概要
馬周は、山東省の茌平(現在の茌平県)出身で、貞観年間に長安に来てから、政治の才を発揮した人物です。彼は、太宗(李世民)の政治改革や朝廷の運営に深く関わり、その優れた策謀と忠義によって、太宗から大いに信任されました。
政治における初期の成功
馬周が長安に到着したのは貞観五年(631年)で、最初は常何の家に宿泊していました。その時、太宗は官僚たちに政治の良し悪しを上奏するように命じており、常何は馬周が述べた二十条以上の策を太宗に上奏させました。それらの策はすべて太宗の意に適っており、太宗はその才能を疑い、常何にその出所を尋ねました。常何が「これは我が家の客、馬周の意見です」と答えたことから、太宗は馬周を呼び寄せました。
太宗の信任を得て
馬周はその日のうちに召され、太宗との面会後、非常に喜ばれました。太宗はその才を認め、馬周に門下省での職を与え、監察御史(官吏の監察官)としての任務を与えました。その後、中書舎人(上奏管理官)にも任命され、馬周は徐々に太宗の重要な側近となりました。彼は弁舌に長け、事態の把握が非常に速く、常に的確な意見を上奏することができました。
政務における貢献
馬周はその優れた政治手腕と忠義から、太宗から厚く信任されました。貞観十八年(644年)には、中書省の長官に昇進し、同時に太子左庶子(皇太子の侍従官)も兼任しました。朝廷と東宮(皇太子の宮殿)の両方の職務を担い、政務を公正に処理しました。太宗は側近に向かって、馬周の能力を高く評価し、「彼は非常に敏捷で、物事を慎重に処理する性格で、人物を論評する際にはいつも率直である。馬周が政務に携わると、私の意見と一致することが多い」と語っています。
太宗との信頼関係
太宗は、馬周に対して非常に深い信頼を寄せており、彼の優れた才能と忠誠心を高く評価していました。馬周の忠義と実力を信じ、太宗は彼がいなければ現在の政治が安定しなかっただろうと感じていたようです。馬周もまた、太宗を忠実に支え、彼の政治的意図を実現するために全力を尽くしました。
結論
馬周は、太宗の治世において、非常に重要な役割を果たした官僚であり、彼の政策や改革に対する貢献は大きいものでした。政治的な才と忠義心を兼ね備えた馬周は、太宗の信任を受けて、朝廷の中で確固たる地位を築き、時の政権に大きな安定をもたらしました。
以下に『貞観政要』巻一「貞観初論政要」より、**馬周(ば・しゅう)**に関する人物評・登用・才能・信頼の描写を、これまでと同様の構成で整理いたします。
『貞観政要』巻一「貞観初論政要」より
馬周(ば・しゅう)の人物評価・登用・才能・信任
1. 原文(要点整理)
馬周は茌平(しへい、今の山東省)出身。貞観五年に長安に来て、常何という中郎将の家に寄宿していた。
当時、太宗が百官に対して政事について自由に建言するよう求めていたが、馬周は常何の代わりに二十数件の意見書を起草し、それがすべて太宗の意にかなった。
太宗は「これは誰の意見か」と尋ね、常何が「家の客人、馬周です」と答えると、即日召見を命じた。馬周が到着するまでの間、太宗は四度も催促したという。
対面して話すと大いに気に入り、その場で門下省に出仕させ、監察御史に任命。その後も中書舎人などに昇進した。
馬周は機知に富み、説得力のある発言ができ、事務処理能力に長けていたため、すべての行動が的を射ていた。太宗は「馬周に会わぬ時間が少しでもあれば、すぐに会いたくなる」とまで述べた。
貞観十八年には中書令・太子左庶子となり、二つの宮中の職務を兼ねていたが、その処理はきわめて適切で、当時の賞賛を受けた。また、吏部尚書の代行も務めた。
太宗は「彼は見識が鋭く慎重で、人物評価においても率直に語り、その意見はことごとく私の期待に沿っている。彼の忠誠心と献身は国家運営にとって重要だ」と述べ、深い信頼を寄せていた。
2. 書き下し文
馬周は、茌平の人なり。貞観五年、京師に至り、中郎将・常何の家に寓す。
時に太宗、百官に上書を命じ、得失を言わしむ。馬周、常何に代わりて便宜二十余事を陳じ、何これを奏す。事皆旨に合す。太宗、其の才を怪しみ、何に問いて曰く、「此れ臣の意に非ず。家の客・馬周なり」と。太宗、即日これを召す。未だ至らざるに、四度使いを遣わして促さしむ。
謁見して語るに、甚だ悦び、門下省に直せしめ、監察御史に授く。累ねて中書舎人に除す。
機辯あり、奏に能く、事端を深く識り、故に動いて中らざるなし。太宗嘗て曰く、「我、馬周を暫く見ざれば、すなわち之を思う」と。
十八年、中書令を歴し、太子左庶子とす。職を両宮に兼ね、処事允当にして、甚だ当時の誉れを得。又、本官を以て吏部尚書を攝す。
太宗、嘗て侍臣に謂いて曰く、「彼は事を観るに敏にして、性は甚だ愼至なり。人物を論量するに、直言して辞を飾らず。これを任用するに、多く称意す。忠を写し、心を我に附す。実にこの人を藉りて、時政を共に康くすなり」と。
3. 現代語訳(まとめ)
馬周はもともと無官の書生であったが、その優れた見識と政策提言能力により、太宗に抜擢された。機転が利き、論理的で、国家運営における鋭い洞察力を持っていた。
彼の人柄と仕事ぶりは高く評価され、太宗からは「見ぬ時はすぐに思い出すほどの存在」とされるほどの信頼を受けていた。
複数の重職を兼任しても的確に処理し、慎重さと実務能力を兼ね備えた人物であり、政務における中心人物の一人であった。
4. 用語解説
- 中書舎人:詔勅の起草や政策文書作成を担う要職。
- 門下省(もんかしょう):詔勅審議の官庁。皇帝の意思に直結する部署。
- 監察御史(かんさつぎょし):風紀取り締まりや官吏監督を担う監察官。
- 中書令(ちゅうしょれい):中書省の長官。政策決定の中枢。
- 太子左庶子(たいしさじょしょし):皇太子の側近補佐官。
5. 解釈と現代的意義
馬周の登用は、「無名の才」を見出し、活かすことがいかに国家の繁栄につながるかを示す好例である。また、彼の行動・言動は、上司に対する過剰な迎合ではなく、真に役立つ政策提言と信念によって評価された点が重要である。
6. ビジネスにおける解釈と適用
- 「無名でも優秀な人材を埋もれさせない人事戦略」
経歴や肩書きにとらわれず、実力を評価する人材登用の意義を示す。 - 「率直な意見を歓迎する組織風土」
馬周が率直に人物論を述べたように、自由に発言できる組織が改革と進化を促す。 - 「信頼関係が成果を生む」
太宗が「見ぬ時は思い出す」と語ったように、日常的な業務を超えて信頼される人材が、リーダーの意思決定を支える。
7. ビジネス用の心得タイトル
「隠れた才を見出せ──馬周に学ぶ“人を活かす力”と信頼の醸成」
コメント