S酸工のS社長との出会いは、昭和四十年の秋だった。きっかけは、私が講師を務めたあるトップセミナーへの参加だ。夜になると、彼は私の宿泊していた部屋を訪ねてきて、さまざまな話を聞かせてくれた。その中でも特に印象的だったのが、S酸工で導入されている社員持株制度についての話だった。その仕組みは、以下のような内容だった。
三年前、創業間もない頃、社員はわずか六名だけだった。創業期の厳しい状況下で、安い給料にもかかわらず支えてくれた社員たちだ。そんな彼らに何とか報いる方法はないかと模索した。しかし、どれだけ利益を上げても、その半分は税金として消えてしまう。
それなら、利益が減ったとしても給料を上げたほうが良いだろう。しかし、単に給料を上げるだけでは、それ以上の意味を持たせることは難しい。何かもっと意義のある方法はないかと考え続けた末、社員に会社の株を持ってもらうのが最善ではないか、という結論に至った。
そうすれば、社員は株主にもなり、業績が向上すれば配当を得られる仕組みになる。そこで社員たちを集め、以上のような考えを説明した上で、「給料を多めに支給するので、その分を貯金しておいてほしい。その貯金で、会社の増資の際に株を購入してもらいたい」と提案した。この案に社員たちは賛同し、毎月一万円ずつ貯金を始めることになった。社長自身も率先して毎月五万円の貯金を行った。
こうして始まった仕組みも、三年が経過した現在では、その貯蓄をもとにした増資額が六百万円に達したという。その成果は目覚ましく、社員たちは実によく働くようになった。目標さえ示しておけば、あとは社員が自律的に動くため、社長が細かく指示を出す必要もない。結果として、社長が三日でも四日でも会社を離れ、セミナーに参加するような状況でも、全く不安を抱くことがなくなった。
現在、社員は十二名に増え、新たに加わった社員たちも株主となるための貯金を続けているという話だった。その後、一年が経ち、S社長の要請で同社の社員向けにセミナーを行った際には、社員数は二十名を超えていた。規模こそ小さいが、こうした理念と行動力を持つ社長のもとで働けるS酸工の社員たちは、実に幸運であると言える。
社員持株制を取り入れているのはS酸工だけではない。ビル建築の下請けを手掛けるK工務店も同様だ。社員数は二十名ほどだが、建築関係の技能労働者には通常ボーナスが支給されないケースが多い。それに対して、K工務店では年二回のボーナスを支給している。ただし、その一部は社員との話し合いのもと貯金に回され、定期的に会社の株へと振り替えられる。この仕組みのおかげか、社員たちの勤労意欲は非常に高いと言われている。
K社長によれば、社員たちは驚くほどよく働いているという。中には五十歳を過ぎた社員が、自ら進んで工事現場に泊まり込んで作業に当たることもあるそうだ。その結果、通常同規模の同業者が三カ月かかる仕事をわずか二カ月で仕上げてしまうこともある。このような効率の高さと責任感のおかげで、親企業からの信用はますます厚くなり、頼られる存在となっている。
建築工事、とりわけ営業用の建物の場合、完工日は厳格に定められている。落成式の日時やテナントの開業日も事前に決まっており、スケジュールの遅れは一切許されない。一日でも遅れれば、大きな損害や信頼の喪失につながるため、工程管理は非常に重要である。
しかし、建築、特に大規模なビルとなると工期が長く、工事を進めるには多種多様な業種や下請け業者、さらには現場作業員同士が有機的に連携する必要がある。一つの工程が遅れれば、全体のスケジュールにも影響を及ぼすため、それぞれの役割を正確に果たすことが求められる。この複雑な調和が、建築プロジェクトを成功に導く鍵となる。
それだけに、予期せぬトラブルや支障が発生して工事が遅れることも少なくない。しかし、そうした遅れを取り戻せなければ、建築業者としての信用は完全に失われてしまう。工事の遅れを取り返すことは、単なる金銭的な損得の問題ではなく、何よりも信用を守るための問題なのだ。この信用が、業者としての将来を左右する重要な要素となる。
こうした状況で、K工務店の短い工期が大きな威力を発揮する。厳しい納期を守るために時間を稼ぐことができ、その対価として有利な価格で仕事を受注できるのだ。また、親企業にとっても、いざという時に頼りになる存在であるため、常に優先的に仕事を割り当てている。結果として、K工務店には仕事が途切れることがほとんどなく、安定して高い収益を上げ続けている。この高収益こそが、年二回のボーナス支給や安定した配当を可能にしているのである。
中小企業における社員持株制度の是非については、さまざまな議論がある。しかし、私が考えるに、その評価を左右する最大の要因は、経営者の姿勢にある。社員に対する真摯な姿勢や会社全体を良くしようとする意志があれば、この制度は大きな成果を生む。一方で、経営者の目的が単なる利益追求に偏っていれば、制度は形骸化し、むしろ社員の不信感を招く可能性がある。結局のところ、この制度の成否は、経営者がどれだけ社員と共に未来を築こうとしているかにかかっている。
これら二つの例に見られる経営者の姿勢は、どちらも実に立派だ。それこそが、社員持株制度を成功に導き、制度が単なる仕組みにとどまらず、会社の業績向上と社員の利益実現に結びついている理由である。経営者の理念と行動が、社員のやる気を引き出し、会社全体を成長させる原動力となっているのだ。
経営者の姿勢とは、単に私心を持たないとか、従業員の幸福を考えるといった精神的な要素だけに留まらない。それを具体的な形で実現することが求められる。たとえば、安定的な配当、特に中小企業の場合なら三割以上の配当を継続的に生み出すような実際のメリットを提供しなければならない。理念だけではなく、それを裏付ける確かな成果があってこそ、社員持株制度が信頼され、効果を発揮するのである。
さらに、社員に負担をかけることなく、次第に持株を増やせる仕組みを整えることが重要だ。それに加え、退職時の株の買い戻しについても十分に配慮しなければならない。これらの配慮が欠ければ、社員持株制度は形だけのものとなり、真の意味での制度の効果を発揮することはできないだろう。制度を機能させるためには、社員にとって実際にメリットを感じられる仕組みづくりが不可欠である。
もし経営者の姿勢が正しく、社員持株制度が計画的に推進されるならば、前述の効果に加え、企業の資本蓄積が着実に進むことになる。それは、単に社員の福利厚生の向上にとどまらず、企業全体の体質を強化し、競争力の向上にも大きく寄与するだろう。社員と企業が共に成長していくこの仕組みは、中小企業にとって持続的な発展の土台となるのである。
S酸工やK工務店のような中小企業が、社員持株制度を導入し成功している事例は、経営者の姿勢と、社員への真摯な配慮が組み合わさることで実現しています。この制度では、社員が株主になることで会社への責任感や勤労意欲が高まり、業績向上に繋がる好循環が生まれています。
S酸工の社長は、創業期の苦しい時期を支えてくれた社員に報いるため、給料の一部を貯金して会社の株を購入してもらう仕組みを提案しました。社員が株主として会社の成功に直接的な利益を得られるようになり、彼らの労働意欲も自然と高まったのです。その結果、社員は主体的に働き、社長が不在でも業務が滞ることがなくなりました。
K工務店でも、社員持株制度によって、ボーナスの一部を株に変え、社員が株主となる仕組みを導入しています。この制度のおかげで、社員たちは自らの利益と会社の成長が直結することを理解し、工期短縮に力を尽くしています。その結果、親企業からも信頼され、常に安定した仕事が得られるようになり、収益が高まっています。
このような持株制度の成功は、経営者が社員の利益と会社の成長を真剣に考えた結果であり、特に中小企業での実施には、安定的な配当や退職時の買い戻しの仕組みが必要です。持株制度は、正しい経営姿勢と計画的な推進があれば、社員の満足度向上と企業の資本蓄積に大きな効果をもたらし、企業体質の強化にも寄与します。
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