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権限委譲の危険

定期的に開いている社長ゼミの相談時間に、T社長からコンサルティングの依頼があった。その背景は次の通りだ。T社はある機械のメーカーで、戦後の高度成長期には順調に発展を遂げてきた。しかし、景気の低迷により一転して低成長に陥り、業績が振るわない状況に直面していた。

懸命に努力を重ねたものの、事態は一向に好転しなかった。思い悩んだ末に、社長は「これ以上一人の力では解決できない」と判断し、専門家の助けを借りることを決意。そこで、あるコンサルタントに指導を仰ぐことになったのだ。

「あなたの会社がうまくいかない最大の原因は、社長が一人で全てを抱え込むワンマン経営をしており、社員が持つ能力を発揮する場を与えていない点にある。解決の鍵は、大幅な権限委譲だ。部長や課長に責任を持たせ、それぞれの能力を最大限に活かす必要がある。製造部長には製造を一任し、営業部長には販売、経理部長には資金、人事については総務部長に全権を与えるべきだ。そして、部長会を設け、経営に関わる重要事項をそこで討議し決定する仕組みを作ることだ。さらに、部長たちの自由な発想を妨げないために、社長自身は部長会への出席を控える方が望ましい」というアドバイスだった。

社長は「そうか、社員の能力を発揮させることを忘れ、自分一人で全てを抱え込もうとしていたのが間違いだったのか」と深く反省し、コンサルタントのアドバイスに従って、四人の部長に権限を大幅に委譲した。また、自らも部長会への出席を控えるよう努めた。その後、二年の月日が流れた。しかし結果として、会社の業績は急激に悪化し、大赤字に陥るという厳しい現実に直面することになった。

権限委譲どころの話ではなく、会社は倒産寸前の危機に追い込まれていた。気も狂わんばかりの苦悩に押しつぶされながら、社長は私のゼミに参加し、自分の判断ミスをようやく悟った。そして、私にコンサルティングを依頼してきた。依頼を受けること自体には異論はなかったが、あいにく私のスケジュールはびっしり詰まっており、すぐに動ける状況ではなかった。結局、社長のもとを訪ねることができたのは、半年後の7月になってからだった。

それまでの半年間、誤りに気づいた社長が再びワンマン経営を軸に立て直しを図ったことで、社内の雰囲気は以前とは大きく変わりつつあったという話だった。そこで私は、社長が直接お客様を訪問して得た情報をもとに経営計画を策定し、それを通じてワンマン経営の強みを最大限に活かす形でサポートを行った。

私は月に一度のペースで支援を行っていたが、社長の話では、「毎月ごとにワンマン経営が社内に浸透していくのを感じる」ということだった。その影響もあってか、業績は少しずつ回復基調を見せ始めていた。また、役員や管理職のメンバーも徐々に入れ替わり、組織としての動きが変わってきた。そして十月頃には、労働組合までもが協力的な姿勢を示すようになり、社内の雰囲気は一層好転していったという状況だった。

十一月には、社長が私の「経営計画実習ゼミ」に参加した。ゼミの課題に取り組む中で、社長はほぼ一週間、ほとんど寝る間も惜しんで経営計画書の作成に没頭した。翌年一月に経営計画発表会を行う予定だったためだ。十二月に私が訪問した際には、計画の効果が具体的な形になりつつあるとの報告があった。社長によれば、翌年一月には月次損益が黒字転換するのはほぼ確実だということで、確かな手応えを感じ始めていたようだった。

一月に開催された経営計画発表会には、私も招待された。その数日前、社長から相談を受ける機会があった。労働組合の委員長が、「発表会の場で一言話をさせてほしい」と申し出てきたというのだ。社長はその意図を測りかねており、どう対応すべきかを迷っている様子だった。この発表会は経営の新たなスタートを示す重要な場であり、その場での発言がどのような影響を及ぼすか慎重に考えたいという気持ちが伝わってきた。

経営計画発表会は、社長が自らの姿勢と決意を述べる場であり、本来なら社長以外の発言は控えるべきものだと説明しても、委員長は「一言でいいから」と譲らない様子だった。社長はその頑なな態度に困り果て、私に相談を持ちかけてきた。さらに、委員長が何を話そうとしているかは事前に把握しているとのことだったので、私は「特例として許可するのも一案ではないでしょうか」と助言しておいた。この判断が、発表会にどう影響するかを見極める必要があると感じていた。

発表会当日、社長が経営方針を力強く説明した後、指名を受けた労働組合の委員長が壇上に上がった。会場の緊張感が高まる中、委員長は静かに口を開き、「労働組合としては、ただ今発表された社長の方針に、全面的に協力することをここに誓います」と力強く宣誓した。その言葉に会場は一瞬静まり返ったが、すぐに大きな拍手が湧き起こり、経営陣と労働組合が一体となって会社を支えるという強い決意が共有された瞬間だった。

壇上から降りた委員長はそのまま社長の席に歩み寄り、社長に力強く握手を求めた。続いて、私にも手を差し出し、三人で固い握手を交わした。この瞬間の感動は、私にとっても、そしてその場にいたすべての人々にとっても忘れがたいものとなった。参列者一同は、社長の明確な方針とその熱意に深く感銘を受けるとともに、労働組合の委員長が見せたこの行動に、まさに錦上花を添える感激を覚えた。その場の空気は、まるで新たな未来への希望に満ちた光で包まれているかのようだった。

こうして、T社はまさに生まれ変わった。社長をはじめ、労働組合に至るまで、全社員が一つの方向を向き、精神的な革命が起こったのだ。この劇的な変化は、まさに会社全体が新たな力を得た瞬間だったと言える。「会社は、社長次第でどうにでもなる」――これこそ、私が一貫して信じている揺るぎない持論であり、T社の再生はその証となったのだ。

権限委譲は一見、社員の能力を発揮させ、組織を活性化する手段のように思えますが、時に危険な副作用を伴うことがあります。特に、T社の事例のように、コンサルタントの助言に基づいて大幅な権限委譲を行った結果、組織がリーダーシップを失い、経営が迷走してしまうケースが典型です。

T社長は当初、自らの「ワンマン経営」が社員の能力を発揮させない要因だと考え、部長たちに製造・営業・経理・人事の全権を委ね、経営の重要事項を討議する「部長会」を設けました。しかし、実際には、この権限委譲は経営の混乱を招き、組織を赤字体質へと急落させたのです。権限委譲によって、責任が分散し、各部門の目標はバラバラになり、経営の一貫性が失われた結果、会社全体が同じ方向を向くことができなくなりました。

この事例から学べるのは、権限委譲が組織に有効に機能するためには、必ずしも一部門の判断や裁量に任せることが成功の要因ではないという点です。経営者は、組織を統一し、方向性を示す「舵取り役」としての役割を果たす必要があります。T社が最終的に業績を回復し、社内の雰囲気が大きく変わったのも、社長が「ワンマン経営」を再開し、自らがリーダーシップを持って方針を明確に示したからです。この姿勢は労働組合の協力を得るほどの影響を与え、全社員が一丸となって組織再建に尽力する礎を築きました。

権限委譲の本来の目的は、社員の成長や自律性を高め、組織全体のパフォーマンスを向上させることにあります。しかし、真のリーダーシップが欠如した状態での権限委譲は、社員が方向性を見失い、リスク回避に走るなど、経営に深刻な影響を及ぼします。T社が再生を果たしたように、経営者は権限を委ねるだけでなく、指針を示し、全員が同じ目標に向かって進むようリードする役割を担わねばならないのです。

この事例が示す教訓は明確です。「会社は、社長次第でどうにでもなる」。権限を委ねること自体が目的ではなく、会社の未来を見据え、組織の力を結集するリーダーシップこそが、組織を成長へと導くカギなのです。

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