N社長からの相談内容は「新事業として家具の小売店を始めたい」というものだ。N社は現在、家具の製造と卸売を手掛けており、その売れ行きは好調だという。そのため、新工場を建設し、移転後の現在の敷地を活用して小売店舗を展開する計画を立てている。敷地が広いため駐車場も確保できる点が強みになると考えているようだ。
計画中の店舗は、延べ床面積600坪の4階建て構造で、設計図はすでに完成済みだという。さらに、店内に並べる商品のレイアウト案も具体化しているとのことだ。ただし、小売業は未経験のため、某家具チェーン店の元店長をスカウトし、その人物に店舗運営を任せる計画だ。商品レイアウトのプランも、その店長候補が担当しているという話である。
レイアウト計画図を見せてもらったが、正直言って呆れた。そこに描かれていたのは家具店ではなく、まるで住宅機器の総合店のようなものだった。肝心の家具に加えて、大型家具はもちろん、スモーキングスタンド、スリッパ立て、洋服かけ、本立て、マガジンラック、置物、置物台、シガレットケース、額縁、額入りの絵まで揃えている。さらに関連商品として、寝具、照明器具、じゅうたん、カーテン、玉スダレと、商品の幅が際限なく広がっていた。
電気製品のラインナップはテレビや冷蔵庫に始まり、トースターやガスストーブにまで及んでいる。音響機器だけが唯一見当たらないといった具合だ。厨房用品に目を向ければ、流し台やガスレンジ、瞬間湯沸器、ワゴン、ジャー、ポットと、こちらも一通り揃っている。それだけでは飽き足らず、乳母車や三輪車、子供用自転車、さらには車付きのショッピングカートまで用意している。よくもまあ、これだけ多種多様な品目を詰め込んだものだと、感心するやら呆れるやらで、妙なところで舌を巻いてしまった。
わずか600坪のスペースにこれだけの品目を詰め込むのだから、どの商品も最低限の陳列スペースしか確保されていない。この品揃えは、まさに最悪の例だと言わざるを得ない。何でも揃えようとした結果、どれ一つとして満足に揃えることができなくなっている。言い換えれば、超小型店が寄せ集まっただけの状態だ。これでは商品の魅力も打ち出せず、売上が振るわないのは火を見るよりも明らかだ。
売上を期待するには、大型店であることが不可欠だ。大型店だからこそ豊富な品揃えが可能になり、それが集客につながる。顧客は多種多様な商品を比較しながら、自分に合ったものを選ぶ。こうした選択肢の広さこそが、購買意欲を刺激し、売上につながるのだ。中途半端な規模で品揃えだけを広げても、顧客の期待には応えられない。
豊富な品揃えとは、単に多種類の商品を少量ずつ取り揃えることではない。それはむしろ、特定の商品カテゴリーにおいて多様な選択肢を提供することを指す。顧客が求めているのは、常に特定の目的を満たす商品であり、その商品に対する選択肢が豊富であることが重要だ。
大型店の本質は、売場全体の広さにあるのではなく、特定商品のために十分な陳列スペースを確保し、その中で多様なバリエーションを展開できている点にある。こうした専門性と集中力が、顧客の満足を引き出し、結果的に売上を支える基盤となるのだ。
N社長に先ほどの点を説明したが、実はさらに根本的な誤りがある。それは、未経験の事業に挑む際に「経験者をスカウトして全てを任せる」という姿勢だ。自分が分からないからといって他人任せにするのは、事業家として極めて怠慢だと言わざるを得ない。
事業とは、単なる仕事やビジネスの延長線上にあるものではない。それは自らの生命を賭けて挑むべきものだ。だからこそ、未知の分野に踏み出すのであれば、自分自身で徹底的に学び、理解を深める努力が必要になる。他人に頼るのはあくまで補助であり、主体的に動く覚悟がなければ、事業の成功はおぼつかない。
たとえ初めは分からなくても、3~4カ月も真剣に調べてみれば、その事業が取り組む価値のあるものかどうか、大まかな見当はつくものだ。可能性がありそうだと感じたなら、さらに深く掘り下げて調査し、計画を具体化していく。
次に、準備が整った段階で小規模に試してみる。これは、実際の現場で実戦を通じて学ぶための重要なステップだ。試行錯誤を重ねる中で自信を持てるようになった段階で、初めて規模を拡大する。事業はこのように段階を踏んで進めるべきものであり、初めから大きく構えるのは危険が伴うだけだ。
そうした努力やプロセスを省略し、実力もわからない人間を単に職務経験があるという理由だけでスカウトするのは、根本的に間違っている。職務経験があることと、事業を成功に導く手腕があることは、まったく別次元の話だ。
さらに言えば、小規模な企業のスカウトに応じるような人物が、本当に優れた人材である可能性は低い。現場で優秀な人間ほど、安易に他の仕事に飛びつくことはしない。結果的に、引き抜かれてくるのは「余り物」や「使い物にならなかった者」である場合がほとんどだ。そんな人間に事業の舵取りを任せていては、失敗は目に見えている。
もう一つの大きな誤りは立地条件に関する考え方だ。社長は「駅から500メートルしか離れていないので、たとえ商店街の中でなくても問題ない」と考えているようだ。また、最寄り駅との間に400坪規模のスーパーができたことを理由に、「その流れでお客様が必ず来てくれる」と楽観的な見解を持っている。
しかし、この考え方は甘すぎる。立地条件は単に駅からの距離や近隣の店舗だけで判断できるものではない。集客力は、周囲の競争環境や顧客の動線、店舗の視認性、さらにはその地域の購買層との相性など、さまざまな要因に左右される。単に近くにスーパーがあるというだけでは、自店舗への誘導を保証するものにはならない。むしろ、不利な条件が隠れている可能性すらあるのだ。
駅には近いが、周辺は小工場や住宅が混在するエリアで、朝夕こそ多少の人通りがあるものの、日中は閑散としている。どう考えても小売店舗向きの立地ではない。私は、住宅地の中に孤立した店舗で集客するのは極めて難しいことを指摘した。
偶然、一本隣の似たような条件の通りに300坪ほどの家具店があったため、実際に足を運んでみた。その店も「何でも屋」的な品揃えで、30分ほど店内を回ったが、客の姿は一人も見当たらなかった。
以上のような事実を踏まえ、この新事業は断念するべきだと進言した。しかし、これまでの意気込みもあって、N社長はそう簡単には諦められない様子だった。そこで、妥協案として、まずは小規模に始めて経験を積むことを提案することにした。
理由は、道路に面した120坪ほどの遊休建物があり、これを簡単に改装して使う方法があったからだ。それでも商店街の小型店よりはかなり広い規模だった。テスト店舗として商品を陳列して営業を開始したものの、来店客は一日一人か二人、多い日でもそれだけで、まったく客が来ない日もあり、実質的に開店休業状態だった。
先発の業者が、有利な立地条件と長年の努力で築き上げた成功の姿だけを見て、それを未経験のまま、不利な立地条件で再現できると信じ込んでいたのだ。そして、いきなり600坪もの店舗を構え、莫大な資金を投入しようとする計画は、無謀としか言いようがない。
新事業とは、決して簡単に成り立つものではない。未経験からくる失敗のリスク、後発の不利、さらに1~2年は続くと予想される赤字補填を含めた資金計画などを考えれば、軽々しく手を出せるものではないはずだ。
新事業を始める以上、徹底した調査、入念な準備、自らの学び、具体的な事業計画、資金の手当と返済計画など、事前に取り組むべき課題は山ほどある。それを怠り、不用意に未経験の分野に手を出すのは禁物だ。一歩間違えれば、会社そのものを危機に追い込むような事態を招きかねないことを肝に銘じるべきだ。
新事業には慎重な準備と段階的アプローチが必要 ― 家具小売業への挑戦とそのリスク
N社が計画した家具小売事業の事例は、無計画に未経験の分野に挑戦することがどれほどリスクを伴うかを示しています。従来、家具の製造を行っていたN社が、六百坪もの大型小売店舗を開業しようとしたものの、場所や商品ラインナップ、運営方法などに多くの課題が潜んでいました。ここでは、N社の失敗から新規事業を成功させるために必要なポイントを掘り下げます。
1. 商品ラインナップの問題 ― 専門性とターゲットの欠如
N社が計画していた小売店舗は、家具を中心とするはずが、家電や台所用品、子供用自転車に至るまで、まるで何でも揃う「万屋」のような品揃えになっていました。このように、特定の商品に集中せずに幅広く揃えようとすると、特定の商品に対する「豊富な品揃え」がないため、結果的に来客を惹きつける魅力を失います。
2. 未経験分野での経営 ― ノウハウと経験の欠如
N社は、経験者である家具チェーン店の元店長を雇い、新店舗を任せようとしていましたが、経験者に任せるだけでは成功は望めません。新事業を進めるには、経営者自身が事業内容を学び、小さな規模で実際に試してから拡大することが重要です。経験者を頼るのは一見合理的ですが、事業の成功には事業主自らの理解とビジョンが不可欠です。
3. 不利な立地条件の見誤り
N社の新店舗予定地は、駅からは近いものの、商業地ではなく住宅や小工場が立ち並ぶ地域で、日中の人通りはほとんどありません。小売店にとって立地条件は極めて重要です。顧客が気軽に訪れやすい立地が求められるため、商店街や繁華街、または大規模な駐車場がある郊外の店舗などが理想です。
4. 小規模からのスタートでリスクを軽減する
N社には、道路に面した百二十坪の空きスペースがありましたが、このスペースで小規模店舗としてまずテスト営業を行うことが理想的でした。小規模なテスト店舗は、事業に対する知識や経験を蓄積し、商品ラインナップや顧客層を理解するために役立ちます。N社は結局この小規模店舗を開業しましたが、来店客が少なく、実際に収益を上げることはできませんでした。これは立地や品揃えの問題を考慮していなかったためです。
5. 無計画な資金投資のリスク
新事業に乗り出す際には、初期投資や運営費、そして赤字の補填が必要です。N社は六百坪の大型店舗に大規模な資金を投じようとしていましたが、事業が軌道に乗るまでの資金計画や返済見込みが明確でなければ、事業が成功する可能性は低く、むしろ経営の負担になるリスクが高まります。
6. 経営者としての姿勢 ― 十分な調査と学びが不可欠
N社の事例は、未経験分野に挑戦する際の姿勢として、経営者がまず自ら学び、小規模な実験的試みを行うことの重要性を示しています。市場調査、資金計画、商品ラインナップの選定、さらには顧客層の特定と立地条件の検討など、事前に行うべき準備が多数あることを認識することが不可欠です。
まとめ
新事業には慎重な準備と段階的アプローチが不可欠です。いきなり六百坪もの店舗を構えることは無謀であり、N社には小規模テスト店舗の運営を通じて顧客ニーズを学ぶことが先決でした。事業を安定させるためには、未経験分野での成功への甘い期待を捨て、地道に学び、計画を持ってリスク管理を徹底することが求められます。
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