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江田島

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江田島

数年前、私は親しい社長さん達十数人と江田島にある自衛隊の幹部候補生研修所を見学した。もと日本海軍の兵学校だったところである。

自衛隊では、民間の人々の見学を歓迎しているのだという。旧海軍の中佐だった人が案内係だった。

正門から奥の方に主道路があり、二百メートル余り先からゆるく右に曲り、道路の右と正面奥の方に赤煉瓦の兵舎があり、左は広場でその広場の左に戦後に建てたという鉄筋コンクリートと思われる三階建らしい建物があった。

舗装された道路の両側は小砂利が敷きつめられ、熊手で仕上げた規則正しい筋目が入っていた。道路も砂利敷もチリ一つ落ちていない。砂利敷には足跡一つないだけでなく、筋目に全く乱れが見えなかった。

赤煉瓦の兵合は、百年前に英国人によって建てられたという。いまだにビクともしない堅固なものだが、中央の道路から見えた戦後日本の建築会社が建てた鉄筋コンクリートの建物は傷みが甚だしく、危険なため、立入禁止になっているという。日本人とは何と情ない人種なのだろうか。

兵舎の内部は見せていただけなかったが、屑籠には紙片一枚入っていないという。もしも、週番士官の巡視で屑籠の中に紙片でもあろうものなら、誰が捨てたのかと厳しく追及されるということである。

だから、研修生は外出時には風呂敷を持参し、買った物は裸のまま受取って風呂敷につつんで帰るという。包装紙などいらないという実証がここにあるのだ。

現在日本中で困っているゴミ問題解決の手本になることが、ここにあったのだ。

資料館には、勝海舟の雄渾な揮豪があったが、私には一字も読めなかった。山本五十六の色紙もあった。佐久間艦長の遺書(本物)もあった。

特攻隊員の出撃前に書いた肉親あての手紙を読んでいる参観者はみな泣いていた。私も胸がつまり、涙が流れて仕方がなかった。明日は死にゆく人間の最後の魂の叫びがそこにあったのである。真珠湾攻撃の特殊潜航艇(実物)もあった。すべてが大きな感銘を呼ぶものばかりであった。

帰りの遊覧船が岸壁をはなれて、しばらくたった時、同行の社長さんの一人が「一倉さん、案内人だった人が岸壁で見送っておりますよ」と教えてくれた。

あわててデッキに駆け上って、直立不動の姿勢で見送って下さっている案内人の方に手を振った。私は、何と礼儀知らずの人間なのだろうと、恥ずかしくて身の置きどころもない思いだった。

これほど大きな感動を受けたのは、戦後初めてだったのである。世界中の軍隊は、ただ一つの例外もなく、環境整備が実に立派である。環境整備こそ、精強な軍隊をつくるための絶対的条件であり、しかも最も根源的な条件は環境整備であることを知っているからだ。

これは、数千年(数万年かも知れない)の年月と膨大な戦費と数えきれないほどの尊い人命の犠牲を払っての教訓だからである。

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