李百薬は、皇太子・李承乾の侍従に任命された当時、皇太子が学問に熱心でありながらも、暇な時間には遊び呆ける姿を見て、その姿勢を諫めるために「賛道の賦」という賦文を作った。その内容は、過去の聖王や歴代太子たちの成功と失敗の事例を引用しながら、皇太子が徳と礼を重んじて自己修養に励むよう促すものであった。
この賦では、次のような主張がなされている。
- 人の徳と行動は、王道を実現するための鍵であり、言葉と行動が一致してこそ政治は整う。
- 聖王は深く学び、努力を惜しまなかった。だからこそ、その徳が国中に行き渡った。
- 皇太子は、父である皇帝を師として学ぶべきであり、礼・楽によって人を正しく導く姿勢が必要。
- 皇太子が傲慢になれば、賢臣を遠ざけ、国政は乱れることになる。
- 歴代の太子たちの例(扶蘇、恵帝、武帝、戻太子など)から、君主の後継者には慎重な教育と指導が不可欠である。
- 王朝の繁栄は、人物の登用・刑罰の慎重さ・土木事業の節度・飲酒の自制・女色の克服・狩猟の節制にかかっている。
- 太子は、春の麗かな自然に心を奪われることなく、修養と勉学に励んでいる。その姿は、過去の優れた太子たちにも匹敵する。
太宗はこれを高く評価し、李百薬に対して「私が君を補佐役に任命したのはまさにこのような忠言を期待していた」として、褒賞を与えた。
目次
【要約】
李百薬は、遊興に流れがちな皇太子・李承乾に対し、「賛道の賦」において歴代の聖王や皇太子たちの成功と失敗の例を引きながら、君主としての徳、礼儀、節度、学問の重要性を説いた。とくに皇太子が遊びにふけることへの危機感を強く抱いており、あらゆる側面から具体的な戒めを与えた。太宗はこの忠言を称賛し、李百薬の任務の正しさを認めた。
【解説】
賛道の賦の文体と目的
「賛道の賦」は、伝統的な賦文体を用いて皇太子を間接的に諫める形式で書かれた長文である。具体的な非難は避けつつも、歴史的事例や徳義の教訓を通して理想の太子像を提示している。
歴史上の事例を通じた教訓
秦の扶蘇、漢の戻太子や恵帝、魏の文帝など、皇太子や王族が失敗した例を豊富に挙げており、遊興・奢侈・女色・驕慢・専断・不学などがいかに国を危うくするかを具体的に論じている。逆に、光武帝や明帝・章帝のように賢明な政治を行った皇帝たちは、礼儀と学問に優れていたことが指摘される。
太宗の政治理念との一致
李百薬の論は、太宗自身が理想とした「文徳による統治」「賢臣の登用」「節倹の奨励」と深く通じており、太宗の国政方針をそのまま皇太子教育にも適用しようとするものであった。
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