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おわりに

本文中でも少し触れましたが、現在、日本では中小企業の減少が続いており、この5年でも約40万社が消失したというショッキングな数字が報じられています。とは言え、ここ最近は経営難による倒産件数も減少しており、この40万という数字の大半は、経営者の高齢化や後継者難を理由とする休廃業・解散であると見られます。実際、我が国の休廃業・解散件数はずっと高水準で推移しており、その中でも特に、小規模事業者の廃業が多いと言われています。今後10年の間に、70歳(平均引退年齢)を超える中小企業・小規模事業者の経営者は約245万人となり、うち約半数の127万(日本企業全体の1/3)が既に後継者未定の状態となっているのです。このままでは廃業件数の急増によって2025年頃までには、累計で約650万人の雇用、約22兆円のGDPが失われる可能性があると言われています。特に地方における事業承継問題は深刻です。このような環境下、先代の事業を引き継ぎ、これから何十年にも渡り、地域で事業を継続していかれる後継者の皆さんは、日本経済の、そして地方経済の活力の源と言えます。また、他社が次々と休廃業していく中、後継者がいる会社というのはそれだけで取引先にとっては安心して取引が継続でき、その地域の産業構造におけるサプライチェーンの分断を防ぐ、地域経済の要でもあります。私たちは地域の金融機関様と共に、そういった地域経済の活力の源である後継者の皆様の経営力向上こそが地域経済を元気にしていくと考え、全国で次世代経営塾を開催しています。本書はその次世代経営塾でお伝えしている内容を可能な限り文字にしたものです。しかし、どうしても紙面では伝えられないことがあります。それは「想い」であり「熱量」です。会社に対する想い、事業に対する想い、商品に対する想い、社員に対する想い……この想いこそが大切であることを、最後にお伝えしたいと思います。戦略的中期経営計画の策定をテーマに、様々な手法や事例をご紹介してきましたが、それらはすべて、「経営者として自分の会社をどうしたいか?」、「そこに覚悟はあるのか?」ということに尽きると思うのです。「想いはあるなしではなく強いか弱いか」という言葉があるように、自身の強い想いがなければ、行動が起こることもありません。私たち経営者は勉強が仕事ではなく、学んだことを会社で実行し、より良い会社にしていくことこそが仕事のはずです。つまり、成果を上げることこそが私たち経営者の仕事であるはずです。ましてや、ただ受身の座学を続けたところで、それだけでは何も変わりません。学んだことをまずは実行し、見識にし、やがては胆識(決断力、実行力を有した見識のこと。自身の信念に基づきいかなる困難があろうとも遂行し続ける強さ)として身につけていかねばなりません。これまで累計で5130名(2018年12月時点)の方が次世代経営塾を受講してこられましたが、その後、大きく会社が変わった、変革できたという方はたくさんいらっしゃいます。しっかりとした結果につなげている経営者の方と、何も変わっていない方との違いは「自社に対する覚悟と実行力」、その違いであることに気づかされます。「他人と過去は変えられない。変えることができるのは自身と未来だけ」答えのない問いを自らに課すのは本当に大変で、しんどいものです。しかし、経営者自らが「自分は何を成し遂げたいのか、この会社をどうしたいのか」を明らかにし、その「確固たる意思」を社員に伝え、自身の退路を絶たなければ、組織を動かすことなど到底不可能です。その意味では「経営とは覚悟そのもの」であり、特に中小企業の場合は、社長自身が変わることこそ、会社の未来を変えていく上での早道とも言えるのです。今回の執筆では、多くの方からのご支援をいただきました。次世代経営塾を運営している全国の金融機関様とその役職員の方々、そして事例として掲載させていただいた企業様やこれまで経営塾に参加された受講生の皆さんには大変お世話になりました。また、プレジデント社の金久保さん、㈱日本BPOの島さん、周藤さんの協力なしには書籍化など不可能でした。心より御礼申し上げます。紙面の関係上、すべての方のお名前を記載できないことをお許しください。最後に、恩師の早稲田大学大学院ビジネススクール教授の長谷川博和先生には日ごろから多くの示唆をいただくと同時に当執筆においても様々なアドバイスをいただけましたことに心から感謝申し上げます。~中小企業の活性化が、日本経済の成長と発展につながる~これが私どもインクグロウ株式会社の基本理念です。日本の全事業者数における中小企業の割合は99・7%に達しており、各地域の中小企業の活性化こそが、その地域の経済を元気にし、それがひいては日本経済全体の成長・発展につながる、と私たちは考えます。中小企業を元気に!地域経済を元気に!そして、ニッポンを元気に!読者の皆さんが本書を通じて「経営力向上」のきっかけを得、皆さんの会社が元気になり、そして地域経済が元気になっていくことを心から祈念して、本書のあとがきとさせていただきます。

不動産仲介業から創業し次々と事業を拡大弊社はサラリーマンをしていた父が、不動産仲介事業会社として1982年に奈良で創業しました。不動産業の経験がなくゼロからのスタートでしたが、不動産ディベロッパーとして、賃貸住宅テナント事業、住宅開発流通事業、建築設計施工事業、不動産管理事業、ホテル飲食事業などと、事業を拡大してきました。現在は、国内だけでなく、香港、台湾、シンガポールなど海外の投資目的のお客様にも、近畿エリアのマンションを紹介しています。私は大学卒業後、そのまま弊社に入社しました。「大学卒業までは親が子の面倒を見る」という父の方針で、学生時代はアルバイトをしたこともなく、小遣いもほしい時に必要なだけもらうという生活でした。そのため、学生時代は「社会に出て働いてお金を稼ぎたい」という意欲はなく、会社を継ぐという意識もありませんでした。しかし大学での経営学の勉強が好きだったので、在学中に不動産関係の資格を取得。卒業後は就職せずに会計学院で勉強を続けたいと考えていました。ところが、父に「大学卒業後は一切お金を出さない」と言われ、仕方なく入社することに。初任給は20万円。家に食費などを入れると、自由に使える残りは月5万円。自分でお金を稼ぐ大変さを初めて実感しました。入社後様々な業務を経験し少しずつ事業承継を意識1年目の仕事は賃貸業務・仲介業務で接客がメインでしたが、最初はなかなか会話が続かず、接客に苦手意識がありました。お客様に質問されても経験が浅いため答えられず、本を読むなどして勉強しました。その後、新築戸建てや注文住宅の営業、新築マンションの販売、商品企画・販売促進など、入社後4年間で様々な仕事を経験しました。それらの仕事で「フクダ不動産なら有名だから安心」とお客様に言われることも多く、父が大きくした会社を父の代で終わらせたくないと感じ、事業承継を意識するようになりました。とはいえ、具体的に何をすればよいのか。後継者としての役割について悩んでいた入社5年目、大和信用金庫さんに声をかけてもらい、YBC若手経営塾に参加しました。塾生仲間に2代目同士のつながりもできて「自分も頑張らないといけない」と、大きな刺激を受けました。成長を続けるために「数値に強い会社」を目指す若手経営塾で特に印象に残ったのは「成長している会社の共通点は、数値に強いこと」と知ったことです。会計を学ぶことで、資金繰りを強く意識するようになりました。いろいろな数字を比較すると、強いのはやはり固定資産を持っている会社です。フロー型ビジネスであるマンションの分譲で得られるのは単発的な収入にすぎません。一時的に儲かっても、マンションを建てる土地が買えなければ、来々期の収入はありません。不動産業は、景気によっても大きく売上が左右されます。不動産の売買だけでなく、駅前のマンションを中心にプロジェクトを組み、収益物件で安定収入を得るストック型ビジネスを父に提案。入社6年目にはマンション用地の仕入の他に、収益ビルの仕入を任されるようになりました。さらに自社の数字を見ていくと、広告費がかさんでいることに気が付きました。そこで社内でチラシやネット広告を作成し、広告費用を20%削減しました。他方、分譲マンションのポイントとなるキッチンや浴室などの内装設備にはお金をかけています。他の大手不動産会社では、仲介料3%が販売価格に含まれますが、弊社は企画から建築、販売までをワンストップで手掛けるので、そのような費用が必要ありません。ワンランク上の快適な空間づくりをすることで、他社に差をつけることができ、お客様にも喜ばれています。マンション建設・分譲を海外でも手掛けるのが目標2016年には大阪に初進出し、24階建てのタワーマンションの企画・建設・販売を手掛けました。そして17年には、新規事業としてピアッツァホテル奈良を開業しました。安定収入の1つの柱になればと考えていますが、稼働率を90%に近付けるのが当面の課題です。19年2月より、新たに大阪で30階建てのタワーマンションの企画・建設・販売を手がけています。2代目というと、社内で孤立したり、先代と対立したりしがちと聞きますが、私の場合入社当初から、設計・施工・営業など、それぞれの専門の異なる若手4人のチームでプロジェクトに取り組み、何でも話せる仲間として一緒に成長してきました。父も「失敗するかもしれないが、一人で大きな仕事に挑戦することで成長する」という考えから、何もわからなかった自分の意見も聞き入れてくれたので、とても感謝しています。入社して10年が経ちましたが、今では父が会社に抱くビジョンを理解しつつ、そこに自分なりの会社の将来像を重ねられるようになりました。最近では、海外とのビジネスも増えてきました。将来は、海外でマンションを建設分譲するという大きな夢を持ち、語学を勉強しています。今後も社長の右腕となれるよう、自分の得意分野をより深く学んでいきたいと考えています。CompanyProfile株式会社フクダ不動産住所………奈良県橿原市内膳町5‐3‐31設立………1990年(創業1982年)従業員数…140名(2018年1月時点)https://fukudar.co.jp/

自動車整備業から貸切バス事業に当社は1979年、自動車整備業からスタートしました。2005年に貸切バス事業を開始。保有台数は、大型バス11台、中型バス3台、マイクロバス6台。学校・企業関連に特化した貸切バス事業を展開しており、部活動の移動や大会遠征、保育園・学校のバス遠足、企業の研修会、慰安旅行の他、町内会各種行事、冠婚葬祭での送迎など、幼児からシニアまでの幅広いお客様のニーズにお応えしています。自動車整備工場では自社のバスをはじめ、運送会社のトラック、トレーラー、タンクローリーなどの大型車両を主に扱っていますが、従業員の自家用車のメンテナンスも福利厚生の一環として社員価格で行っています。自社のバスには地元白山市(石川県)の花である「あさがお」がデザインとして描いてあり、走る広告塔として白山市を全国に発信しています。売上至上主義から従業員第一の会社へきんしん経営塾(金沢信用金庫主催)に参加したのは、2015年、本社を移転した直後でした。当時バス事業を開始して9年目。新しい社屋をつくるのを目的に、売上至上主義でがむしゃらに頑張ってきました。バス事業を始める前は6名であった社員も40名になっていました。自動車整備工場のみで営業していた頃は、企業というより家業。しかし、社員数も40名を超え、マネジメントをするための仕組みづくりが必要だと感じていました。また、売上を求めるあまり、社員よりも会社が優先となり、長時間労働で従業員に負担をかけ、結果、離職率が高かったことも問題でした。さらに、お客様に対応が悪いとお叱りを受けることもあり、社員教育など、何からどう手を付けていいか困っていた、そんな時に、金沢信用金庫さんからお誘いをいただきました。きんしん経営塾ではグループワーク形式でより実践的な経営を学べるということや、異業種の次世代経営者や幹部など、同じ境遇の方々と話をし、自分の考えを検証したいとの思いから参加を決めました。一プレーヤーではなく経営者としての自覚を持つきんしん経営塾に参加してまず気がついたのは、経営者としての計画性や戦略性が不足していたということです。当時は自分自身がプレーヤーとしてハンドルを握り、その合間に通常業務をこなす等、社長業とはほど遠い状態でした。そこで、組織としてどうあるべきかというテーマで、経営計画を見直し、SWOT分析をし、幹部と何をすべきか議論。会社の課題を抽出し、地元密着型の貸切バス事業に重点を置くという方針に舵を切りました。自動車整備業も大型車両整備に特化することで他社との競争を避け、価格競争に巻き込まれないようにしていきました。経営者の最大の仕事は、決断すること。意志決定をするには、ロジカルな思考が必要。会社の現状を正確に把握し、精度の高い意思決定をするために、より数字に強くなろうと意識するようになりました。それまでは売上だけを求めていましたが、利益重視に転換。バス運賃を算出する際の原価計算を見直し、利益が上がる構造を追求しました。営業担当者にも原価計算ができるツールを持たせ、常に利益率と原価を考えて見積もりを出すことを徹底しました。その結果、この3年間で、売上はゆるやかな上昇ですが、約3%だった利益率は、10%近くになりました。バス業界では売上拡大を目指すと、長時間労働に向かいがちです。しかし、当社では労働時間を減らし従業員の負担を軽減することを優先。利益率を上げて収益を増やすことを目指しています。最近では、運行管理、営業、整備の3つの部署の幹部育成にも力を入れられるようになりました。以前は、幹部も私同様「プレーヤーの一人」という意識でした。そこで幹部社員のトレーニングとして、試算書・決算書の見方を一緒に勉強し、外部の研修会にも積極的に参加をさせるようにしました。外部の人と会うことで視野も広がります。今では幹部としての自覚を持ち、部下への指示も具体的でわかりやすいものになっています。私自身も幹部と積極的にコミュニケーションをとることを心がけ、週2回、幹部を集め15分ほどの社内ミーティングをしています。その間にあった出来事や、判断に困ることを共有することで、部署間の連携が密になり、全員が、会社全体を目配りできるようになりました。些細な行き違いが生じなくなったのも大きな成果です。業界イメージアップと次世代につなげられる企業へ現在の重要な課題は、人財確保です。50歳代の従業員が多く、あと10年で多くが定年退職を迎えます。給与面はもちろん、バスを新車に代替えして従業員のモチベーション向上を図ったり、労働環境を見直したり様々なことに取り組んでいますが採用では苦戦しています。長距離バスの事故なども重なり、バス業界自体にマイナスのイメージを持たれているのも大きな壁です。当社のような中小規模のバス会社は人も足りず、資金もふんだんにあるわけではありません。その限られた資源を最大限活用し、皆で知恵を絞る。会社や業界の未来をつくることこそが社長である私の最大の使命。次世代につなげられる組織づくりをしていきたいです。

CompanyProfile北崎自動車工業株式会社所在地……石川県白山市三浦町151番地設立………1990年(創業1979年)従業員数…40名http://www.kitasakibus.com

戦時中の1944年に設立した弊社は、飛行機の部品製造からスタートしました。戦後は木材椅子の専門メーカーとして、結婚式場や葬儀場の椅子なども手掛け、高度成長期時代には業績もよく、椅子をつくればつくっただけ売れた時代もありました。しかし、海外の低価格の家具が輸入され始め、国内でも量販店が低価格で家具を販売するようになると、業績的に非常に厳しい状態に陥りました。私は大学卒業後、国内の大手家具メーカーに就職し、営業として勤務しました。当初は会社を継ぐ予定はありませんでしたが、自分も何かできないかという思いが大きくなり、2011年に入社することになりました。子どもの健やかな成長を「椅子」でサポートしたい私が入社した当時は、OEM中心の工場からナショナルブランドの製造にシフトしたばかりの頃で、「アップライト」という子ども向けの食卓椅子も、その1つでした。そもそもアップライトを製造するようになったのは、ある通販雑誌のオリジナル商品として、依頼を受けたのがきっかけでした。家具の製造方法として、りんごの皮のように薄くむいた木材を、何枚も重ね合わせて接着し、加熱して曲げて成形する「成形合板」という技術があります。特殊技術ではありませんが、専用の製造設備などが必要で、成形合板ができる会社は全国に10社程度しかありません。いろいろなタイミングと商品ディレクター、家具デザイナーとの出会いも重なって、この「アップライト」という椅子を弊社で製造することになったものの、スタート時は期待ほどの数は売れませんでした。しかし私はこの椅子を見て、「もっと売れるはずだ」と確信しました。なぜならアップライトには、客観的なデータに裏付けられた需要があったからです。ものづくりのポイントは、「お悩み解決」だと思います。消費者が困っていることに価値を提供することが大切なのです。あるアンケートでは、子どもを持つ親の悩みの1位は子どものアレルギー、2位は子どもの姿勢の悪さ、猫背になりがちなことでした。アレルギーは家具では治せませんが、正しい姿勢は椅子によって守ることができます。アップライトは、正確な人体計測データに基づいてつくられます。子どもは日に日に成長しますが、成長に合わせて座面と足台の位置を調節することで、背中のS字カーブを保ち、正しい姿勢へと導きます。入社後、アップライトの営業をしながら、どうしたらもっと売れるかを考えました。当初は身長に応じて2つのモデルから選んでいただいていましたが、「1人の子どもに2台買うことになるの?」との声を多数いただいたため、1台で対応できるようにモデルを1つに集約し、ボディカラーを増やしたり、安全性を高めるパーツを追加したり、座面もカバー式に変えるなど、お客様からのリクエストを1つずつ形にしていきました。改良版を2014年に発売すると、少しずつですが売上が伸びていきました。それまでは月に20~30脚程度でしたが、200脚前後まで売れるようになりました。2016年頃から、「こんな子ども椅子がある」と、ブログ等でアップライトを紹介くださる方が、とても増えてきました。実際に使用しないとわからないようなことを、良い点も悪い点も細かく書いてくれたことが注目を集めたのか、100脚以上も売上が増えました。その後も、『この椅子が一番!』という本で、「5歳の子どもに座らせたい椅子」の1位をアップライトが獲得し、驚きと同時に、大変励みになりました。おかげさまでさらに注文をいただくようになりましたが、1台1台丁寧に製作したいので、月に500脚以上は生産しません。納品まで1ヶ月から2ヶ月お待ちいただいている状態です。良い椅子づくりを通じてお客様も社員も笑顔にしたい蒲郡信用金庫さんのGNBC(がましんニュービジネスクラブ)若手経営者育成講座には、14年に参加しました。ちょうどアップライトを改良した年で、会社の転換期となった時期です。勉強会では、商品力を高めるための顧客アンケートの大切さや経営理念の重要性を学び、社員一人ひとりとコミュニケーションをとることの大切さを再認識しました。普段は意識していなかったことを改めて振り返ることができる、気づきの多い勉強会でした。現在、アップライトの販売は好調で、業績は過去4年間、毎年10~15%伸びています。14年は総売上におけるアップライトの割合が23%だったのが、現在は45%と、総売上の半数近くを占める主力商品になっています。しかし、アップライトが好調なうちに、第2、第3のヒット商品をつくっていきたいと考えています。そこで、蒲郡信金さんに協力をいただきながら、ものづくり補助金を利用して学校、図書館、塾等、学びの場での姿勢を守る学習用椅子「マナビノイス」の開発・販促をし、生産性向上のために新たな機械設備も導入しました。今年、元号が変わるタイミングで、専務から社長就任を考えています。私は技術者ではなく、ものづくりができる人間ではありません。ですから、いかに社員を笑顔にし、モチベーションを上げるか、いかに社員に頑張ってもらって良いものをつくってもらうかが、経営者として問われると思っています。自社の理念である「良いイスは、笑顔」。これは、お客様に頂戴した言葉ですが、とても胸に響きました。弊社は昨年70周年を迎えましたが、これからも「まっすぐで丁寧なものづくり」を心掛け、100年企業を目指していきたいと思います。

CompanyProfile豊橋木工株式会社所在地……愛知県豊橋市杉山町字知原12‐1052設立………1944年(創業1948年)従業員数…35名http://toyomoku.co.jp/

一歩先を行く経営で成長してきた畳店当社は1966年に私の父が創業した畳店です。父は、創業当時としては珍しい投げ込みチラシや折り込みチラシを活用して一般客の開拓に努め、中国から畳表が入ってくるようになると低価格の商品を開発して需要を掘り起こすなど、常に他社より一歩先を行く経営を実践してきました。資金に少しでも余裕ができると設備投資に回し、地元の大村市(長崎県)の本店のほかに長崎市内にも支店を開設するなど事業拡大を進めてきました。私の子どもの頃は寝る間も惜しんで働く姿をよく見ました。経営者として尊敬できる人です。そんな父の背中を見て育った私がこの会社に入社したのは自然の流れ。1987年、18歳の時でした。バブル崩壊後は畳業界もかつてない不況に陥り、かつて大村市にあった15店の畳店は、現在は7店。当社もピーク時に比べると売上は半分以下になっています。その中で生き残りを図り、地域一番店として、私なりに新たなことに挑戦し続けてきました。職人としての腕を磨きつつ、畳業界としては比較的はやい2005年に畳のネット販売を始めました。今では当社の事業の柱の1つとなっています。困難な時期に事業承継未来塾に出会い目覚める経営を引き継いだのは15年4月のこと。父親の体調不良もあり、急遽、父が会長に、私が新社長として就任することになりました。入社以来、現場一筋。営業や交渉の経験は少なく、表に出るのが苦手。正直途方に暮れました。しかし、当時、16名いた従業員を守るためにも気持ちを切り替えて頑張るしかないと思いました。とはいえ、何をどうしたらいいのかわからない。そんな時に出会ったのが「たちばな未来塾」(たちばな信用金庫主催)でした。参加してみると、すべてが新鮮でした。例えば、講義で学んだ「自社の強み、弱みを明確にする」ということは、それまで考えたこともありませんでした。その後、ここで教わった中期経営計画を作成し実践し続けています。企業理念も未来塾で学んだことがきっかけでつくりました。商いには「心」人には「愛」をもってお客さまにはより良い製品とより多くの満足をあなたにはより良い豊かさとより多くの幸せを社会にはより良い創造とより多くの貢献を与え続け感謝し歩み続けることこの理念は、会長の意見も入れて、考え抜いてつくったものです。朝礼時、全員で唱和しているほか、月1回のミーティングでも理解を深めるための時間を設けています。代表が交替したことで不安を感じる従業員もいました。彼らをまとめ、同じ方向に向かわせるにはどうしたらいいか悩んでいました。理念を掲げたことで、自分たちが何のために仕事をしているのかが明確になり、全員がそれに向かって一緒に頑張れるようになりました。その結果、従業員の誰一人辞めることなく、困難な時期を乗り切ることができました。それまでは家族経営ということもあり、あまり従業員のことを考えていませんでした。しかし未来塾をきっかけに、会社の成長のためには、従業員が頼りということに改めて気付かされました。今では従業員にとって楽しい、やりがいのある会社にすることを常に考えています。私が代表になってからすでに3回にわたり賃上げを行うことができました。オリジナルブランドを開発畳の良さをアピール近年、マンションや一戸建て住宅ではフローリングの部屋が増え、畳の需要は低迷気味です。そんな中、当社では成長戦略として、オリジナル商品の充実を図っています。デザイン性や機能性に優れた畳や畳を活かした家具を開発、販売してきました。「カステラ畳」はその1つです。厚さ15ミリメートルと薄くつくられていて、フローリングの上に敷くマットタイプのものです。長崎県内では当社にしかないホットプレス機で、フィルムで接着させる技術により生まれました。プレーン・抹茶・チョコの3色があり、組み合わせることで部屋のイメージを自由に変えることも可能。ダニ・カビに強く、撥水加工も施されており、色あせもほとんどないといった利点があり、お客様から好評を得ています。他にも、洗うことができ、防炎加工が施された「洗防畳」も人気商品の1つとなっています。一般家庭だけでなく、県内外の介護施設や保育園・幼稚園などから受注しています。和室でも洋室でも使える全面畳張りの椅子「畳和椅子」は「長崎デザインアワード2016」で奨励賞を受賞しました。和室が減っていく中で、フローリングの部屋でも使える商品として現在売り出し中です。今後の展開としては、総合リフォーム・リノベーション事業への転換を考えています。すでに一部、取り組み始めています。新築は減っていく一方で、リフォーム部門はまだ成長の余地があります。従来、畳業界では工務店の下請けが一般的ですが、リフォーム業に進出することで、元請けになることを目指しています。すでに室内にあるものはほとんど自社でできる体制を構築しています。リフォームやリノベーションなど家全体を扱う中で、施主に畳の良さを理解してもらう提案をしていきます。業界全体としては厳しい環境にありますが、こうした新しい取り組みにより、進化し続けていきたいと考えています。

CompanyProfile株式会社勝手所在地……長崎県大村市松山町236‐3設立………1966年(昭和41年)従業員数…18名(パート・アルバイト含む)http://www.tatamitsuuhan.net/

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