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サービス不在の時代

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サービス不在の時代

レストランの不良サービス 仙台で、ある一流ホテルの経営する中華料理店に入った。先客は二組程である。これはシマッタと思った。

すいている店はマズイのにきまっているからだ。ビールと料理を注文したが、十分以上待ってもまだビールが運ばれてこない。

その間ウェイトレスはノンビリ先客の料理運び、それ以外はおそらくは調理場の 前で料理ができるのを待っているのだろう。料理を運ぶ時以外は姿が見えない。

マネジャーはボケッと手をうしろに組んで(最近の若い男は手をうしろに組んで お客様に応対することが非常に多い。エチケット知らずである。これを教えない のは、中年すぎのわれわれが悪いのであるが)突っ立っているだけである。

ようやく生ぬるいビールが運ばれてきたと思ったら、次の瞬間には注文した品 が一度に運ばれてきた。中には冷えている料理がある。これで分かった。

酒と料理は同時に出すものと思っているのだ。

しかし、こんな非常識な店があるとは、私はこの年になるまで知らなかったのである。

私はマネジャーを呼んで叱ったり教えたりしたが、その後は行かないし、行く 気は全然ないから、改めたかどうかは知らない。

こんな状態だからこそ、先客が二組しかなく、私達の帰るまで新たなお客様は来なかったのである。

私はレストランも幾つか指導しているが、お客様がテーブルについてから三〇 秒以内におひやとおしぼりをもって注文とりをすること、ビールや水割りは注文 を受けた一分以内に、酒は三分以内に、必ず突き出しをつけて出すこと、をうる さく言っている。

お客様は、お酒があれば料理は多少遅れても文句はいわないものなのだ。

その ほか、言葉づかいから始まって、ナイフやフォークの磨き方まで教えなければな らないところがある。社長たるもの、いったい何をしているのだろうか。お客様はそっちのけ 大山ホテルに宿泊した時である。

メーンラウンジに入ったが、私のすぐあとに七〇歳くらいの老人が二人のお付人を従えて入ってきた。とたんに、マネジャー が大急ぎで老人のところへ行き最敬礼である。

そして、従業員総員をあげての大 車輪のサービスである。他のお客様はほったらかしである。

私は二〇分以上も辛抱したが、ついに辛抱しきれなくなってマネジャーを呼ん だけれど応じない。代わりに来たウェイトレスにオーダーして、やっと食事にあ りつけた。

その頃、その老人はもう食事をすませて引き上げていた。私は、マネジャーを呼んで、あの老人は誰だと聞くと、会長だという。

これを 聞いた私は、いままで辛抱していただけに怒った。

「マネジャーもマネジャーだが、 あの会長は許せない。お客様をさしおいて、自分の方が先に、しかも全員をつき きりでサービスさせながら食事をするとは何事か。会長に話があるからルームナ ンバーを教える」と迫ったが、「会長はもう帰りました」という返答である。

こういう場合には、社員は絶対に社長(この場合は会長)に会わせようとしな いのは、日本中の会社に共通している。

お客様無視も甚だしい会長である。

会長だからというので、社員にゴマすられ ていい気分でいる会長を、むしろ憐れに思ったのである。

海外旅行社

経済大国日本の海外旅行熱はたいしたものである。世界の隅々まで日本人ツ アーの足跡の到らぬところはないであろう。

そのブームに乗って大きくなった旅行社のサービスは、まさに最低である。まず、添乗員の質の悪さは話にもならない。外国語が話せるというだけである。

何の訓練もしていないのだから、いくら添乗員を責めてもラチは明かない。

添乗員たるもの、行先の国の概略くらいは知っていなければならないのに、ほ とんど全部現地ガイドに任せっきりである。その現地ガイドのレベルが極めて低 い。

語学くらいはしっかり叩きこんだガイドがほしいのである。これに対する旅行社の言い訳は、「探してもいない」というにきまっている。

探してもいなければ、現地人を教育すべきである。できなければ我社で育成すべ きである。高い料金をとるのだから、それくらいは当り前である。

ガイドの説明たるや、これまたきまりきっている。街路の名前や建物の名前ば かりである。三度と来るかどうか分からぬ異国で、街や建物の名前など聞いても何にもならない。

つまり、実質的なガイドはないということである。そんなこと ではなくて、建物などは世界的に有名なものだけでよい。

その国の歴史、地理、 気候、風土、民族、宗教、国民性、文化、産業、庶民生活などの中から、要領よ く面白く、エピソード、伝説、習慣、笑い話、うまい食物、土産になる特産物な どを説明してもらいたいのである。

これは、しかるべき人に取材をさせて、ガイドマニュアルをつくり、最後には 社長が目を通すべきである。

特に、うまい食事のできる店、ショッピングのための有名商店などは案内書を つくっておき、名前、うまい料理と値段、有名商品、道順、足の便などを案内す べきである。

通貨の説明くらいは当り前として、チップ、枕銭、トイレ、交通機関など案内 は決して十分とはいえないのである。案内するところといえば、大衆レストランとリベートをもらう土産品店である。

自由行動時間についての添乗員のサービスなどまるでない。自由行動時間は自分 の自由時間と勘違いしている。

私は自由時間をどうしていいか分からぬ同行の老夫婦を添乗員にかわって案内して回ったことがある。そうでなければ、その老夫 婦は食事さえできなかったのである。

あるヨーロッパの共産国で特急列車に乗った時には、あまりの不潔さに悲鳴を あげたことがある。その旅行社は、ヨーロッパに支社があるが、そのような現地 の情報などほとんど収集してはいなかったのである。

事前に確かめた時には、「大 文夫、心配ありません」との答えだったが、それは大嘘だったのである。無責任 も極まったといえよう。

そのくせ、帰りの飛行機の中では、アンケートを回して記入してくれという。

旅の疲れの中で、旅行社のために何で、絶対に改めることはしないサービスにつ いてのアンケートなど書かなければならないのか、失敬千万である。

アンケートを書いてもらうなら、それについて、せめて礼状くらい出してもい いのに、そんなことは全然考えてもみないのである。

考えていれば、礼状が来る はずである。

旅行社の社長で、自らの会社のツアーについて、自ら現地を回って調べるような社長はいないのである。

社長自らが回って自ら体験すれば、あんなお粗末とい うより全く誠意の感じられないようなツアーが、少しずつでもよくなるはずであ る。

そして不誠実な社長の会社は、いつかはお客様から痛棒を食うことになるの である。

お客様を追い出すデパート

P社のお得意先の某デパートでP社長が見かけた光景である。

七階の衣料特売場の傍で買物袋を両手に下げた中年の男性が、夢中になって掘 出しものをあさっている奥様に向かって「いい加減にやめんかい。疲れてしもう た。近所の喫茶店でコーヒーでも飲まんかい」と催促していた。

そのデパートにはお客様用の休憩所はない(近頃は、あちこちのデパートで申 し訳程度であるが椅子をそなえつけたところが少しずつ増えているようだが)。

広いデパートの中を歩き回れば当然足が疲れて腰を下ろして休みたくなるの に、そんなことは考えずに、寸尺といえども惜しんで商品を陳列している。

その ガメツさは、実は「買物が済んだらトットと帰れ」といっているのと同じことだということが分からないのだろうか、誠に不思議である。

お客様にゆっくりと買物をしていただくためには各フロアに休憩所をもうけ、 灰皿を置き、セルフサービスでいいから何か飲物を飲めるような自販機でも備え つけたらどうだ、といいたくなるのである。

「消防署が云云……」なんてのはいい訳以外の何物でもないのだ。

売上げ促進会議を開いて、売上げ不振対策を協議する前に、やることはマダマ ダいくつもあるのだ。

マイベースのホテル 私は二十年来、年に数十回もホテルでのセミナーを行っているが、参加者の都 合を考えているホテルに出合ったことがない。

一番シャクにさわるのが、トイレと公衆電話の数が少なすぎることだ。休憩時 間はいつも行列である。会が終ると、今度はクロークに行列ができる。

これは、 ホテル経営を知る筈がない設計事務所に設計を任せるという経営者の怠慢以外の 何 物 で も な い日本の設計技術者のホテル設計の最大関心は、「料金のとれるスペースを、総 床面積に対していかに比率を高めるか」ということだということを聞いている。

リネン室などはない、テーブルや椅子の格納場所がない、という現実を見せられ ると、これは本当だと思わないわけにはいかないのである。

客室で一番困るのは照明が暗くて仕事が実にやりにくい。そして、点滅に部屋 を一巡しなければならないホテルもある。空調設備もかなりいい加減で、温度調節がままならぬものは決して少なくない。

ナイトテーブルは電灯の位置が悪くて、パネルが目くらがりになって文字が実に 読みにくい。冬はエレベーターのボタン、ドアのノブに静電気が起きて実にイヤな思いをさ せられる。

新聞はあてがいぶち、お客様の希望するものを何故提供できないのだ。日曜日には新間の夕刊がないので、テレビの番組が分からない。ホテル自身の電話番号は、どこにあるのか探すのに一苦労するところが多い。

何故電話機に表示をしておかないのか。

ベッドは軟かすぎるものが大方の相場、枕は相変わらずウレタンスポンジのフ エャフニャ、予備の毛布のないところでは、春秋の変わり目に寒い日があるのに、 空調もないので、寒くて夜中すぎにフロントに電話して毛布を届けさせることも しばしばである。

そして、まずくて高い料理、まずいコーヒー。たまには社長自身で試食でもした ら い か が。浴槽の蛇回は、近頃やたらと新型ができたが、新型ほど操作が不便である。

一番便利なのは、水と湯が別々の蛇口であることが分からないのだろうか。

ここに も設計屋まかせの、いい加減な態度がある。

最新式のカード式キーは実にムードが悪くて、誰にきいても不評であることを ホテルの社長は知っているのだろうか。とにかく、最近のホテルは、やたらと頭と神経を余分に使わなければならない ようになっている。

何が「ゆっくりおくつろぎ下さい」だ。

ゆっくりどころか、 頭にくるホテルばかり増えてゆくのを、ホテルの社長は全く知らないといわれて も、仕方がないであろう。

二十人以下はお断わりの仕出し弁当

弁当の仕出しを行っている会社の多くは「二十人以下はお断わり」である。営 業である限り当然のことと受けとられているが、果して正しい態度だろうか。

私はこの考え方には賛成できない。

「条件つきサービスはサービスにあらず」 というのが私の主張である。「条件をつけるくらいなら始めからやるな」といい たいのである。それがサービスというものであろう。

条件つきサービスというものは、受ける側では決して心から有難いと思わない ものだ。いかにもミミッチイ根性が見え見えだからである。

私は、仕出しサービスをしたいという社長の相談には「人数の制限をつけない ことこそ本当のサービスである」と申しあげることにしている。

制限をつけると、 「会社の根本理念」である「お客様の要求を満たすことが事業である」というこ とに反するからである。

E社でも仕出しサービスを行っているが、ある時一人前という法事の注文が あった。E社ではこれをお受けした。お寺には老婆がただ一人であった。

恐らくはご主人の三十三回忌であったのだろうが。

畳に頭をすりつけるようにしてお礼 をいわれたE社の社員は、「自分の行為がこんなにもお客様を喜ばせるものなの か」と、たった一人前だと、ふくれっ面して配達したのに、帰りは嬉しくてニコ ニコ顔をして戻った。

そして「私のサービスを、こんなにも喜んで下さる人がいる。やり甲斐のある仕事です」と社長に報告したという。

この社員は、それからも、どんな小さなサービスでも喜んで行うようになった であろう。

大切なことは、僅かな面倒や効率の悪さなど問題にせずに、会社の基本姿勢を 守ることではないだろうか。

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