第一章 人の任用は旧知かどうかに左右されてはいけない
現代語訳
太宗(李世民)が皇帝に即位して間もない頃、中書令の房玄齢が進言した。
「陛下が秦王であられた時からお仕えしていた部下たちの中に、不満を持つ者がいます。というのも、かつて亡き皇太子や斉王に仕えていた者たちの方が先に官職を与えられ、自分たちはいまだ何の任官もされていないからです。」
これに対して太宗は答えた。
「昔から『至公(最も公平)』と呼ばれた人たちとは、情け深くありながらも決して私情を挟まなかった人々のことだ。たとえば堯はその子である丹朱を、舜はその子の商均を帝位から退けた。周公旦は兄弟である管叔と蔡叔を誅殺した。つまり、真の君主というものは、天下を自分の私物とせず、公のものと見なして政治を行うべきなのだ。
諸葛孔明は蜀の小さな国の宰相であったにもかかわらず、『私の心は秤(はかり)のようなもので、人によって重さを変えるようなことはしない』と言った。まして私は今、大国・唐を治めている。私やそなたたちの衣食はすべて人民の働きによって支えられている。ということは、民はすでに国に仕えているのに、国の恩恵はまだ彼らに十分に届いていないのだ。
今、優れた人材を選ぶのは、人民の生活を安らかにするためである。人を任用する際に考慮すべきは、その人が職務に堪えうる能力があるかどうかであって、旧知の間柄かどうかは無関係だ。たとえ一度会っただけの者でも親しみを感じることもあるのだから、旧知の者だからといって特別扱いをしてはならない。
その人に任務を担える力がないのなら、たとえ旧友であっても先に任用すべきではない。能力を問わず、不満の声があるという理由だけで任官させるようでは、どうしてそれを『公平な政治』と呼ぶことができようか。」
注釈と背景
- 秦府・斉府・東宮:李世民が皇太子になる前、秦王として独自に運営していた官僚組織を「秦府」、建成や元吉のもとにいた幕僚組織をそれぞれ「東宮」や「斉府」と呼ぶ。
- 管叔・蔡叔:周公旦の兄弟だが、成王の補佐に反抗して討伐された人物。
- 「吾心如称」:諸葛亮の名言。「私の心は秤のようなものだ」という意味で、公平な心を象徴する表現。
- 至公:徹底して私心のない公平な政治姿勢を表す理想像。
心得
この章は、人事における公平性の原理原則を説くものであり、現代の組織運営においても大きな示唆を与えます。
- 感情ではなく、適材適所が原則
旧知の仲であっても、それが職務に適さなければ任用すべきではない。逆に、一度しか会っていない人でも有能であれば、登用すべきである。 - 人材登用は、民のためである
官職は恩賞ではなく、人民の安寧のために賢人を適所に配置する義務から発するものである。任用の基準は「民の幸福に資するかどうか」でなければならない。 - 真に公平な政治とは
不平や私的なつながりに基づく「情」ではなく、国家のために適材を用いる「理」に立脚した判断こそが、真に公平な政治の姿である。
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