I氏は、自分が尊敬する先輩の一人だ。ただし、それは彼の人柄に関してであって、社長としては全く評価できない。人として立派であることと、経営者として優れていることは、まるで別の話だ。
I氏は、過去に米軍関連の仕事に従事していた経験があるため、その行動は非常にアメリカ的だ。終業時刻になると、重役であるにもかかわらず、迷うことなくさっさと退社する。終業後に会社で彼の姿を見たことは一度もない。
I氏はアメリカ式の人間関係を重視するタイプで、何事も部下と相談した上でなければ決定を下さない。この姿勢は独立して社長になった後も変わらなかった。どんなことでも部下と意見を交わし、彼らの立場を深く考えた上で決断するため、部下たちは彼に信頼を寄せ、会社内は常に和やかな雰囲気に包まれていた。摩擦や対立は一切見られなかった。
しかし、会社の業績は常に低迷していた。社長が部下に相談を持ちかけると、部下たちは自分本位の発言をし、リスクが伴う場合や困難が予想される場合には、自分が悪者にならないよう、あるいは不利な立場に追い込まれないよう慎重に立ち回った。これは決して社員が無責任であったということではない。人間とはそうしたものだからだ。自己防衛的な態度は自然な反応と言える。
このような状況では、会社の決定や社員の行動が常に「安全第一」の方向に流れ、結果として楽な道ばかりが選ばれるようになった。当然ながら、これでは業績が上がるはずもなかった。
企業経営は遊びではなく、まさに戦争だ。相手よりも劣る手を打てば、その分業績は悪化し、後手を踏めば収益を競合に奪われてしまう。それが市場での現実だ。
社長の決定は、社員の意見に基づくものではなく、顧客のニーズと競争相手の動向を見極めて下すべきものだ。特に、収益を上げる可能性が高い決定ほど、それに伴うリスクも大きく、実現に向けた困難は避けられない。経営とはそうした挑戦の連続なのだ。
この現実を無視して部下の意見に寄り添い、安全で安易な決定を繰り返していては、業績が上がるはずがない。I氏の経営方針そのものが誤っていたのだ。業績不振の責任は全てI氏にあり、社員には何の責任もない。結果として、I氏の会社は創業以来目立った成果を出すこともなく、わずか三年足らずで倒産してしまったのである。
「摩擦」という言葉は、人間関係を重んじる者にとって最も忌み嫌われるものだ。彼らにとって、「仲良くする」ことが何よりも重要だという。しかし、本当に「人の和」が最上なのだろうか。
十人十色、さまざまな考え方や感情を持つ人間が一つの事を進める際には、摩擦や意見の相違が生じるのが当然だ。それこそが自然であり、むしろ健全な状態と言える。人間が生き物である以上、摩擦のない状態こそが不自然であり、極めて異常な状況だと言えるだろう。
しかし、人間関係論者の視点では、摩擦は危険な状態とされる。彼らは摩擦を避ける方法をあれこれと説き、「摩擦のない環境こそ理想的だ」と教えようとする。その結果、摩擦を避けることが目的化し、真に重要な課題や対立すべき場面が見過ごされてしまうことも少なくない。
この教えには確かに説得力がある。誰だって、摩擦のない方が気分よく過ごせるものだからだ。そのため、人間関係論は日本の企業内に広く浸透し、表面的には摩擦を減らし、職場環境を快適にするという一定の効果を上げた。だが、その「快適さ」が本当に企業の成長や成果に繋がるかは、別の問題として残されている。
しかし、その一方で、人間関係論は部下の気持ちを優先するあまり、自らの個性を抑え込み、多数意見に迎合する腰抜けの幹部を大量に生み出したのもまた事実だ。このような姿勢では、組織の意思決定が曖昧になり、リーダーとしての役割を果たせなくなる危険性がある。
この事実こそが恐るべきことである。摩擦を防ぐことが最優先されるあまり、企業経営という本来の目的が二の次どころか、完全に無視されてしまうのだ。結果として、組織は安定しているように見えても、実際には活力を失い、競争力を低下させるという致命的な問題を抱えることになる。
人々の関心と努力が摩擦を防ぐことに向けられるあまり、業績という本質的な課題から目をそらしてしまうのだ。では、なぜ人間関係論者はこれほどまでに摩擦を恐れるのだろうか。それは、摩擦がチームワークを損ね、生産性を低下させると信じ込んでいるからだ。確かに、これは末端の現場における日常業務には当てはまるかもしれない。しかし、それが企業全体の成果、特に根本的な成長や競争力に直接的な影響を及ぼすわけではないのだ。
人間関係論者だけでなく、現在の多くのマネジメント論者もまた、最末端の労働者の生産性や能率が企業の成果に大きな影響を与えると信じ込んでいる。しかし、彼らは経営とは何であり、何がその成果を根本的に左右するのかを全く理解していないのだ。実際には、末端の能率の良し悪しが企業の成果に与える影響は、それほど大きなものではない。経営の本質を見誤ることで、重要な課題がなおざりにされているのである。
経営を知らない者が経営を語るからこそ、このような全く的外れな結論に至ってしまうのだ。企業の成果を根本的に左右する要因は、企業の内部ではなく、企業の外部に存在する。市場環境、競争相手、顧客ニーズ、技術革新など、外部の要因こそが経営の本質に直接影響を与えるのであり、これらを見極めて対応することが、企業の成果を決定づけるのである。
昭和四十八年に突如発生した石油ショックが引き起こした狂乱インフレや、高度成長から低成長への転換、さらには国内の消費不振や円高といった外部要因が、いかに日本企業に甚大な影響を与えたかを見れば明らかだ。これらの出来事は、いずれも企業内部ではなく、外部の環境に起因するものだ。経営を語る上で、外部環境の影響力を無視することは、企業の本質を見誤るに等しい。
この実例が示すように、企業の外部要因の変化と、それに伴って変化する顧客の要求こそが、企業にとって最も重要な課題である。ここで言いたいのは、社内の人間関係が全く無意味だということではない。私が論じているのは、それが企業の成果に及ぼす影響についてであり、人間関係が重要視されるあまり、本質的な経営課題が軽視されることが問題なのだ。企業の成功を決定づけるのは、内部の調和ではなく、外部環境への適応と顧客ニーズへの対応だ。
変化し続ける外部情勢と顧客の要求に、どう対応し、どう応えていくかが、企業の運命を根本的に左右する。この現実を踏まえるならば、経営者の第一の、そして最大の関心事は、常に外部環境の変化と顧客のニーズの変化であるべきだ。内部の調整や安定は重要ではあるが、それが外部への適応を犠牲にするものであれば、企業の未来はない。経営者が注力すべきは、外部で起きていることをいち早く察知し、それに迅速かつ的確に応える力を育むことに他ならない。
外部の変化をいち早く見つけ出し、それが自社にどのような影響を及ぼすのかを正確に分析し、その影響にどう対処すべきかを判断することが、経営者に課された最重要の責務だ。このプロセスを怠れば、変化に乗り遅れ、競争力を失い、最終的には市場から取り残されることになる。経営とは、変化をただ受け入れるのではなく、それを先読みし、自社に有利に転じるための戦略を立てることに他ならない。
企業は外部環境の変化に応じて、常に自らを変化させなければ生き残ることができない。しかし、自らを変えるということは決して容易なことではない。このプロセスを進める際には、ほぼ間違いなく内部で抵抗が生じ、摩擦が発生する。これは避けられない現実だ。変化には既存の秩序や慣習を壊す側面があり、それに対する反発は人間の本能的な反応でもある。だが、こうした摩擦を乗り越えなければ、企業の成長も進化も望むことはできない。
摩擦のない内部変更など、革新とは呼べない。それでは成果の増大など期待できるはずもない。むしろ、優れた革新ほど批判や摩擦を伴い、人々に困難や苦しみをもたらすものだ。それは現状を壊し、新しい方向に進むために避けられない代償であり、その先にこそ本当の成長や成果が待っている。摩擦や批判を恐れて無難な道を選ぶ限り、革新の名に値する変化を成し遂げることは不可能だ。
摩擦のない革新などありえず、革新なくして企業が生き残ることは不可能である以上、摩擦は避けられないものとして受け入れるしかない。しかし、ただ我慢するだけではなく、「摩擦こそ進歩の母、積極の肥料」(「電通鬼十訓」より)という言葉を胸に刻み、摩擦を前向きに捉えるべきだ。摩擦を恐れるのではなく、それを成長や進歩の原動力とする覚悟こそが、真の経営者には求められるのである。
逆説的に言えば、企業内で良好な人間関係が保たれているという状況は、その企業が革新を行っていないことの証拠と言える。革新には必然的に摩擦や意見の衝突が伴うため、人間関係が平穏無事であるということは、現状維持に甘んじているか、あるいは変化への挑戦を避けている状態を示しているのだ。真の成長や進歩を追求する企業では、一定の摩擦はむしろ健全な兆候といえるだろう。
つまり、良好な人間関係が維持されているということは、生き残りをかけた死に物狂いの努力が欠けていることを意味し、企業が倒産への道を全速力で突き進んでいる状態そのものなのだ。企業にとって本当に危険なのは、摩擦があることではない。むしろ、摩擦を回避し、表面的な調和に甘んじていることが、最大の危機なのである。内部が平穏であることに満足している間に、外部環境の変化に取り残されてしまうのだ。
この内容では、「摩擦のない企業」の危険性について述べられています。著者は、企業における摩擦や対立は自然であり、それがないことこそ企業の進歩や成長の停滞を示すものだと警告しています。摩擦を避け、和やかな人間関係を優先するあまり、経営判断が保守的・安易なものになってしまい、結果として業績が上がらないばかりか、企業全体が倒産のリスクに向かうと主張しています。
また、「摩擦」を伴う革新こそが企業の発展には欠かせないものであり、外部環境の変化や顧客の要求に応え続けるためには、組織内での抵抗や葛藤を受け入れる必要があるとしています。人間関係の平穏や「仲良くする」ことを最上とするのは表面的な理想に過ぎず、経営の本質は、時にリスクを取り、進歩のために厳しい決断や対立をも避けないことにあるというのが著者の見解です。
結論として、企業の「良好な人間関係」が維持されている状態は、内部で革新が行われていない、進歩が止まっているサインとも捉えられ、これこそが企業にとって最も危険な状態であると述べています。
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