社長に直接掛け合い、単価の値上げを必死に訴えるべきだ。しかし、実際にはその重要な交渉を営業課長に任せきりにしている。この姿勢が、経営の苦境をさらに深刻化させていると言わざるを得ない。トップとしての責任を果たさない限り、状況の改善は見込めない。

しかも、その交渉を任せているのは、社長自身が無能の烙印を押している営業課長である。営業課長では、親会社に軽く見られるのは明白ではないか。しかし、それは営業課長の能力の問題ではなく、交渉の場における立場や権威の問題だ。トップ自らが動くべき重要な場面で、それを部下に任せてしまうことが、結果的に会社全体の立場を弱めているのだ。

営業課長に任せているという事実そのものが、相手に「この程度の比重しかない」と評価される原因になっている。もし現在の仕事で将来の収益が見込めないのであれば、社長は十年先を見据えて事業を選択し、五年から三年先を目標に据えて計画を立てるべきだ。そして、その目標に向かって社長自ら全力で取り組む姿勢を示す必要がある。トップとしての決断と行動が、会社の将来を左右する鍵となる。

社長とは、会社の未来を切り拓き、その将来を築く存在である。社長の役割は、現在の収益を増やすための具体的な手段を探し、それを自ら実行することではない。現在の運営に関しては、明確な目標と方針を示したうえで、信頼をもって部下に任せるべきだ。トップが未来志向で動かず、目の前の課題に没頭してしまえば、会社全体の進むべき道が見えなくなる。リーダーシップとは、現在の管理ではなく、将来へのビジョンを示し、それを実現するための環境を整えることに他ならない。

このエピソードから見えるのは、社長が有能であるがゆえに起こる、リーダーと部下の間のギャップです。社長は技術的なスキルや知識が卓越しているものの、部下への信頼や協力を得られない状況に陥っており、孤立している点が大きな問題です。

社長が持つ専門技術は、企業の現場レベルで重要ですが、その力を発揮するには、全体の経営視点が欠かせません。社長自らがすべての工程や技術的判断を細かく指示し、幹部を飛び越えて直接現場の作業者に指示を出している状況では、幹部が自分の役割や責任を果たす機会が失われます。その結果、部下は社長に依存する姿勢が強まり、やる気や自主性が低下してしまうのです。

さらに、社長が事業の方向性を見定めず、マーケットの理解も不十分なまま新製品開発に取り組むことも失敗の要因です。マーケットや顧客の需要を見据えた戦略的判断を欠くことは、事業全体の経営において致命的です。

会社の成功には、部下に適切な責任を与え、任せることが必要です。社長は企業の将来を見据えた方向性や目標を明確にし、現場の管理は幹部に委ねるべきです。

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