- 面接官の教育は必須
- 事前に面接のポイント共有と面接練習を行う時間をつくる
不教の連鎖から脱却するには
外資系の会社で面接をするとき、どんなことをすると思いますか?
いきなり答えを言いますが、面接のポイントについて本社から事前に教育があって、複数人で複数回、面接をします。
理由は簡単で「これが理にかなっている」からです。
では、日本の企業の99%は中小企業ですが、ほとんどの企業で面接をするとき、どうなっていると思いますか?
- 求める人材像もはっきりしていないのに、気になることをただ聞く尋問形式
- 面接を社員の練習台にしている
- 経験や予備知識のない社員に応対をさせるなど、応募者視点の欠如した対応
- 企業の求める人材像がまったく考えられていない、勘と経験の面接
悪い例①
(面接官の依頼)上司「悪いけど明日、面接に出てくれないかな?いやいや。難しいものじゃないよ。ただ同席して気になったことを応募者に聞けばいいから。はい、これが履歴書ね。軽く読んどいて、よろしく」
次の日のことです。
部下は頭がよいところをアピールしたいので、張り切って応募者のアラ探しをし、気になることを面接でくまなく聞いた結果、圧迫面接になってしまいました。
結果、内定辞退数が一人増えました。
「ある能力を確認したいから、その質問をする」のです。
でも、求める人材像もはっきりしていないのに、気になることをただ聞いているだけなら、単なる尋問になりかねません。
面接はロジカルにしないとただの尋問です。
悪い例②
(面接官の依頼)「明日、面接があるから同席してもらえるかな?次回からやってもらおうと思うから今回は勉強だと思って、私のすることを見ていて、次回からひとりでやってね。大丈夫だって!そんなに難しくないから」
次の日、面接に同席した部下の面接官は、応募者より上司の言動に注目し、そして、ただ質問内容を一生懸命にメモするのみでした。
応募者は何か変だなと思い、無視されている気がして、感じの悪い企業だと思いました。
こんなことをしていても、ただの作業員が増えるだけで、型どおりの質問しかできない、金太郎あめ面接官の出来上がりです。
本当の「教育」は、ぶっつけ本番でやり方を教えるものではありません。
「何でそうするのか?」を理解してもらうことです。
確かに経験値を重ねて、結果仕事を覚えるというやり方もあるかもしれません。
しかしながら、応募者は一生に一回のチャンスと思って面接に臨んでいます。
その機会を社員の練習台として使うような、ずさんなことをしてもいいのでしょうか?
悪い例③
(事務の人への指示)上司「明日、面接があるから応募者が来るので、応接室に通して。お茶?ああ、そうだね。じゃあお願い」
事務の人が、採用活動に慣れている人ならよいですが、経験が浅いなら応募者視点の欠如です。
実はほかにもいろいろと伝えなければいけないことがあります。
悪い例④
(面接後のやりとり)上司「私は元気があってよさそうだと思う。君はどう思う?」
部下「そうですね。受け答えもしっかりできていましたし、人柄もよさそうですし、いいのではないでしょうか」
これは、典型的な日本企業の面接判定場面です。
この会話を聞くと、その企業の求める人材像がまったく考えられていない、勘と経験の面接になっています。
これらの悪い例は、挙げるとキリがないほどあります。
なぜ日本では、面接を教育するという場面が少ないのでしょうか?
これには理由があります。
「不教の連鎖」、実は、私が作った言葉なのですが、これは、組織の人材の質が落ちていく原因の一つです。
これ、気づかないと怖いことですよ。
組織の質が年々下がっていきますから。
ここで、ちょっとショックなお話をしますが、「虐待の連鎖」はご存じですか?
「虐待を受けて育った子供が大人になって子供を持ったとき、子供に虐待をしやすい」もしくは、こうです。
「虐待をしている親は子供時代に、虐待を受けていたことが多い」これは事実です。
同じように「不教」つまり、「教えず」は連鎖するのです。
【■POINT■不教の連鎖とは、教えられていないから教えられない負の連鎖のこと。】
コメント