本当の目標管理を愚直に実践しよう!本当の目標管理とは——目標管理とは上司が部下の目標を管理することだ。そう思っている人が大勢いる。しかし、それは「本当の目標管理」ではない。まったくのウソとは言わないが、かなり歪んだ理解である。本書が主張する本当の目標管理とは、「MBOS」の実践に他ならない。MBOSは、ピーター・F・ドラッカーによって提唱された「マネジメントバイオブジェクティブズアンドセルフ・コントロール(ManagementByObjectivesAndSelfControl)」(『現代の経営』/1954年)の略称であり、ドラッカーは望ましいマネジメントのあり方を以下のように訴える。「業績」を上げ、「働きがい」を高めるためには「目標」が必要だ。それも、ギリギリ背伸びした「チャレンジ目標」の設定である。目標の設定や達成活動に際しては、「人間の持つ自主性や自律性」を最大限に引き出すこと。そうすれば、「チャレンジ目標の自己統制」が可能になる。自己統制とは「目標に照らして、自らの仕事ぶりを自分でチェックして、修正すること」だ。それがうまくできると、働く人々の自主性はさらに強化され、結果として、業績が向上し、「働きがい」も手に入る。ぜひ、そのようなマネジメントを実践してほしい。日本語でも「MBOS」ドラッカーの訴えは、一般的に「MBO」と略称され、日本語では「目標管理」、あるいは「目標による管理」と翻訳されることが多い。しかし、いずれも、きわめて重要な「セルフ・コントロール」というコンセプトが欠落しており、的を射ているとは言い難い。ドラッカーの真意を尊重すれば、略称は「MBOS」であろう。日本語訳も同様で、原語に即して「チャレンジ目標の達成を意欲的、かつ自律的に追い求めるような仕事の進め方」と翻訳するのが筋である。ただし、この翻訳では、あまりにも長たらしく、日常会話にも不都合だ。もっと短い訳語がほしい。いろいろ考えてみたが、なかなかピッタリの言葉が見つからない。ならば無理に翻訳せずに、日本語でも「MBOS」と表現するのが妥当だろう。そうすれば、セルフ・コントロールの重要性も強調できる。そんな願いも込めて、本書では、一般名称のMBOや目標管理をあえて「MBOS」と呼称する。人間らしい働き方を求めてなぜ、ドラッカーはMBOSを提唱したのだろうか。理由は2つある。1つは、「人間らしい働き方」の追求だ。人間が仕事の奴隷になるような関係は、犬がしっぽを振るのでなく、しっぽが犬を振り回しているようなものであり、人間にとって不幸である。また、「他者から支配される関係」も人間らしさの喪失に拍車をかける。上司が部下の仕事内容を事細かく指図して、ついでに心理学の乱用としか思えないマインド・コントロールにも手を伸ばす。こんな上司を持った部下は不幸であり、不幸を通り越して人間としての尊厳すら失いかねない危機に立たされる。人間は隷属や支配を決して好まない。みんな自立の思いを持っており、潜在的には自律性も有している。そして、何よりも、それらの実現を欲している。そう考えるのが、人間らしい働き方の追求だ。MBOSは、そのような人間らしさの実現を支援する。自分で決めた目標に照らして、自分で主体的に仕事を組み立てる。苦しくとも、達成したいと願う目標のために歯を食いしばり、そのプロセスで仕事の面白さや自己成長を実感する。そんな仕事ぶりを実現しようとするのがMBOSである。なぜMBOSが今の時代に合うのかドラッカーのMBOSの提唱理由の2つ目は、知識労働(ホワイトカラー)の生産性を高めるためである。知識労働は自分の専門知識と他者の知識とを融合させて、新しい何かを創り出す「知恵の創出業務」である。そのプロセスで、「あっ、そうか!」という気づきや新たな発見を手に入れる。そういう仕事が知識労働の特徴であり、かなりの部分を当事者の自主性と自律性に委ねざるを得ない仕事である。このような特性を持つ知識労働に、従来型の定型労働のマネジメントを適用するのは難しい。定型労働は標準化が可能で、かつ肉体行動によって生産性が直接的に左右される仕事であり、命令とアメとムチ、教え込み型の教育訓練というマネジメント手法がぴしゃりと当てはまる。つまり、定型労働は他律統制が可能なのである。それに対して、知識労働は他律統制が難しく、自律統制を必須とする仕事である。命令とアメとムチで知恵を出させるのは不可能だ。知恵の出し方を教え込もうにも限度がある。知的労働は自律性の開発こそが重要であり、それを実現するためにMBOSが存在する。「AndSelfControl」からは、そのようなメッセージが読み取れる。MBOSは、知識労働にもっともフィットするマネジメント手法なのである。知識労働時代のマネジメント現在の日本は、完全に、労働の質的変化の時代に突入した。象徴的なのは製造業である。高品質でリーズナブルな価格の規格品を、国内で大量に生産し、その大部分を輸出する。そんな構図が完璧に崩れてしまい、中小企業でさえも、工場を新興国に移転せざるを得ない状況が起きている。現地調達、現地製造の流れが定着したからだ。それに伴って、働く人々は、好むと好まざるとにかかわらず、労働の質的転換を迫られる。定型労働から知識労働への切り替えである。新興国に移転した製造業の定型労働は、国内にはもう二度と戻ってこないだろう。サービス業においても、コンビニのレジ打ちなどの定型労働は外国人労働者に奪われて久しい。いったい、日本人に、どんな仕事が残されているのだろうか。答えは簡単である。現在の賃金水準を維持したければ、製造業にしろ、サービス業にしろ、働く人一人ひとりが知識労働者に変身するしかない。そして、変身
が生み出す付加価値を国内外に提供するのだ。たとえば、コンビニ各社が、国内で培った利便性の追求を中国本土でも展開する。ココ壱番屋のカレーライスも、アジア各国で出店スピードを加速させている。いずれも、専門知識を身につけた知識労働者のなせるわざである。変身の努力を怠れば、低賃金に甘んじた生活を余儀なくされ、おそらくは精神まで貧困なものになってしまうだろう。そんな危機感を持って、ほとんどの日本企業は変化を模索し、従業員にも働き方のチェンジを迫っている。このような現状を踏まえて、筆者は訴えずにはいられない。——今の日本企業には、MBOSが絶対必要だ。——今こそ、「本当の目標管理=MBOS」を愚直に実践するときだ。——実践の成否を握る現場のミドルは奮起せよ!本書の構成本書は職場のリーダーに向けた、MBOSの支援材料の1つであるが、できれば職場のメンバーにも読んでほしいと願っている。リーダーとメンバーとが、MBOSのコンセプトと具体的な展開イメージを共有すれば、よりスムーズな実務展開が可能になる。同時に、上級マネジャークラスの方々にも一読をお勧めしたい。メンバーがセルフ・コントロール状態(意欲的、かつ自律的な仕事ぶり)になるように、一所懸命努力している現場のリーダーを支援してほしいからである。また、本書の内容は、すでに目標管理制度を導入済みの会社や導入の模索段階にある会社はもとより、「なんとかして、社員のヤル気を高めたい」と願うすべての会社の方々にも、何らかのヒントを提供できるのではないかと思っている。本書は5つの章で構成されている。第1章では、運用を誤るとMBOSの阻害要因になってしまうであろう、「人事評価とMBOSとの関係」について解説する。第2章から第4章までは、MBOSの実務の基軸となる「チャレンジ目標のPlan(思いの込められた目標の設定)→Do(意欲的、かつ自律的な目標達成活動)→See(来期につなぐ仕事のふりかえり)」の流れに沿って、押さえどころとリーダーの役割を解説する。そして、その総まとめをしたのが第5章である。それでは、さっそく、第1章から読み始めていただきたい。
人事評価は「アメとムチ」本当の目標管理、すなわち「MBOS(ManagementByObjectivesAndSelfControl)」の実践方法の解説を始める前にどうしても解いておきたい誤解がある。それは、「MBOSとは人事評価の仕組みだ」という誤った理解である。人事評価とは人事考課やボーナス査定と呼ばれるものであり、従業員の会社への貢献度の序列づけ、もしくは貢献度の絶対評価(会社が要求する基準を満たしているかどうかの判定)を意味している。極端な言い方をすると、人事評価は、会社が従業員に与える〝アメとムチ〟である。貢献度にもとづいて、賃金格差をつける。賃金以外の処遇も決める。だから、きちんと働いてくれ。働きぶりが良好ならば、褒美を取らす。ダメならば、ペナルティが待ってるぞ。そういう仕組みが人事評価である。当然、働く人々は人事評価に敏感に反応する。おそらく、積極的にアメを獲りに行く人はごく少数で、大多数はムチを避けようとするのではないか。もちろん、誰だってアメはほしい。だが、そのためには、気の遠くなるような努力が待っていて、そんなしんどいことは、できれば避けて通りたい。かといって、強烈なムチで叩かれたのではたまらない。何とか、普通評価は取りたいものだ。これが、人々の平均的な人事評価に対する接し方であろう。このように考えると、人事評価は能動的なモチベーション策というよりは、むしろ「回避型モチベーション」(『モチベーション』/松井賚夫/ダイヤモンド社/1982年)の促進に貢献しているように思われる。回避型モチベーションとは、金銭的、あるいは精神的報酬の減額というペナルティを用いて、恐怖心に働きかけようとする方法だ。人々は恐怖から逃れるために、恐怖を感じない程度に頑張る。しかし、そこには働く喜びはない。人事評価は、働く人々にとって、好感を持ってではなく、どちらかというと忌み嫌う仕組みとして受け止められているのが実態である。
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