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“仁”は育ててこそ価値がある――未熟な善意は無価値に等しい

孟子はこの短い章で、**「仁の価値は“育て熟すこと”にかかっている」**という重要なメッセージを伝えます。
これは単なる抽象的な徳の称賛ではなく、仁(思いやり・善意)も“耕し、実らせる努力”なしには力を持たないという、現実的な修養論です。


五穀と雑穀の喩え――素材が良くても、熟さなければ意味がない

孟子はまず、農作物を例にしてこう語ります:

「五穀とは、数ある穀物のなかで特に上等なものとされている。
しかし、それも熟していなければ、雑穀である荑稗(ていはい)にも劣ってしまう」

ここでいう五穀(ごこく)とは、粟・黍・稲・麦・豆など、
人々が主食としてきた重要な作物のことです。

  • 五穀=本来価値ある“徳”
  • 荑稗=野草のような“雑なもの”

しかし、どんなに素質(=種)がよくても、成熟していなければ実用にならない――
このことを孟子は、まさに仁の成長にも当てはめているのです。


「仁」もまた、“熟さなければならない”徳である

そして孟子は結論として、こう言います:

「仁もまた、熟するに在るのみ」

つまり、仁とは本来的に高貴で尊いものであっても、

  • 実際に行動として成熟し、実を結んでこそ意味がある
  • 生半可な善意や未熟な感情では、かえって害をなすことすらある

ということです。


出典原文(ふりがな付き)

孟子(もうし)曰(いわ)く、
五穀(ごこく)は、種(たね)の美(び)なる者なり。
苟(いやしく)も熟せずと為さば、荑稗(ていはい)に如(し)かず。

夫(そ)れ仁も亦(また)之を熟するに在(あ)るのみ。


注釈

  • 五穀(ごこく):主食とされる上等な穀物(稲・麦・豆・黍・粟など)
  • 種の美:素材が良いこと。ここでは徳性としての「仁」を指す。
  • 荑稗(ていはい):ひえのような雑草的な雑穀。栄養や味で五穀に劣るとされる。
  • 熟する:育てて、実を結ぶ状態になること。徳が実践を伴って育つこと。

パーマリンク候補(英語スラッグ)

ripen-your-virtue
(徳を熟成せよ)

その他の候補:

  • immature-kindness-is-worthless
  • grow-your-goodness
  • potential-is-not-enough

現代への教訓

この章は、短いながらも極めて重要な内容を含んでいます。

孟子は、「人はみな仁の種を持っている(=性善説)」としながらも、
それを耕し、磨き、成熟させる努力がなければ、それは実を結ばず、
時に“雑草以下”の存在にすらなる
と、現実的な修養の厳しさを語っています。

現代で言えば、「良い人になりたい」「正しいことをしたい」という**“気持ち”だけでは不十分で、
それを“日々の行い”として積み重ねてこそ、仁は価値を発揮する**ということでしょう。

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