我社の商品の信頼性とサービスはよいか
0社は小型モーターのメーカーである。
朝、迎えに来られた0社長と会社へ行った。門を入って守衛所を過ぎたところで車を止めた社長は、「一倉さんに見ていただきたいものがあります」と。案内されたところは守衛所の裏手にある小さな建物であった。
入回の扉の上に「拷問室」と書いてある横札があった。扉を開けた途端に、ムッとした熱気だ。その上凄い湿気をおびている。
室内には、テスト中のモーターがたくさん回っていた。水平のもの、垂直のもの、カムを使ってガタガタ振動を与えているものなど多様で、それぞれかなりの負荷をかけた状態で回されていた。すべて無期限の連続運転だという。なるほど拷問室である。
故障して動かなくなったモーターは研究室で細密分解してしらべるのだという。定評のある0社のモーターは、こうして生れたのである。寿命試験こそ正しいのだ。
世界の一流品としてお客様に信頼されているキトー製作所のチェンブロックの秘密はどこにあるのだろうか。
チェンブロックは、チェンが切れたら総てパーである。それは、フラッシュバット溶接(電気溶接の一種)で作られるのだが、そのテストは、「引張り試験で溶接の部分が切れないこと」というのが合格の条件であるという。
溶接箇所が切れずに素材の部分が切れたのなら、素材の材質を変えるか太くするかで簡単に解決するからである。見事に急所を押えた試験法である。この試験法には、実は社長の姿勢が反映されているのである。
品質管理という考え方がある。「品質基準を設定して、この基準にもとづいて検査を行い、合格すれば良品、合格しなければ不良品とし、不良品は使ってはならない」というものである。
これは「良品であれば誰からも文句をいわれる筋合いはない」という思想につながっている。
この品質管理の思想は、管理的には正しいが経営的には間違っている。
商品というものは、お客様が使ったり食べたりするものだ。いくらメーカーの検査に合格したものであっても、使ってみて不具合だったら、「こんな物はダメだ」とか「安心して使えない」ということになって商品としては失格なのである。
前者の立場を「作る側の理論」といい、後者の立場を「使う側の理論」という。商品の良否は、使う側の理論によって決まるのであって、作る側の理論ではない。
作る側の理論を「品質理論」といい、使う側の理論を「信頼性理論」という。すべての商品は信頼性が不十分のおそれがある。使ってみなければ分からないからである。
それでは手遅れなので、作る側で事前に使ってみるのが一番よい。もう一つの方法に「虐待試験」というのがある。実際に使われる条件と思われるものより苛酷な条件のもとで試験をすることである。
そして、虐待試験の究極は寿命試験(イフ・テスト)である。
本田技研で初期に行った走行試験は、オートバイのことを全く知らない人をテスト・ライダーとして、東京の本社と浜松製作所間の書類の搬送を兼ねてテストを行ったという。
全くの素人…… つまり一般のお客様と同一条件の人が乗った走行試験だから意味があるのだ。その結果、設計時には全く考えられない箇所が故障することが多かったという。
信頼性管理というのは、技術の問題ではない。社長の姿勢の問題である。お客様に対する正しい姿勢なのである。「自分は技術のことは分からないから技術者に任せる」という態度は間違っているのである。自分で使ってみるか、お客様のところへ出かけて教えてもらえばいいのだ。
この姿勢は、クレーム処理の姿勢につながるものであることは、いうまでもない(これは、非常に重要なので別に一項を設けて述べることとする)。
ところで、サービス業(だけでなく、総ての業種で)の信頼性管理はどうしたらいいのだろうか。極めて簡単である。
社長自らがお客様を訪問してもらえばいい。そこには、お客様に教えていただかなければ分からない我社の弱点、盲点がゴマンとあるのだ。これは、我社繁栄の道を教えてくれるものである。
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